anomeno

神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

どうしても忘れたい記憶よりも、どうしても忘れたくない記憶のほうが多いから

心配になるほどの耳鳴りも、振りすぎた首の痛みも、歩き疲れた足の痛みもすっかり消えた。10月14日の早朝、動き出した電車の吊革にしがみつきながら初めて後ろ向きに倒れかけるほどの眠気に襲われた。「全感覚祭渋谷」のことについて、どうしても書かなければいけないような気がした。本当に色んな感情で一杯になった。正直なことを言うと、終わった直後は楽しかったことよりも怒りや絶望のほうが大きかった。ありきたりでつまらない表現をするとしたら、あの日あの夜あの場所はいいことも悪いこともごちゃごちゃになった小さなこの国みたいだった。一週間たっていろんなことを冷静に思ったり考えたりできるようになってきたので、その日見たり聞いたり感じたりしたことの記録を。ライブそのものというよりはその日の記録を。

 

22時過ぎ、友達と道玄坂で一杯ひっかけてから会場に向かう。ちなみにその居酒屋にはBIM、VaVaちゃん、in-dなどCreative Drug Storeチームがいた。会場に着くとそこそこな人集り。ドリンク代を払ってエントリーIDと言うには少し心許ないスタンプを手の甲に押してもらう。一発目はどうしてもGEZANが見たかったのでクアトロに向かう。既に会場の外には列が出来ている。渋谷の若者たちが「これは何の列なんですか?」と聞くとドレッドの姉ちゃんが「ライブの列だよ!GEZANってバンドの!かっこいーからおにーさん達も見てきなよ!」と声をかける。思わず笑ってしまうくらい最高なシーン。台風の過ぎ去った渋谷の街は阿呆みたいに当たり前に煌々と電気が光り人で溢れている。ライブハウス前に並ぶ人の列の脇には500mlのストロングゼロを片手にサラリーマンじゃない人(©︎空気階段の踊り場)が座り込んでいる。自分が入った時点で既にクアトロは半分以上人で埋まっていて、それでもまだまだ列は続いている。ライブが終わって会場を出ても外には長い列が出来ていた。STUTSを見るために移動。O-EASTは入場規制されていて通りは人で溢れかえっている。たむろする人、それを移動させるスタッフ。横目にduoに入る。人は多いけどそこまででもない。続けてTHE NOVEMBERSを見る。いつもはあまり感じない異様な熱気と盛り上がり。その後規制の解除されたO-EASTに入るも、フロアの入り口からは人が溢れている。時間が押していたのでKID FRESINOの音だけを聞く。入れ替わるタイミングで中に入り2回目のGEZANを後ろから見る。上から下まで人はパンパン。折坂悠太を続けて見るために中に残っているとやっほーのライブが始まる。存在自体その場で初めて知ったのだけど超楽しかった。8bitのトラックに闇雲に叫ぶだけ。マイクの長いコードを引っ張りながらフロアを練り歩いたりダイブしたり観客のリュックを奪ったりしてた。みんな笑ってた。メインステージでサウンドチェックをする折坂悠太チームを脇目に奇々怪々なステージが繰り広げられるのはめちゃくちゃ面白かった。なぜかこのステージだけがYouTubeに多く動画が挙げられているのでぜひ。嵐のように過ぎ去ったやっほーの後で折坂悠太を初めて観て、最後のGEZANのステージを見るためにWWWに移動する。会場前に到着すると人が溢れていてスタッフが、会場が既に入場規制状態になっていること、そしてそれが解除される予定もないのでこれ以上待っても入れないことを告げている。自分と同じように諦めきれない多くの人がその場動かずに溜まる。警官が来て迷惑になるから客を帰させろとスタッフに注意する。このままだとイベントが中止になると告げるスタッフに自分含め多くの人が散り始めるも、後から後から人が来る。しかしまぁここにいてもどうしようもないので止むなく自分の全感覚祭はここで終了となった。既に始発も出ていたので友達とせっかくだから上野の北欧でひとっ風呂浴びようということになり電車に乗る。Twitterで全感覚祭で検索して見ると、その日自分の目には映らなかった様々なことを他人の呟きから目にする。

イベントの開始から1時間程でキャパは優に超え、参加自体が規制されたこと。それにより終電もなくなり行き場をなくした人々が多くいたこと。行き場をなくした人の中には路上で酒盛りを始めた人がいたこと。無料ということで集まった人の中には素行の良くない人が少なからずいたこと。ライブハウスの多くは入場規制となりほとんどライブが見れなかった人が数多くいたこと。それに不満の声を上げ主催者やGEZANを非難する人がいたこと。関係者パスを複数人で周して本来入場規制で入ることの出来ない会場に不正に入った人がいたこと。もちろんネットの海に流されている情報なんでどこまでが本当でどこまでが嘘かなんてのはわからない。しかし全感覚祭と銘打たれたイベントで少なからずこういうことが起きている。何故なんだろう。想像力は人間固有のものだ。行きたい場所があるならそこに行くためにどうするべきか、どう行動すべきかを考えるはずだ。もしもそれが計画通りに行かなかったら、諦めるしかないはずだ。諦めて後悔する、それもまた人間固有のものだと思う。投げ銭制、言ってしまえばフリーのイベントですら人は自分の思ったとおりの過ごしやすい快適さやおもてなしを求めてしまうんだろうか。いや、やっぱそんなのおかしくない???そりゃいろんな人がいるだろうよ。自分の感覚と違う人もいるだろうよ。でもそんなの想像できることでしょ???スクランブル交差点歩いてたら人が肩にぶつかるの一緒じゃん。わかってるなら避けて歩くかぶつかったらごめんなさいってだけでしょ?それでもぶつからない様に道を作り直せって言う訳????あーやだやだ。そんな国やだ。もう国外逃亡でもする?、なんて友達と上野に向かう道すがら愚痴をこぼして辟易としながら露天風呂に浸かった。ビルの隙間から見える空はどんよりしてて鳩が飛んでいてその空気が憂鬱に拍車をかけた。テレビから流れるめざましテレビの星座占いを数年ぶりに聴きながら北欧カレーを食べた。温泉に浸かってサウナに入ったことで疲れ切った身体はすっかりお休みモードになった。電車の中で猛烈眠くなりながら必死で吊革に掴まって家のベッドまでたどり着いた。泥のように眠った。

それでも、自分はやっぱりこういうことも含めて何かこのイベントが持ってる意味や尊さみたいなものを信じているので、会場とクラウドファンディングでお金という形でベットしてきた。もちろんそれは未来に賭けて。本当は何もない野っ原の会場でこの景色を見たかったけど、悲しいかな今年は猥雑な渋谷の夜の街でこの景色を見たことに意味があったように思えて仕方ない。