anomeno

神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2019.09.05

どんな子供だったか、と聞かれたら「なんでもすぐ食べる子だった」と答えるだろう。好き嫌いをしなかった、とかではない。なんでも口に入れる、の意。幼稚園指定の鞄は革製でざらざらして爪を立てるとぼろぼろ取れてしまいそうなのが怖かった、気がする。今も思い出してそう思ってるだけかもしれない。うちは両親が共働きだったので夕方を過ぎるまで母親が迎えに来るのを待っていた。あまりに遅いと知り合いの家に預かってもらってその家に親が迎えに来たこともあったような気がする。居心地の悪いその家でビーストウォーズを見た記憶が薄っすらある。アメリカ色強めのやつ。そんな時間に幼稚園かばんの縁取りの部分をがじがじと噛んでいた。らしい。いや、らしい。じゃない。それは記憶がある。最初は歯形がつく程度に。だんだんエスカレートして噛みちぎるようになった気がする。見るも無残になった鞄はそのうち親に見つかってこっぴどく叱られた。なにせそれをやる意味が癖以外にないのだから。あまりにみっともなかったらしく新しい鞄を買ってもらった。人間の癖はそう直らないものだ。大人が煙草を簡単にやめられないように、おれだってそう簡単に鞄をかじるのをやめられない。またやってしまったのだ。もう無意識に事を進めるようになってしまったため、車の後部座席でがじがじしてるところを運転席の母親に見られてあえなく御用である。普通の子であれば3年間使うであろう幼稚園鞄を年少にしてすでに2個目である。しかも2個目もねずみにかじられた状態である。またしてもこっぴどく怒られたあとに近所の小学生のお古の鞄をもらったらしい。私の幼稚園生活はそんな2個の鞄をかじり倒したところからはじまりを迎えたらしい。両親もそれはそれは苦労した事だろう。さて、では卒園時にその3個目の鞄がどうなったか。それはまた別の話。つづく。(つづかない)