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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2023.11.01

今住んでいる自宅から最寄り駅までの道の途中に蕎麦屋さんがある。「町の蕎麦屋さん」を絵に描いたような古い構えのその店の前には、いつも手書きの黒板で季節の天ぷらが書かれていて、入ってみたいなぁと思っていた。でも、店の入り口は磨りガラスになっていて中までは見えず、常連さんしか受け入れてくれないような店なんじゃないかと勝手に思っていて、一歩踏み出せなかった。

 

もうすぐ私は2年住んだこの街から引っ越しをする。恋人と同じ部屋で生活をしてみたいと思ったから話し合って、そうすることにした。

地球の温度を操作している誰かが、温度を上げっぱなしにしたままリモコンを無くしてしまったんじゃないかと思うような夏の中で引越し先を探していた。毎週末、内見に行って悩んだ後によし!と気持ちを固めて申込みをしようと思ったら、すでに別の誰かに先を取られていたり、もっと言えば内見するまでもなく契約を求められることも沢山あった。流れる時間の速さと、それに付いていかなければ振り落とすといわんばかりの世界の無慈悲さに心が折れそうになった。

それでもやっぱり縁と運というのは存在しているのか、奇しくも最初に候補にしていたけれどすぐに埋まったと聴いていた物件の別の部屋がちょうど空いて、晴れてその部屋に住む契約をすることになった。今はひたすら引越しの準備に追われている。

それと時を同じくして、私は11月11日の文学フリマに向けて本の準備をしていた。余裕を持った工程表を組んだところまではよかったものの、"書けない"ことには何も進まず、余裕はみるみる食いつぶされていった。文章を書く筋力というのは本当に使っていないと、凝り固まって衰えるもので、書きたいと思うものすら浮かばない時間が多かった。閃きなんて起きることはなく、少しずつ筋肉を伸ばしたりほぐしたりしながら向き合うしかなかった。でも結果的に書けてよかったと思う文章しか書けなかった。不思議な体験だった。

実際にできた本をまだ手にはしていないので、本を作っていた時の話、作りながら思ったこと、作り終えて思ったことはまた別の機会に書きたい。いろいろなことを思った。

今回作った「街の声」と一緒に前に作った日記をまとめた本も少し小さいサイズで再販します。ちょびっとだけ持っていきます。

 

数日前、意を決して蕎麦屋さんに入ってみた。中には4人家族と2人組のお爺がお客としていた。端っこの席についてまいたけ天ざるそばを注文した。隣にいるお爺二人組のうち、一人は信じられないくらいのハスキーボイスで、もう一人はややハスキーボイスだった。ややハスキーボイスの方が「きたきた」と言うと同時に店の扉が開いて、もう一人のお婆が合流した。友人なのか世間話をしながら、蕎麦は食べずに天ぷらと漬物で一杯やっていた。良くタバコをやめられたとか、渋谷のハロウィンのこととかを話していた。蕎麦はとても美味しくて、まいたけの天ぷらも大きくて、もっと早く入ったら良かったと思った。

この坂の多い街で二年暮らした。ランチセットでコーヒーを頼むと生中みたいなサイズのジョッキでアイスコーヒーを出してくれる洋食屋さんがお気に入りだった。顔を覚えてくれていつも食後に頼んでいない小さなケーキを出してくれた。髪を切ってくれていた美容師さんは、最初は無愛想で絶対リピートしなそうと思っていたけど、話してみたら同い年で気付けば通うたびにお互いの近況を話したり、日常不満に思うことを愚痴りあう関係になっていた。どれだけ疲れ果てて帰っても、家にたどり着くには長い長い階段を登らなくちゃいけなくて、たまに家に呼んだ友人にはなんでこんなところに、と漏らされて、自分でも今でもそう思うけれど、そんな部屋が2年間いろんな瞬間の自分を確かに守ってくれていた。ありがとね。