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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2023ベストムービー20 [11〜20]

映画の年間ベストには憧れがあった。タマフル(今ではアトロク2)におけるムービーウォッチメンWOWOWぷらすとを見て、キネマ旬報映画秘宝を読んできたので、映画好きが年末に集まって、その年に見た映画のあれこれを話し合ってる様を羨ましく思った。自分の周りにはそんな友達や知り合いはいなかったのでブログでひっそりと発表することでなんとかその気持ちを発散していた。ところが去年、Filmarks(映画レビューアプリ)を通じて知り合った友達とそれぞれの年間ベス10を発表し合う会を開催することが出来たのだ!自分の好きなだったものを自分の口で語ることは、文章にするよりもやっぱりなかなか難しかったけど誰かに向かってそれを発するのはやっぱり楽しかった。今年はその友達に加えて、もう一人の友達と3人でそれぞれの年間ベストを発表しあった。自分が見た映画も、見てない映画も、好きな映画も、そんなに好きじゃなかった映画のこともとにかく映画のことしか話さないような時間の中にいられて幸せだった。思い描いてたもの、憧れていたものは叶うんだなあと思った。なんかそういう感覚をまじで大事にしたいなぁと思った1年だった。

正直、昨年67本からぐっと見る本数は減って年間で49本。配信で見られるものがいくらあってもあんまり進んでは見られなかった。言い訳はいくらでもしようがあるけれど、やっぱり気持ちが映画に向かなくなる瞬間が多かったのも事実だと振り返って思う。大きなことで言えば、あれだけ望みを託していたMarvel Cinematic Universeのヒーロー映画にまったく乗れなくなってしまった。クオリティダウンが顕著であるのはさておき、楽しめる人がとことん楽しめるコンテンツ(あえてこの言葉を使う)に本格的に乗れなくなってしまったことを自覚した一年だった。

ベスト20を並べて、特にベスト10の顔ぶれはなんとも大味で無邪気すぎるくらいだけれど、これが自分の2023年のムードなんだなぁと思う。現実の世界があまりにタフだからこそ、映画の中では魔法を感じたい、だってそれが映画じゃん!という気持ちにならざるを得なかった。それは他の何でも満たせないことだよ。

 

 

 

 

20. バーナデッド ママは行方不明

シアトルに暮らす主婦のバーナデット。夫のエルジーは一流IT企業に勤め、娘のビーとは親友のような関係で、幸せな毎日を送っているように見えた。だが、バーナデットは極度の人間嫌いで、隣人やママ友たちとうまく付き合えない。かつて天才建築家としてもてはやされたが、夢を諦めた過去があった。日に日に息苦しさが募る中、ある事件をきっかけに、この退屈な世界に生きることに限界を感じたバーナデットは、忽然と姿を消す。彼女が向かった先、それは南極だった──!

TARと同じテーマを描いていながら全くもってタッチが違う。前半のシアトルの喧騒と後半の南極でまったく画面設計が異なるのに、寒々とした南極の中で解放されていくバーナデットが文句なしに良い。劇中のバーナデットが作ろうとしてるあるものは言ってしまえば『空間』でそれは言い換えれば映画なのであって、これはリンクレイターの映画としても見れるよなあと思ったらエンドクレジット後の一文でかなり腑に落ちた。

 

 

 

 

19. ザ・クリエイター 創造主

遠くない未来、人を守るはずの AI が核を爆発させたー。 人類 AI の戦争が激化する世界で、元特殊部隊の〈ジョシュア〉は人類を滅ぼす兵器を創り出した“クリエイター”の潜伏先を見つけ、暗殺に向かう。だがそこにいたのは、純粋無垢な超進化型 AI の少女〈アルフィー〉だった。そして彼は“ある理由”から、少女を守りぬくと誓う。やがてふたりが辿りつく、衝撃の真実とは...。

