anomeno

神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2020年ベストムービー30 [11〜20]

20. 2分の1の魔法

f:id:moire_xxx:20201228205037j:image

かつては魔法に満ちていたが、科学技術の進歩にともない魔法が忘れ去られてしまった世界。家族思いで優しいが、なにをやってもうまくいかない少年イアンには、隠れた魔法の才能があった。そんなイアンの願いは、自分が生まれる前に亡くなってしまった父親に一目会うこと。16歳の誕生日に、亡き父が母に託した魔法の杖とともに、「父を24時間だけよみがえらせる魔法」を書かれた手紙を手にしたイアンは、早速その魔法を試すが失敗。父を半分だけの姿で復活させてしまう。イアンは好奇心旺盛な兄バーリーとともに、父を完全によみがえらせる魔法を探す旅に出るが……。

この映画が迎えるラストにちょっとびっくりするくらい心が動かされてしまった。
誰かの死というのはどうしようもないくらい巨大だから、届かないけど思い続けて手を伸ばしてしまう。もちろんそれは無駄なことなんかじゃないけど、同じように生きているもの、この先も続くものをしっかりと確かめて抱き続けるということ。そして、かつて言えなかった「さよなら」をこんな風に撮ってしまうなんて!!!!!

『リメンバーミー』から何歩も先を行ってる。
延期に次ぐ延期で結構見てない人が多い気がするけれど、今のピクサーはここまで来てるという意味で絶対見てほしい。

 

 

19. アンカット・ダイヤモンド

f:id:moire_xxx:20201228205044j:image

ギャンブル中毒の宝石商ハワードは、借金まみれで常に取り立て屋から監視されていた。そんなある日、ハワードはエチオピアで採掘されたブラックオパールの原石を手に入れる。ハワードはその石をオークションに出品して大儲けしようと考えていたが、店を訪れたNBA選手ケビン・ガーネットが異常なほどに興味を示し、仕方なく彼と取引することに。しかし事態はさらにハワードの望まぬ方向へと転がっていく。

選ぶのがすべて悪手なのにそれがグルーヴになっていくという不思議な感覚。
"この人の気持ちは自分には絶対にわからない"なんてことはありえないんだと思い知らされた。どんなに自分とかけ離れた人であろうと、どこかでほんの少しでも重なる瞬間があるはず。この気持ちは自分も知ってるって。
それが「想像力」だったり、「感情移入」という人間の熱に繋がるんだと思う。

鉱石の結晶から内視鏡カメラの映像に繋がるアバンがらもうすでにどうかしてるのだけど、その後も常に誰かが喋り続ける、動き続けることによって物語が形作られる。自動ドアが開かないなんてしょうもないことがドラマになるし、ボタンを押す、ガラス窓で空間が隔てられることがこれ以上ない演出になる。
二度繰り返される窓から外に顔を出す瞬間も最高に良い。

 

 

18. 君が世界のはじまり

f:id:moire_xxx:20201228205103j:image

大阪のとある町。深夜の住宅地で、高校生に中年の男が殺害される事件が起こる。町に暮らすの高校2年生のえんは、彼氏をころころ変える親友の琴子と退屈な日々を送っていたが、琴子がサッカー部のナリヒラ君に一目ぼれしたことで、2人は徐々にすれ違うようになっていく。 同じ高校に通うジュンは、母が家を出ていったことを無視し続ける父親に何も言えぬまま、放課後のショッピングモールで時間をつぶしていた。東京から転校してきた伊尾と会ったジュンは、求めるものもわからぬまま伊尾と体を交わすようになるが……。

夜道を照らす一本の街灯をステディが捉えるファーストカット。しばらくすると遠くからパトカーのサイレンが聞こえて、赤い光が近づいてくる。パトカーのヘッドライトが反射し光の粒になる様を見て、開始数十秒で良い映画だと確信した。"何をどう撮るか"にとても意識的だし、如何にして暗闇にいた人物たちに「光が当たる」のかということに終始している。奇跡みたいな光を捉えたショットがいくつもある。個人的に、こういう要素が映画が物語を越える瞬間だと思っていて、そんな瞬間がギュッと集まった映画だった。
願わくば、たくさんの人がいる劇場で観たい。

光に意識的であるということは、反対に暗闇の捉え方にも魅力があって、夜道や従業員階段、立体駐車場のシーンもとても良い。夜の町に浮かび上がるタンクの空虚さ(内側がわからないという物語的なテーマにも繋がる)はなんとも不気味だけれど、閉店した夜のショッピングモールには何処か胸が躍らされる。

