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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2021年ベストムービー30 [11〜20]

20. ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男

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1998年、オハイオ州の名門法律事務所で働く企業弁護士ロブ・ビロットが、思いがけない調査依頼を受ける。ウェストバージニア州パーカーズバーグで農場を営むウィルバー・テナントは、大手化学メーカー、デュポン社の工場からの廃棄物によって土地を汚され、190頭もの牛を病死させられたというのだ。さしたる確信もなく、廃棄物に関する資料開示を裁判所に求めたロブは、“PFOA”という謎めいたワードを調べたことをきっかけに、事態の深刻さに気づき始める。デュポンは発ガン性のある有害物質の危険性を40年間も隠蔽し、その物質を大気中や土壌に垂れ流してきたのだ。やがてロブは7万人の住民を原告団とする一大集団訴訟に踏みきる。しかし強大な権力と資金力を誇る巨大企業との法廷闘争は、真実を追い求めるロブを窮地に陥れていくのだった……。

事実への言及に終始してしまいそうになるけれど、これがトッド・ヘインズの映画であるということを忘れたくない。
「キャロル」のオープニングシーンが排水溝のアップだったことを繋げてみると、やはり根底には沈められたものを(無いことにされたもの)を掬い出すという意志があると思った。タイトルの通り"水"というモチーフが重要なのはいうまでもない。
劇中のあるものが"溜まり続ける"もしくは"排出される"という表現は、汚水で澱んだ河川から生まれるものだけではなくて、人間の体制に対する姿勢としても同時に機能する。
声を上げた人に対して、彼らがどんな目線を送っていたか、その行動がどう変化したか、そして最後にはどうなっていったか。
どう考えても美談にできる話ではないし、最後にカタルシスだって得られない。トッド・ヘインズがカメラを向ければ、どうしたって諦めないことの善悪両面を炙り出してしまう。でもそれこそが自分が映画を見る理由だったりもする。

 

 

19. ドライブ・マイ・カー

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舞台俳優であり、演出家の家福悠介。彼は、脚本家の妻・音と満ち足りた日々を送っていた。しかし、妻はある秘密を残したまま突然この世からいなくなってしまう――。2年後、演劇祭で演出を任されることになった家福は、愛車のサーブで広島へと向かう。そこで出会ったのは、寡黙な専属ドライバーみさきだった。喪失感を抱えたまま生きる家福は、みさきと過ごすなか、それまで目を背けていたあることに気づかされていく…

言語化したいけどとても言語化できない。うう、悔しい。「寝ても覚めても」の時にも思ったこの映画のことが嫌いか好きかもわからないみたいな最強に心地よい観後感(こんな言葉はない)に襲われている。
今わかっているのは三浦透子が初めて出てきた瞬間の発声が素晴らしかったってこと。というかずっと声が良い。あとは音楽が流れ出す瞬間が全て良いってこと。椅子が倒れる音とか駐車場のブザーの音の残り方、映像との齟齬も良い。闇に消えていく岡田将生も良かったことも残しておきたい。

 

 

18. 偶然と想像

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『魔法(よりもっと不確か)』 撮影帰りのタクシーの中、モデルの芽⾐⼦(古川琴⾳)は、仲の良いヘアメイクのつぐみ(⽞理)から、彼⼥が最近会った気になる男性(中島歩)との惚気話を聞かされる。つぐみが先に下⾞したあと、ひとり⾞内に残った芽⾐⼦が運転⼿に告げた⾏き先は──。

『扉は開けたままで』 作家で⼤学教授の瀬川(渋川清彦)は、出席⽇数の⾜りないゼミ⽣・佐々⽊(甲斐翔真)の単位取得を認めず、佐々⽊の就職内定は取り消しに。逆恨みをした彼は、同級⽣の奈緒(森郁⽉)に⾊仕掛けの共謀をもちかけ、瀬川にスキャンダルを起こさせようとする。

『もう⼀度』 ⾼校の同窓会に参加するため仙台へやってきた夏⼦(占部房⼦)は、仙台駅のエスカレーターであや(河井⻘葉)とすれ違う。お互いを⾒返し、あわてて駆け寄る夏⼦とあや。20 年ぶりの再会に興奮を隠しきれず話し込むふたりの関係性に、やがて想像し得なかった変化が訪れる。

