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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2023.12.31(きれいな名前だね涙が出そうだよ)

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ただ1年が終わるってだけなのに、クリスマスの余韻を食い潰すように街はざわめく。有楽町を銀座方面に歩くと年末ジャンボ宝くじを買う人の行列が目についてため息が出る。わたしは行列に厳しい。かき氷だろうが牛カツだろうが海鮮丼だろうがなんであれ、人が安易に行列を作ってしまうことに対して厳しい。とりわけ宝くじの行列に対しては一層気持ちが強い。大金を手にする可能性を買うために何時間も費やすなんて阿呆らしくて仕方ない。その時間でなにか幸せを手に出来たんじゃないかと並んでる一人一人に懇々と想いを唱えたいけれど、それをしてしまったら狂人になってしまうという自覚もあるので思い留まれている。

 

一転、故郷に帰ると20年以上店を構えていたスーパーはもぬけの殻となり、その向かいには聞いたことのない名前のカラフルなスーパーが建っていた。両親が言うには有名な宗教団体が大元にいるらしい。真偽の程は定かではないので話半分に聞き流した。そんな店でももちろん行列はない。しかし、行列がないからと言って清々しい気持ちにもなれず、生まれ育った町がひっそりと廃れていくのを一年に数回観測し、少しだけ切なくなることしか私には出来ない。

 

2020年から2022年くらいにかけては、ままならない社会制度や、日常にこびりつく性差別、人種差別に対して自分ごとでなくても怒ったり、気分を落としてしまう時間が多かったような気がする。顔も知らない誰かが傷付けられて悲しんでいることを想って、自分も悲しくなったり、猛烈に怒ったりしてそれに対する文章を書いたりしたようなこともあった。

2023年、海を越えた土地では戦争が続き、日本では絵に描いたような不景気と、日夜キャンセルカルチャーによる対立が渦巻き、ちっとも良くなる兆しは見られない。

そんな世界で自分は、語弊を恐れず言うならば"想ってもどうしようもないこと"を考えることが減ってしまったのだと思う。悲しいことだとも思う。もちろん世界は良くなってほしいし、戦争なんて今すぐやめにした方がいい。誰かを差別したり傷つける奴なんて、一刻も早く消えたほうがいい。

そう思う一方で、でも"あっち"側に立っている人だってさ、と簡単に何かを切り捨てられなくなっている。当たり前だけど、あらゆる物事は腐った部分を切り捨てれば終わるほど単純ではない。そしてなにより、そんなことを想いながらも自分の生活だって否応なく続く。明日の仕事のことも、明日のごはんのことも、隣にいる大切な人のことも、来週の友達との予定のことも考えなきゃいけない。

かつての自分が今の自分を見たら「そうやって諦めるやつがいるから。」と思うんだろうか。悲しいな。でもなあ。近くにあるものを大事にしたいんだよ。そういうことから始まっていくものだってあるんじゃないかなあ。あると思うんだよなあ。

 

問題が大小で分けられるとも思ってないけど、大きなことだけに目を向けている間に、消えてしまうものだって沢山あるんじゃないんだろうか。もしかしたら消えてしまったことすら気付かれないようなものも。消えてしまうことは変えられないとしても、せめて何か形に残したいから自分は『街の声』という本を作ったのだと思う。作ったものが人の手に渡って、本当に良かったと思った。

 

人の悪意がどうしても可視化されてしまうSNSコミュニティに辟易としかけていたけれど、今年になって、SNSを通じて知り合った人と改めて直接会う機会があった。面と向かって言葉を交わすことは、インターネットを通じてやり取りすることとはまるで違った。

わたしたち、いつだって自分の思う道を、躓きながら、でもなんとか進もうとしてる。それは同じ道じゃないけど、時々交わって交差点みたいになる。そこに立ち止まって笑って話したりして、別れて、またそれぞれの道を往く。そういう交差点を作れて嬉しかった。男女の友情なんて擦り倒された言葉に頼るまでもなく、わたしたちは人間同士、「ともだち」なんだと大きな声で胸を張って言いたい。

 

11月に引っ越しをした。引っ越しをする前の週、家の近くにある壁に蔦が生い茂ったおしゃれなカフェに行った。いつも行列が出来ていて、例によってやれやれ。と思っていたけれど、恋人と「最後なんだから!」と話したことがきっかけだった。嘘みたいに可愛いスイーツがお皿に盛られて運ばれてきて、ゆったりした時間が流れてて、自分は外からこれを眺めてただけなんだなぁと改めて思った。行列に並んでた人、ごめんな。並びながらそれぞれの時間があるよね。そういう風に気付かされる瞬間が何度もある。ふぅ、と息をついたときにもたれあうだけじゃなくて、ぽんっとただ背中を押してくれる瞬間。ブログを読んでいる水っぽい星さんが言語化されていた『人と暮らすことで自分の輪郭が濃くなる』という実感を自分も感じている。こういうこと、大切にしたい。当たり前に思わないようにちゃんと見つめて大切にしたい。

 

こういう生活の中のちょっとした想いや変化を積み重ねることが、少しでも世界を良くすることに繋がりはしないかなぁとやっぱり思ってしまう。楽観的かなぁ。そうでもないよね?

だから、だからかわかんないけど、おれは来年も何か作るよ。Podcastも続けるし、仕事も頑張る。友達とも遊ぶし、恋人と楽しく生活もするし、選挙にもいく。30代に突入して、色々めんどくさいことが増えるんじゃないかと思ってた。それは主に他人や社会からの圧に起因するめんどくささを想像してたけど、だからこそ、そういうものを面白がっていこうと思ったのを覚えている。何となくそれが出来ている気もする。楽しいという実感がそれを証明している。年末ジャンボに可能性を賭けるまでもなく、楽しいことは自分で掴みに行ける。そうしたい。行列に並ぶ楽しさを知った上で、そうじゃない広いところに走り出せる。2024年、その先でまた会いましょう。

 


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