優れた青春映画には決まって死の匂いがこびりついているのは今も昔も変わらないけれど、この映画はその何歩か先を行っていて、「分かり合えない人の気持ちを想像してみる」というところに着地する。誰かの命を奪ってしまった人や、自分で人生を終わらせることを選んだ人。SNSで中傷する人や、差別に苦しむ人。あなたはわたしかもしれないし、わたしはあなたかもしれない。悲しみの川は繋がっているのだから。大切なのはきっと、わかった気になる感情移入じゃなくて想像しようとする気持ちのはず。

舞台が関西だからというのもあるかもしれないけれど、お好み焼きやたこ焼きという「混ぜ物」が執拗に食卓に並ぶのも良い。チャーハンもそれに近い。
所々、むず痒くなる演出はあるけれど、なんかそうまでしても撮りたいものがあるんだろうなあと思えて全て許したくなる。ラストとかも、グラウンドの水たまりに反射する空という奇跡みたいなショットで全て掻っ攫っていく感じ。そこからのタイトルバック『My name is yours』でガッツポーズ!!!

役者陣もメインから端までみんな魅力的。松本穂香さんは言うまでもなく、特に中田青渚さんとかちょっととんでもない。

 

 

17. 星の子

f:id:moire_xxx:20201228205116j:image

大好きなお父さんとお母さんから愛情たっぷりに育てられたちひろだが、その両親は、病弱だった幼少期のちひろを治したという、あやしい宗教に深い信仰を抱いていた。中学3年になったちひろは、一目ぼれした新任の先生に、夜の公園で奇妙な儀式をする両親を見られてしまう。そして、そんな彼女の心を大きく揺さぶる事件が起き、ちひろは家族とともに過ごす自分の世界を疑いはじめる。

ちひろが想い寄せる南先生は数学の授業中にこんなことを話す。
「根号の加減は一見違う数字に見えて戸惑うかもしれないけど、中身をよく見てみること。√8+√18は整理してあげればどちらも√2が隠れてる。」
「相似な図形も条件が揃えば公式に当てはまるから。見た目に惑わされずにとにかく公式に当てはめること。いいな?」

何気ない授業の一コマだけど、この映画が何の映画なのかを表す重要な台詞のように思える。

それぞれ人には信じているものがあって、好きなものだってある。それは当たり前に各々違うし、自分とまったく違うものを生き甲斐にしている人がいたって何もおかしくない。
でもこれは宗教観の相違とか以前に、他者とのコミュニケーションの映画だと思う。

そしてもっともっと突き詰めれば、この映画もTENETやウォッチメンとも通じる『自由意志と決定論』の映画なんだと思った。自分の意思とは別に、生まれながらに決まってしまったものを人は脱することができるのか?でもそれって果たして意味があるのか?みたいな。広い海を見つめるちひろの視線に想いを馳せてみたい。

なんてことのないショットも芦田愛菜がスクリーンに映っているだけで、とにかく圧倒的な支配力がある。切り返しの魅力には欠けるものの、そのまなざしの強さは『はちどり』のそれを感じたりするくらい。特に保健室でのカーテンを挟んだ先生との会話はとても良い。
終盤の山道での下から並走するカメラの不穏さは、最後の最後まで最悪なことが起きるかもしれないという不安感を煽る。
ラストは吉田大八の「美しい星」とか「紙の月」を思い出した。その中の一節はこう。
"いいじゃない偽物だって。綺麗なんだから。"

 

 

16. TENET

f:id:moire_xxx:20201228205125j:image

ウクライナのオペラハウスで、突如としてテロ事件が発生。現場に突入した特殊部隊に、ある任務を帯びて参加していた“名もなき男”は、大量虐殺を阻止したものの自身は捕らえられ、仲間を救うために自害用の毒薬を飲まされてしまう。しかし、その薬はいつの間にか鎮静剤にすり替えられていた。目覚めた“名もなき男”は、死を恐れず仲間を救ったことで、フェイと名乗る人物から、未来の装置「時間の逆行」を使い未来の第3次世界大戦を防ぐという、謎のミッションにスカウトされる。鍵となるのは、タイムトラベルではなく“時間の逆行”。混乱する男に、フェイはTENETという言葉を忘れるなと告げる。

