anomeno

神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2019.06.16

長岡駅の新幹線ホームに立つとき、いつも月曜日への憂鬱と郷愁がないまぜになった憂鬱な気持ちを抱えている気がする。暗く、どんよりしたホームがそれに拍車をかける。

1、2軒のラーメン屋と入れ替わるくらいのもので、代わり映えのない通りや、無駄にでかい家電量販店。新しく開店したスターバックスにはドライブスルーの車が並び、店に入ればすぐに知り合いに遭遇できたりする。ずっと住んでいると、そんな地方都市あるあるが退屈になって、ここじゃないどこかに想いを馳せたりするものである。しかし、その先にあるのは永遠に工事をしてる道路と臭い路地裏と座り場所のないスターバックスである。地方あるあるが東京あるあるに変わるだけ。意外とその二つの本質は変わらないような気がする。人間はひどく傲慢で忘れやすい。自分で選んだ土地も、長く身を預けていると悪いところばかりが目について、こんな場所なんか、と思ってしまう。だからたまに故郷に帰ると、身体に馴染んだ土地の空気が自分の居場所はやっぱりここかも、と思わせる。かわらない故郷がある、というのはとても心強いものだけど、それがなくたって別にいいじゃん。とも思う。自分で選んだ場所を自分の故郷にすればいい。結局は、場所じゃなくて人なんだよね。(あまちゃんの春子さんの言葉より)

 

電動歯ブラシを買った。使うのが楽しみ。新しい入浴剤を買った。お風呂に入るのが楽しみ。新潟からお米を持って帰った。炊くのが楽しみ。