もはや使い古された感のあるAI vs 人間的な物語とは明らかに一線を画す。個人的にはめちゃくちゃは好きだったギャレスの前作『ローグ・ワン』の変奏を見ているようで後半かなりアガった。物語の閉じ方もめちゃくちゃ好みで、世界は間違いなくこどもたちのためにあるべきだし、だからこそ、こどもの笑顔で終わる映画は最高なんだよ。

 

 

 

 

18. 別れる決心

男が山頂から転落死した事件を追う刑事ヘジュンと、被害者の妻ソレは捜査中に出会った。取り調べが進む中で、お互いの視線は交差し、それぞれの胸に言葉にならない感情が湧き上がってくる。いつしか刑事ヘジュンはソレに惹かれ、彼女もまたへジュンに特別な想いを抱き始める。やがて捜査の糸口が見つかり、事件は解決したかに思えた。しかし、それは相手への想いと疑惑が渦巻く“愛の迷路”のはじまりだった……。

冒頭から何度か繰り返される、「わかりやすく言え」という部下とのやりとり。またはソレが韓国語が上手くないということを理由に必要となる言葉の解読。

見終わってみれば「言葉や意味の分解」の話だったと納得できる。この場合、分解ではなく映画に寄り添う形で最適な表現があるのだけど、それはあえて使わない。
誰かを目前にした時に、発する言葉や言葉の持つ意味が役に立たない瞬間はしばし訪れる。それはどんな関係であろうと。

例えば「愛してる」と口にしたとして、嘘はつけるし腹の底はわからない。
逆もそうで、言葉ではそう言っていなくても思っていることが伝播する瞬間だってある。

言葉に限らず関係性もそうで、そういうものの解体の映画だと自分は思った。
だからこそ、中盤不安にはなるけれど記号的に読み取られがちなファムファタールには見えない奥行きがソレにはある。

とても歪なジャンルものみたいに始まる映画が、時折軌道を見失いながら(そんなことは決してないけれど)転がっていく様も面白い。
機械的なズームやパンで徐々に距離をとりながら映画は進んでいく。

キスシーンが(極力)無い代わりにリップクリームを、肌のふれあいが無い代わりにハンドクリームを、というアイテムの使い方は自分は好きだった。
対照的に、翻訳アプリやGPSApple Watchボイスレコーダーというアイテムが効果的かつ空虚に映っているのも好き。

 

 

 

 

17. 怪物

大きな湖のある郊外の町。息子を愛するシングルマザー、生徒思いの学校教師、そして無邪気な子供たち。それは、よくある子供同士のケンカに見えた。しかし、彼らの食い違う主張は次第に社会やメディアを巻き込み、大事になっていく。そしてある嵐の朝、子供たちは忽然と姿を消した――。

安藤サクラが駐車するシーンが3回程あったことがすごく記憶に残っている。この映画の中で車をはじめとする「乗り物」は非常に印象的に取られている。

助手席から飛び出すシーン、校長先生のエピソード、湊と依里が住処としていたのは何処だったか、対して終盤以外はまったく乗り物に乗らない保利先生。

自分は、世界と自分の間にある外殻/あるいは薄い膜のようなものの話だと思った。
時にそれは誰かと誰かを隔てるものにもなるし、時には何かを守るものにもなる。
だからこそあのラストは、その外側の話になっていくと、2時間ちょっとで終わるものじゃなく続いていくものなんだと思ってるしそう信じたい。それくらい2人が2人の時間を過ごしている瞬間が何より愛おしかった。それは、属性やセクシャリティとかとは全く関係のないところで自分だって2人と似た気持ちを持ったことがあるからだと思う。

 

 

 

 

16. アフター・サン

11 歳の夏休み、思春期のソフィは、離れて暮らす 31 歳の父親・カラムとトルコのひなびたリゾート地にやってきた。 まぶしい太陽の下、カラムが入手したビデオカメラを互いに向け合い、ふたりは親密な時間をともにする。 20 年後、カラムと同じ年齢になったソフィは、懐かしい映像のなかに大好きだった父との記憶を手繰り寄せ、当時は知らなかった彼の一面を見出してゆく……。