映画の映画だと思った。『偶然と想像』って映画のことだと思った。
やっぱり濱口竜介はカメラをある場所に置いて人や景色を撮ること(撮れてしまうこと)の偶然性や、それを見た人の想像力を信じているような気がする。
あとは3遍どれも人が何かを演じることの危うさと優しさの両面を切り取っていると思った。特に3話『もう一度』の脚本はちょっと良すぎる。エスカレーターの高低差はそれだけで映画になる。
そういう意味で、他にも窓枠や扉はめちゃくちゃ象徴的だし、窓越しのやりとりもめっちゃ良い。

 

 

17. あのこは貴族

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東京に⽣まれ、箱⼊り娘として何不⾃由なく成⻑し、「結婚=幸せ」と信じて疑わない華⼦。20代後半になり、結婚を考えていた恋⼈に振られ、初めて⼈⽣の岐路に⽴たされる。あらゆる⼿⽴てを使い、お相⼿探しに奔⾛した結果、ハンサムで良家の⽣まれである弁護⼠・幸⼀郎と出会う。幸⼀郎との結婚が決まり、順⾵満帆に思えたのだが…。⼀⽅、東京で働く美紀は富⼭⽣まれ。猛勉強の末に名⾨⼤学に⼊学し上京したが、学費が続かず、夜の世界で働くも中退。仕事にやりがいを感じているわけでもなく、都会にしがみつく意味を⾒いだせずにいた。幸⼀郎との⼤学の同期⽣であったことから、同じ東京で暮らしながら、別世界に⽣きる華⼦と出会うことになる。 ⼆⼈の⼈⽣が交錯した時、それぞれに思いもよらない世界が拓けていく―。

一生忘れたくないシーンがいっぱいあった。
中華屋のほたるいかの一夜干し、夜の内幸町の2ケツ、風に飛ぶ白い帽子を追う石橋静河、逆車線を見つめる目線、ほかにもたくさん。
途中、日本橋の喫茶店で逸子が言う女性の分断についての台詞がやはり強く残る。たまらず映画を見終わった後に原作を買って読んだけど、原作ではそこまで踏み込んだ台詞ではなかったので、やっぱり意識的に入れた言葉なんだろうなあと。でも、それが映像としても散りばめられてるところが良い。それが自分の琴線に触れた最初にあげたシーンの数々なのかも。
あと別にこれは女性だからぐっとくる、とか男性だからわからないとか、そういうことじゃないと思うよ。それはもう想像力の話だし、それこそこの映画が一歩踏み出してるところでしょ。
「都市と地方」をテーマにする映画はこれまでもたくさん見られたけど、一方を極端に落とすことでしか相対化できていないものが多い気がして、地方出身者の端くれとしてはなんとも煮え切らない気持ちになることが多かった。
この映画はまったく交差しない(ように思える)ふたつが思いもかけない共通点を持つ、みたいなところを抽出していてすごく興味深かった。
門脇麦水原希子石橋静河山下リオ、4人全員素晴らしいのは言うまでもなく、自分は山中崇のポジションも上手く原作から改編されていてすっごく良かったと思った。絶妙な男性像。

 

 

16. tick,tick...BOOM!!

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30歳の誕生日を目前に控える、才能豊かなミュージカル作曲家。恋、友情、NYでアーティストとして生きるプレッシャーなど、人生の岐路に立つ彼の悩みは尽きない。

めちゃくちゃ良いけどそれ以上に言えることが今の自分にはなくてめっちゃもどかしい

 

 

15. Arc

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17歳で生まれたばかりの息子と別れ、放浪生活を送っていたリナは、19歳で師となるエマと出会う。彼女は大手化粧品会社エターニティ社で、〈ボディワークス〉という仕事に就く。それは最愛の存在を亡くした人々のために、遺体を生きていた姿のまま保存できるように施術(プラスティネーション)するもので、悲しみを乗り越えたい人々からの依頼は絶えることがなかった。一方、エマの弟で天才科学者の天音は、その技術を発展させ、姉と対立しながら「不老不死」の研究を進めていた。30歳になったリナは天音と共に、「不老不死」の処置を受ける人類史上初の女性となり永遠の命を得た。やがて、不老不死が当たり前となった世界は、人類を二分化していくこととなり、同時に混乱と変化を産み出していった。果たして不老不死が生み出した未来の先にリナが見たものとは・・?