とにかく初見での感想はノーランが収束じゃなくて発散の映画を撮ってくれてめちゃくちゃ感動したということ。あとはとにかくわからないことが何より面白い。ジェット機のシーンと消防車のクレーンのシーンはまじで大爆笑した。あとは天晴れルドウィグ・ゴランソン!
パンフレットを読みこんで2回目を見ると、おおよその筋は理解できるようになったけど、理解できると少し面白みがなくなるのも事実。やっぱりノーランはシチュエーションとプロットの作家なのは変わらなくて、作品を追うごとにドラマは豊かになってるけど未だに人物像の深みとは食い合わせが悪いということにも気付かされる。悪く言えば映画の中の人物が映画の中で動くコマに過ぎないと言うか。特にキャットの描き方は見れば見るほど釈然としないし、そういう面で往年のスパイ映画からアップデートしようという気概も感じられない。
でも一方で、主人公とニールの豊かな空白がもたらす関係についてはこれまでにない魅力があるのも間違いない。
そういった差し引きがありつつも、やっぱり2020年の今こういう映画にしかできない表現をバカ真面目にするノーランの気概を讃えたいし、間違っても小馬鹿になんて出来ない。

 

 

15. シカゴ7裁判

f:id:moire_xxx:20201228205312j:image

1968年、シカゴで開かれた民主党全国大会の会場近くに、ベトナム戦争に反対する市民や活動家たちが抗議デモのために集まった。当初は平和的に実施されるはずだったデモは徐々に激化し、警察との間で激しい衝突が起こる。デモの首謀者とされたアビー・ホフマン、トム・ヘイデンら7人の男(シカゴ・セブン)は、暴動をあおった罪で起訴され、裁判にかけられる。その裁判は陪審員の買収や盗聴などが相次ぎ、後に歴史に悪名を残す裁判となるが、男たちは信念を曲げずに立ち向かっていく。

映画中の史実通りのパートと脚色されたパートについては町山さんの映画ムダ話がとてもわかりやすかった。あまりにもすべてが映画の通りだと思ってしまうとそれはそれで違う気もしたので。

"権威に対抗する民意"というモチーフについては68年の出来事を今語り直す意味は十分にあると思うけど、自分はそれよりもリベラル側のレイヤーの違いとか、言ってみれば浅はかな部分とか、人種差別問題を他の問題と一緒くたにしてしまうことの乱暴さとかのほうがまさしく今考えなきゃいけないことのように思う。
大事なのはどうしようもないアホを権力から引きずり下ろすことだけじゃなくて、その先にあるはずだから。この映画はある意味でそういう意識に立ち返った結末だからこそ胸をうったはず。

でもまぁ4年に1度ちゃんと民意でトップを決めることすら出来ない日本はなかなか苦しいよなぁと、映画を見ても今日のアメリカを見ても思う。

 

 

14. 未成年

f:id:moire_xxx:20201228205237j:image

女子高生ジュリは父が不倫していることを知る。しかもその相手は、同級生の問題児ユナの母ミヒだった。ジュリはユナに母の不倫を止めるよう忠告するが、ユナは母がジュリの父の子を妊娠していることを告げる。突然知らされた事実に戸惑い傷つくジュリ。そんな中、ある事件が起こり……。

映画はジュリが窓の向こうから父の不倫相手を覗き見るシーンから始まる。しかし、父の不倫相手の子であるユナと出会い、文字通り窓は割れ、扉は開く。本来出会うことのなかった17歳の二人は出会う。

階段の上り下りやベランダから階下を見下ろす空間を活かしたショット、携帯電話や牛乳という小道具を活かした展開も初監督作とは思えないくらい抜かりがない。

何よりかなり重めでドロドロの不倫というテーマを扱いながらも、17歳の視点では「不倫」による当事者の罪や罰なんてものはクソ程にどうでもよいのだ。そんなくだらないことよりも、「私」がどう生きていくか、産み落とされた生命がこれからどうなっていくのかという漠然とした、でもごく普遍的な命題に立ち向かっていく。意外とこういう切り口って見たことなかったかも。

きっとこの先離れ離れになるであろう彼女たちが最後にとる行動とその場所に、自分は思わず膝を打った。ギョッとして受け入れられない人もいるかもしれないけど、自分は生きていくってこういうことだと思う。

全国2館のみ上映とか信じられないっす。(パンフレットがないのも解せない)
「不倫」というその行為と言葉だけが世の中に蔓延る今こそ多くの人の目に触れてほしい。

 

 

13. スパイの妻

f:id:moire_xxx:20201228205327j:image

1940年の満州。恐ろしい国家機密を偶然知ってしまった優作は、正義のためにその顛末を世に知らしめようとする。夫が反逆者と疑われる中、妻の聡子はスパイの妻と罵られようとも、愛する夫を信じて、ともに生きることを心に誓う。そんな2人の運命を太平洋戦争開戦間近の日本という時代の大きな荒波が飲み込んでいく。

映写機を起動するためにはカーテンを閉めて暗闇を作らなければいけないし、秘密を隠した金庫は鈍い音をあげて開く重い扉の向こうに隠さなければいけない。あらゆることが映画としての魅力を引き出すために配置されている。
そのなかで人の"人らしさ"は大きく揺れて、変化したり変化しなかったりする。なんていうか、これだけでもうむちゃくちゃ面白くないですか。

