anomeno

神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

名前はまだない(けど繋がる)

姉の出産が今日無事に終わった。お昼休みに入ってスマートフォンを見ると、母親からの「産まれたよ」という文字が見えた。年末に実家に帰ったときには「逆子が直らなかったら2月には帝王切開になるかも」と言っていて、どうやら結局最後の最後まで逆さのままだったらしい。その意気や良し。今の世の中なんて逆さまに見るくらいしないとね。エコー写真を見る限りどうやら女の子らしいということも聞いていたけど、お腹を開けてみたらみんなの予想を欺き男の子だった。その意気や良し。両親も性別で翻弄するくらいしないとね。ということで、姉夫婦はすっかり女の子の名前ばかり考えていたようで2020年2月3日20時現在、彼に名前はない。しかし名前はないけど確かにこの世界で息をして、自分と血を分かつ彼に遠く離れた土地から不確かな想いを感じざるを得ない。彼が吸う空気が少しでも綺麗であるように。彼がおぼろげに捉えた視界が少しでも綺麗であるように。彼が握る指が彼の愛する人の指であるように。そんなことを思わざるを得ない。これが愛という気持ちだと知っている人がいるのならすぐにそう教えてほしい。

母親から送られてきた保育器に入った赤ん坊の写真を見ながら、こいつはおれのことはまだ知らないんだよなあと思う。彼が6歳になったとき、自分は33歳だ。好きな人の隣にいるだろうか。彼が20歳になったとき自分は48歳だ。家族とともに暮らしているだろうか。彼が生きるのが好きな人生を選べる世の中だろうか。好きだと思えるもので溢れた世の中だろうか。自分はこんなに想っているのに写真の中で眠っているこいつはおれのことを1mmも知らない。それなのに自分はこいつのためならなんでも出来てしまいそうだ。インターネットでチャイルドシートを検索しその値段に少々面食らう。時代と安全はいつだって世知辛い。恐る恐る、でも自信をもってカートのボタンを押す。保育器をでたら姉の手の中に抱かれて、義兄の手に抱かれて、きっと彼にとってのおばあちゃんとおじいちゃんの手に抱かれて、その次にはこのチャイルドシートに収まるだろう。それをまだ見ぬおじさんの腕のなかと思ってほしい。そんな思いを込めながら購入の2文字をタップした。

数分後、母から「チャイルドシートはもう買ったらしいからいらないって。代わりにバウンサーが欲しいらしい」というメッセージが入る。バウンサー?なにそれ?ゆりかご的なやつ?と思って調べたら間違ってはないらしい。離れた土地から彼を抱くことには変わらない、と思いながら急いでチャイルドシートの購入をキャンセルした。