自分でもなんでかよくわからないけど驚くくらい涙してしまった。身体が震えてくるみたいな感覚。なんでだろう。本当に説明ができない。
死からの解放のための不老不死が時間や生き方やあなたと私の関係を縛る。本当の解放はどこから来るのか。死/生の二項対立を超えた角度の終盤の展開と、その回答としての映像の見せ方に心底打ち震えてしまった。ラストの海のシーンのルックとかフランスのアート映画を見てるような感覚になった。
前半と後半での編集テンポややカメラの置き方、インタビューシーンで演技とドキュメントが揺らぐところ、ルックの違い(モノクロは抜きにしても)が時間感覚そのものをねじれさせる。(序盤から時代感覚が全くわからないのもすごい)
映画の語らなさ、わからなさ、歪さが全て詰め込まれているにも関わらずとても個人的な内面に潜り込んでくるこの異常さはなんでしょう。凄すぎる。

 

 

14. 逃げた女

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5年間の結婚生活で一度も離れたことのなかった夫の出張中、初めてひとりになった主人公ガミ(キム・ミニ)は、ソウル郊外の3人の女友だちを訪ね、再会する。バツイチで面倒見のいい先輩ヨンスン、気楽な独身生活を謳歌する先輩スヨン、そして偶然再会した旧友ウジン。行く先々で、「愛する人とは何があっても一緒にいるべき」という夫の言葉を執拗に繰り返すガミ。穏やかで親密な会話の中に隠された女たちの本心と、それをかき乱す男たちの出現を通して、ガミの中で少しずつ何かが変わり始めていく。

むちゃくちゃ面白い。ほんとこういうものを見てしまうと、映画ってこれだけでいいとか思ってしまう。
窓枠の中と外とか、男性の背中とか、雑なズームとか、どれもすでに多くの人によって語られていることなのでそれは自分が語り直すまでもない。
それでも言いたいくらい好きだったのは、防犯カメラのモニターを除くという行為や、はたまたインターフォンのモニターを除くこと、最後は映画のスクリーンを見るということ。
いつだって私たちは枠の中で起きることに"見る"という反応を見せてしまう。そこで起きていることを何もわからないのに。

 

 

13. 映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園

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嵐を呼ぶ“永遠の5歳児”のはずが、しんのすけとその仲間たち・カスカベ防衛隊がなんと学帽をかぶり制服姿で学園に体験入学することに! そこでカスカベ防衛隊を待ち受けるのは、汗と涙の青春!…のはずが、多発する謎の怪事件に巻き込まれてしまう…!

捉えてる範囲の広さと、映画としてそれを伝える手段のバリエーションがあまりに巧いうえに品があるというか、衒いがまったくないし、尚且つ「クレヨンしんちゃん」だからこそ描けることと方法であるということに面食らったというか素直に感動した。
まじでいつまでもオトナ帝国、戦国とか言ってられないというか、見てない作品もあるけれど普通にシリーズぶっちぎりで良かった。
素行を監視され功績をポイント化し生徒の階層を分ける天カス学園は資本主義社会そのものだし、とかまぁこんなことはぶっちゃけ本当にどうでもいい。そこに属するいわゆるエリートと呼ばれる生徒たちのグラデーションに注目したい。
自分が知っている今までのアニメだったら、見た目のタイプはさまざまであれ普通に良い子たちが揃っていることを想像する。
しかし本作でNo.1エリートに君臨するのは普通に勉強し、普通に気を遣って生活していたら良い子とされていた男の子だし、No.2の女の子は才能が溢れているので素行不良でポイントが引かれることすら厭わないギャルなのだ。このリアリティとバランス感覚よ。しかし、二人ともというか虐げられる側のカス組ですらこの構造に不満を唱えない。
無駄は排除され効率とルールだけが横行する世界、とても見覚えがある。
「皮肉じゃ世界は救えない」というのは先に公開されるクロエ・ジャオの『エターナルズ』の台詞だけれど、すでにそれを実践してるというか、誰かの努力を冷笑する世界なんてほんとに最悪じゃないですか。終盤にかけてある人が自分のトラウマに向き合い、自分を肯定していく様子があまりに刺さりすぎてここ最近で一番胸が熱くなった。

