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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2021.08.14(こちら夏休み継続中)

昨夜も友達が泊まっていたので気付けば深夜まで話していた。朝9時ごろ起きた。午前中には帰ると言っていた友達は結局お昼ごろまでだらだらとしていて(自分も)、12時を回ったあたりで帰った。部屋が何日かぶりにもぬけの殻になって寂しくなった。連絡できなかった友達に電話したりした。虚しさを埋めるようにテアトル新宿に行って沖田修一の『子供はわかってあげない』を見た。本棚のすぐ取れる位置に絶対に置いておきたいと思うくらいに原作の漫画が大好きなので、先行公開中の劇場で見ておかねばという気持ちだった。来週から全国公開です。沖田修一が撮るのだから当たり前だけど、完全に沖田修一の映画になっていた。人と人が会話する時に生まれる、えっ?とかあっ、とかの非言語的な間とか、Tシャツの裾をいじったりする所在なさげな動作とか、沖田修一の映画のチャームが全体にあった。それが"高校2年生の夏休み"という間延びした、でも確かに時間が過ぎていく空気感と完全に同化していた。原作から切り捨てられた人物やストーリーも沢山あったけれど、潔く取捨選択されていて良かった。だからこそ終盤で不意に訪れる夏の終わりの瞬間(少しだけ子供から大人になる瞬間)に涙してしまうのだと思う。

そういう意味では、一人だらだらと好きなように生きている自分はずーっと夏休み最後の一週間を生きているみたいだ。まだ残った宿題に少しだけ焦りながら、でも見ないフリをして、いつかくるその終わりをズルして延長しながら生きてる。この一年、帰省できずに友達と会えなかったことで、最後のモラトリアムを奪われたような気がしてならない。会えない/会わない間に一人、また一人と夏休みを終えて、宿題を提出して新学期を始めている。扇風機にあたりながらアイスをかじって再放送のドラマを見ているのはいつのまにか自分だけなのかもしれない。

帰ってきてご飯を食べてお風呂に入った。『スーサイド・スクワッド』の前にガーディアンズを観ておきたくてvol.2を見始めるもどうしても眠くて中断して30分寝るつもりが2時間くらい寝てた。起きてこの記事を見た。

おおよそ自分が思うNetflix Japanに対しての不満のすべてが書かれていた。広告の内容や形態もさることながら日本独自コンテンツの内容は改めてかなり邪悪。でも、それこそ『全裸監督』と『大豆田とわ子と三人の元夫』を同じドラマとして同列に「おもしろい」と思う人って少なくないんだなあと最近気付かされたりもする。そりゃ人が何を見て何を思うかは自由だけど、本当に優れたものが割りを食うのだけは解せない。たしかにどちらも面白いのだろうけど、この場合『全裸監督』の内容が多分に問題が孕んでいるのは明白なわけで、それを無邪気に楽しむことの邪悪さあると思う。というか本来、比べて初めてどちらかの良さや悪さが浮かんでくるものなのでやっぱり批評は大事なんだと思う。そんな感じで自分の夏休み最後の夜が始まっては終わろうとしている。