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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2021.12.08(ミラーボールはある)

割と全ての仕事を投げ出してスタジオコーストに向かった。風が強くて雨も降ってた。東京湾に架かる橋の上はより強い風が吹いていて、前を歩く人の傘はひっくり返っていた。自分はというと家から持ってきた自分の傘とは明らかに違う傘を持って歩いている。急いで会社を出て外に出たら明らかに太さが違うビニール傘を持っていた。どうか傘の絶対数だけは変わってないことを祈る。まだ雨の降る中会場に着いた。コーストがなくなったらもう本当に新木場に来ることなんてないだろうなと思う。謎の事情で残るほっかほっか亭の看板はもう見ることができない。そう。スタジオコーストに何を見にきたのかってD.A.N.のライブを観にきた。むちゃくちゃ良かった。ダンスという概念をいろんな角度から眺めるみたいな、そんな時間だった。D.A.N.の音楽が不思議なのは平熱なのに高揚できるところだと思う。冷めていると醒めているの絶妙な溝をついてくるような、今日もそんなライブだった。やっぱり自由に踊っている人の中にいるのは楽しい。どう見るかは本当にそれぞれの自由というのは前提として、自分はやっぱり棒立ちの人に囲まれるより、めちゃくちゃに動いてる人の中にいたいかも。この前の、カネコアヤノの武道館のライブで感じたあの高揚はなんだったのかいまだに考えることがあって、それは音楽の良さやライブの良さはもちろんだけど、あのラストのアーケードのイントロで客電が点いたときのあの歓声が漏れ出てしまう感じ。歓声がダメなのはわかっていながらもそれでも湧き出てしまう感情の結晶としての声や動きみたいな、そういうところを自分は信じたい。声出さないの守ってみんな偉い、っていうそれももちろんそうかも知れないけど、必要以上にそれを美化するよりも、いや。人ってもっと野生的でしょ。って思いたい。今だから言えるけど自分が波物語とかを批判する気持ちに全くなれなかったのは自分がそういう気持ちを持っていたからだと思う。いや、守らなきゃいけないこと守らなきゃいけないというのはそれはもちろん大事なこととしてね。まぁそんなことはよくて。やっぱ良かった。ライブってやっぱ良いなぁって心底思える空間だった。上を見上げたらでっかいスピーカーとミラーボールがあって、ここがなくなったらもう絶対見ることがない景色だと思った。心のどこかではそんなことにはならないんじゃないかみたいななんの根拠もない淡い希望みたいなものを実は持っていたりもする。

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