anomeno

神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2021.10.07(たちまち蟻地獄)

昨日の記事、わりと沢山の人に見られていて嬉しい。読み直すとだいぶ齟齬があるように見えるし、伝わりづらい場所が多いと思うけどあんまり直すのもなぁという気持ち。その分、普通にあったことが書けなかったのでちょっと昨日の分。来週には引っ越すので今住んでる場所で4年間くらい通ったサウナに最後のつもりで行った。なんてことはないスーパー銭湯だけれど、自分にとっては慣れ親しんだ肌に合うサウナになった。椅子に腰掛けて、澄んだ紺色の空を見上げた。まだ引越しの準備を何もしていないことを都度思い出して憂鬱になった。近くにある、いつもありがとうございますって言ってくれる担々麺屋さんが休みだったのが心底残念だった。まじめに世界一美味しい担々麺だと思うので絶対また来る。帰ってきて、水曜日のダウンタウンおぼん・こぼんTHE FINAL」を見た。この番組のことだし、安易で欺瞞に満ちたラストなんて絶対ないと思ってたけど、半分予想の通り、でも半分はちゃんと裏切られる素晴らしい作りだった。仲良いことに意味があるんじゃなくて、向き合えることに意味があるんだと強く思った。自分も東洋館行ってみたいなあと思った。サウナに行ったからよく眠れた。起きて家で仕事をした。仕事を終えて、河野啓『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』を読んだ。途中からまじで面白すぎてページを捲る手が止められなかった。

ルポルタージュに近いような、しかしそこにちゃんと人の想いが詰まっている読み物だった。承認欲求のことを考えたりした。自分が人に読んでもらって嬉しいと思うことも一種の承認欲求だろうか。これが加速した場合、とかを思うと自分も栗城さんが登っていた山の麓にいるのかもしれないと思った。でも自分は決して「単独」ではないな、と思う。ポッドキャストを始めるときにアイコン的な画像がいるよね、という話に友達となった。自分の友達の中にスケートのデッキに絵を描いたりするのが好きで得意な友達がいたので、こういう絵を描いてほしいんだよね、と言ってみたら一日経ってこんなんでどう?って書いてくれた。本当にイメージ通りで驚いた。単純に自分だけじゃ出来なかったことが思い通りに出来てるっことにすげぇなぁと思った。友達という関係にはやっぱり目的も損得もない。こういう補い合うみたいな距離感と間柄が今の自分が強く求めていることのような気がした。松屋のボロネーゼとマスカルポーネのハンバーグはまじで美味い。なんだあれは。