あなたの価値はあなたのことを笑う人になんて決められる必要はない。ってことが劇場に沢山いるこどもたちに伝わっているんだとしたらこんなに幸せなことはないし、自分にも子供がいたら真っ先に伝えてあげたい。

そこで終わっても良いものをもう一発山場を用意するとか、おれを涙で涸らそうとしているのかな?
そこで描かれるのは、ブックスマートやThe Half of Itとかとそう変わらない。いつか別れることになるとしたら、友情に意味はないのだろうか?いや、決してそんなことはない。ということを言葉なんて使わずに行動と二人の位置と、決着の付け方で示してみせる。はぁ。。完璧だ。。
いやね、こんなことクソ真面目に書いてるのもアホらしいんですよ。だって「クレヨンしんちゃん」ですよ?普通にめっちゃ笑うもん。この歳になっても普通に笑う。クレヨンしんちゃんって謎のディテールの面白さだったんだなぁ。だって野原家に「色即是空」って書かれた掛け軸があるんすよ?ひろしが飲んでる缶ビール「半生」ですよ??学園長の名前「膨萩椋美(ふくらはぎむくみ)」ですよ????笑うでしょこんなん。

 

 

12. モンタナの目撃者

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過去に悲惨な事件を目撃したことで心に大きなトラウマを抱える森林消防隊員ハンナは、ある日の勤務中、目の前で父親を暗殺者に殺された少年コナーと出会う。コナーは父親が命懸けで守り抜いた秘密を握る唯一の生存者であるため、暗殺者に追われる身となっていた。コナーを守り抜くことを決意するハンナだったが、2人の行く手に大規模な山林火災が立ちはだかる。

前作「ウインド・リバー」の雪から対になる炎。共通するのは罰を自然に委ねるということ。でもやっぱり人間の底にある生への執着のようなものをテイラー・シェリダンは描き続けていくんだろうと思わされた。
それと併せて100分近く緊張感を維持する撮影と編集も水準が高い。
なんとなく空気的に大作に埋もれてしまいそうな気がするけれど、何よりも見落とされてほしくない一本ではある。

 

 

11. 街の上で

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下北沢の古着屋で働いている荒川青。青は基本的にひとりで行動している。たまにライブを見たり、行きつけの古本屋や飲み屋に行ったり。口数が多くもなく、少なくもなく。ただ生活圏は異常に狭いし、行動範囲も下北沢を出ない。事足りてしまうから。そんな青の日常生活に、ふと訪れる「自主映画への出演依頼」という非日常、また、いざ出演することにするまでの流れと、出てみたものの、それで何か変わったのかわからない数日間、またその過程で青が出会う女性たちを描いた物語。

俯瞰が欠如した街の映画である。悪い意味で言っていない。社会を描き出そうとする映画が社会を描く必要がないように、この映画では存分に"人"にフォーカスする。それがすべて。人がすべて。人の映画は街の映画になるし、街の映画は時代の映画になる。
その証拠に冒頭、夜の下北沢の路上に立つ荒川青を捉えたショットだけで涙ぐんでしまった。だってもうあの頃の下北沢はないから。好きだったお店もなくなってしまった。あの人ももういなくなってしまった。

期せずして2020年から2021年という完全に断絶された1年を跨いで延期されてしまった事実がこの映画が内包する「なかったことにしない」というテーマと共振する。
この一年でなくなってしまったものや場所のことも、なかったことにしないようにこの映画は在る。(時間、というのも大事なテーマである。留守電を使った時間差の演出やラストに回収されるケーキの描写も決まってる。)

人の映画である、を体現するように全ての出演者の魅力がむちゃくちゃに溢れている。若葉竜也はもちろんのこと、4人のメインキャスト女性陣は全員があまりに素晴らしすぎて全員好きになってしまう。
とりわけ城定イハを演じる中田青渚さんはまじでヤバい。ヤバいとしか形容できないヤバさ。あの眼球の引力よ。あの発話よ。イハの部屋での青との二人の会話長回しはまじでヤバい。部屋から出ていく彼女が去り際に残した台詞とその表情、カーテンを開けて朝日を浴びる彼女の表情、まじでとんでもないので絶対見てください。

なんだか久しぶりに満員の映画館で大爆笑する空気を味わった。この空間が好きだったなぁというのを思い出した。