いまだにおれはこの映画自体のことも、この映画の中にいる人物たちの気持ちも判る気がしないけれど、この映画の存在自体を自分の鏡のように思ってしまう時がある。
もう二度と会えない人(それは別れを伴うものに限らず、時間の経過とともに失われてしまったものとして)に会えてしまうことが映画の持つ力だと思うし、自分が映画を信じる部分だから。

そういう感情を抜きにしても、窓や鏡を使った演出やフェードでクロスしていく相反する感情のことを考えてしまうし、えも言われぬカラオケのシーンの感情も、映像の力を持ってして実感に近付いてくる感触がある。

 

 

 

 

15. わたしの見ている世界が全て

遥風(はるか)は、家族と価値観が合わず、大学進学を機に実家を飛び出し、ベンチャー企業で活躍していた。しかし、目標達成のためには手段を選ばない性格が災いし、パワハラを理由に退職に追い込まれる。復讐心に燃える遥風は、自ら事業を立ち上げて見返そうとするが、資金の工面に苦戦。母の訃報をきかっけに実家に戻った遥風は、3兄妹に実家を売って現金化することを提案する。興味のない姉と、断固反対する兄と弟。野望に燃える遥風は、家族を実家から追い出すため、「家族自立化計画」を始める―

いわゆる効率化や合理主義のようなシステム(ひろゆき的な振る舞いと言ってもいい)は、そのシステムについていけない人を振り落とし進んでいく。その加速は目に見えて進んでいるし、自分もその空気に侵されている部分だってあるかもしれない。(この"自分もそうかもしれない"という視座こそ、この映画の中で最も重要な部分な気もする)

では、この映画がギアを上げながら進むにつれてスクリーンに取り残されていくのは果たして誰なのか。この対比が今まで全く見たことないものでめちゃくちゃ面白かった。
もっと言えば、この映画が先に挙げたひろゆき的なものを批判して指差すことに終始していないのが良い。人を無理やり左と右に分けて、どちらか一方に立って反対の人を指差し続けても、それは本当に意味のあることなんだろうかと思う。あらゆることがそう。

人ってもっと割り切れない部分があるだろうし、正しさ/正しくなさ、好き/嫌いなんてはっきり決まらないし決まったところでそれは極めて不確かなもののような気がする。
その価値観に揺らぎを与える力があるのが映画だと自分は信じてるし、忘れた頃に何度も気付かされる。
今まで見えていた景色、こうだと思い込んでいたものを映画を見る前と後ですっかり変えてしまうことこそが映画の持つ最大の力だと思う。

遥風の額に貼られた冷えピタシート、食べるクーリッシュバニラ、ティラミス、「ありがとう」と言うことを思い出すと、嫌な奴、もしくは自分とは違う生き方をしている人の奥にあるものを考えずにはいられない。彼女のことをクズとか嫌な奴と言うことは簡単だけど、それは彼女がかつて他者にしてきたことと同じだ思う。もっと、そうじゃない何かがあるはず。だってわたしとあなたは違うんだもん。
劇中で遥風が「今どういう気持ちですか?」とある人に問う場面のことを自分は何度も思い出してしまう。

そしてなにより、そういうことをエモーションの圧を使わずに浮かび上がらせているところに痺れた。82分の尺もそう。過不足が一切ない。

 

 

 

 

14. 首

天下統一を掲げる織田信長は、毛利軍、武田軍、上杉軍、京都の寺社勢力と激しい戦いを繰り広げていたが、その最中、信長の家臣・荒木村重が反乱を起こし姿を消す。信長は羽柴秀吉明智光秀ら家臣を一堂に集め、自身の跡目相続を餌に村重の捜索を命じる。秀吉の弟・秀長、軍司・黒田官兵衛の策で捕らえられた村重は光秀に引き渡されるが、光秀はなぜか村重を殺さず匿う。村重の行方が分からず苛立つ信長は、思いもよらない方向へ疑いの目を向け始める。だが、それはすべて仕組まれた罠だった。果たして黒幕は誰なのか?権力争いの行方は?史実を根底から覆す波乱の展開が、 “本能寺の変”に向かって動き出す―