とにかく固定されたスクリーンから高橋一生が消えていく映画なので、その結末にも頷ける。
散歩する侵略者」ではエピローグで世界の終わりのその先を描くことで全体が矮小化しているように感じて蛇足に思えたけど、今作は全然あり。この映画が誰のどんな映画だったのかということに改めて立ち返ることで着地点への飛距離が伸びてる気がするからかなあ。

夫婦、戦争、スパイという意味でやはりゼメキスの『マリアンヌ』と共鳴する。あの映画でとりわけ魅力的なのは鏡を介した視線の交錯だと思うのだけど、今作には「鏡」があまり出てこなかったのが面白い。きっとそれは、鏡の中の虚像を彼等が見つめる必要が無いからではないだろうか。しかし、代わりとして今作ではフィルムで撮影された映画内映画が登場する。ラストに憲兵たちの前で結ばれた光がまさしく一つの虚像を作り出すのである。お見事!

他にも、中盤に登場するあの映像は本能的に「観てはいけないものを観ている感」がやばくて心底おぞましかった。あれを作ろうと思って作れるのほんとにやばい。役者陣も総じて素晴らしい。何より発声がいい。

 

 

12. フォードvsフェラーリ

f:id:moire_xxx:20201228205334j:image

ル・マンでの勝利を目指すフォード・モーター社から依頼を受けた、元レーサーのカーデザイナー、キャロル・シェルビーは、常勝チームのフェラーリ社に勝つため、フェラーリを超える新しい車の開発と優秀なドライバーの獲得を必要としていた。シェルビーは、破天荒なイギリス人レーサーのケン・マイルズに目をつけ、一部上層部からの反発を受けながらもマイルズをチームに引き入れる。限られた資金と時間の中、シェルビーとマイルズは力を合わせて数々の困難を乗り越えていくが……。

終盤、アドレナリンが出切って死んでしまうんじゃないかってくらい興奮した。最高の映画体験。"乗り物が動く"それだけで物語にしてしまうジェームズマンゴールド、流石としか言いようがない。

vsの本当の意味、それに対する回答、なんて大人な映画だろう。車を作り、動かし、走り抜ける映画だからこそ、ラストカットがどんな光景なのか。ぜっったい映画館で見る以外の選択肢はないっす。

 

 

11. ルース・エドガー

f:id:moire_xxx:20201228205401j:image

バージニア州アーリントンで白人の養父母と暮らす黒人の少年ルース。アフリカの戦火の国で生まれた過酷なハンデを克服した彼は、文武両道に秀で、様々なルーツを持つ生徒たちの誰からも慕われている。模範的な若者として称賛されるルースだったが、ある課題のレポートをきっかけに、同じアフリカ系の女性教師ウィルソンと対立するように。ルースが危険な思想に染まっているのではというウィルソンの疑惑は、ルースの養父母にも疑念を生じさせていく。

日本で暮らす日本人でありシスジェンダーである自分も、雑な分け方をすればきっとここ日本ではマジョリティになるだろう。そんな自分にはとても経験しようのない、でも至極当たり前なことを突きつけられる映画だった。昨今のBLM運動の中でも、こういうことは自分には想像できなかった。

ファーストカットで捉えられるロッカーの中はきっとルースの心の内を表すと同時に、きっとカテゴリーという枠組みも表しているはず。それは肌の色であったり、出自であったり、性的指向かもしれない。
マイノリティをRepする人に対して、善人であること、人格者であること、または端的にカリスマであるという認識、確かにあるよね。そしてもしもその人が「失敗」してしまったときに、「あーあやっぱり。」って思う風潮、確かにあるよね。

「彼は聖人か/怪物か」という二項をキャッチコピーにするのはとても皮肉が効いている。だってそんなのどちらか、なんて答えはあるはずないんだから。自分がどんな人間か、と問われて一言で答えられるなら話は別だけど、そうじゃないのならこの映画を"結末を投げている"と判断するのは土台間違っていると自分は思う。

では、カテゴリから切り離された個人の人間性や思想はどうしたら掴めるのか。
鏡の反射、扉/窓から何かを覗き見ること、引き出しの奥に何かをしまうこと/見つけること、あらゆる行動がその演出として重なり、その先で迎えるあのラスト。
それでもまだ逃げられない。超戦慄してしまった。This is Americaじゃん、これは。。

BLMを支持する上で、それでもあらゆることの前提としてこの映画から発されるテーマのことは考え続けなきゃいけない。だって自分だってともすればいつルースになるのかわからないのだから。