 

 

 

 

 

13. ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー

ニューヨークで配管工を営む双子の兄弟マリオとルイージ。謎の土管で迷い込んだのは、魔法に満ちた新世界。はなればなれになってしまった兄弟が、絆の力で世界の危機に立ち向かう。

真っ当にとても良い映画だと思った。『可能性』の映画だと自分は思った。
スーパーマリオはゲームとしても、出来なかったことが繰り返し挑戦することで乗り越えられるようになる、反復の可能性のみで進行するゲームだと思う。
それがこんなにもあらゆる物語的なテーマや映像技術と掛け合わされて映画になるなんて、ポップカルチャーはこういうためにあるよなぁと思った。

レインボーロードを走るピーチがマリオに対して『あなたの世界にもこういうものってあった?』と問うのに対してどう返すのか。なんかこの会話を見た時、無性に深く感動して落涙してしまった。決して今は誇れるほど良い世界じゃないけれど、悲しいこともたくさんあるけれど、そういうことを変えていける『可能性』を人間ってきっと持ってるはずじゃんって思った。

人によってこれを移民の映画として観たり、有害な男性性の映画として観たり、イースターエッグを探すために見たり、好きなように見られる余地があるのもいいと思った。

 

 

 

 

12. バービー

すべてが完璧で今日も明日も明後日も《夢》のような毎日が続くバービーランド!バービーとボーイフレンド?のケンが連日繰り広げるのはパーティー、ドライブ、サーフィン。しかし、ある日突然バービーの身体に異変が!原因を探るために人間世界へ行く2人。しかし、そこはバービーランドとはすべてが違う現実の世界、行く先々で大騒動を巻き起こすことにー?!彼女たちにとって完璧とは程遠い人間の世界で知った驚くべき〈世界の秘密〉とは?そして彼女が選んだ道とはー?予想を裏切る驚きの展開と、明日を明るく変える魔法のようなメッセージが待っている。

主張の映画ではない。だからこの映画は特定の属性に向けた映画でも決してない。

ストーリーとしてはトイストーリー4、かぐや姫の物語、プロミシングヤングウーマン、君たちはどう生きるかを並べて語ってみたい。つまり「この世界は生きるに値するのか」ということで、おれがこの映画を好きなのはクソな世界を愛してみようとする一歩を踏み出す映画だからなんだと思った。今作のラストにかけての展開はまさしくそう。おれはこの映画を自分の映画だとも思ったし、(恐らく見ていないけど)母や姉はどう思うだろうか、と強く思ったしそれを話してみたいと思った。これは希望としてのはじまりの映画なんだと思う。

 

 

 

 

11. TAR

世界最高峰のオーケストラの一つであるドイツのベルリン・フィルで、女性として初めて首席指揮者に任命されたリディア・ター。彼女は天才的な能力とそれを上回る努力、類稀なるプロデュース力で、自身を輝けるブランドとして作り上げることに成功する。今や作曲家としても、圧倒的な地位を手にしたターだったが、マーラー交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャーと、新曲の創作に苦しんでいた。そんな時、かつてターが指導した若手指揮者の訃報が入り、ある疑惑をかけられたターは、追いつめられていく──

時に錯覚するけれど、映画は答えを示すものでも、受け手をひとつの方向に煽動するものでもない。
人間の身体性を映像として収めるということだけでも価値があるし、言ってしまえばそれは映画にしかない価値とも言える。特にこの映画は物語的なテーマで語られがちだけど、映像としての力(魔力と言っていい)がとにかくやばい。
153分の中でも画面の奥行きや(手前で進行していることと奥で進行していること)あらゆる視線の交錯、もっと言えば見えない場所に潜む何かを想起させたりと1秒も退屈する瞬間がない。やばすぎる。