anomeno

神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2019.08.17〜2019.08.18

17日

起きて髪を切りに行った。引っ越してきた土地でお気に入りの店を探していて新しいところに行ったのだけど今回は特にハマらなかった。何というか自分の浅はかな髪型へのこだわりみたいなものがまったく伝わっている感じがしない+めちゃくちゃやる気のなさみたいなものを感じてしまって結局全体的にちょっと短くなっただけで終わった。自分の希望を伝える能力がないのかとめちゃくちゃげんなりした。きっとこうなりたい!っていう写真とか具体的なイメージがあればいいんだろうけどなかなかそれが出来ない。というより自分に本当に似合うのかなんてわからないし自信もないから出来るだけ相談しながら決めたいのよね。結局前まで行ってたところに戻る感じになりそうだなあ。終わって修理に出してたiPhoneを受け取りに行く。夏の連休も終わりだってのにお店は壊れた携帯を持った人で溢れかえっていた。ぶらぶら本屋さんとかを見て帰ってくる。洗濯をして無印のカオマンガイを作った。炊き上がったときのあの香りがむちゃくちゃいい。TVでやってたENGEIグランドスラムを見ながら食べる。みんな面白かった。あんまり好きじゃなかったミキの漫才が新しい形になってて良かった。第7世代がたくさんフィーチャーされてて、かが屋→まんじゅう大帝国→マミィ→金属バットの流れが最高だった。これを地上波生の番組で見れるなんて。キングオブコントの準決勝進出者も発表されてて時代が進んでいる感じがしてワクワクする。Netflixの「全裸監督」を見る。超面白い。余計なものが何もない真っ当な映像作品。止められずに夜更かしして5話まで見た。

 

18日

ダラダラしてた。「全裸監督」を完走して抜け殻になりながら満島真之介に想いを馳せる。思い立ってふとんカバーを洗う。ギラギラと差す太陽の下で白い布を干しているとき、むちゃくちゃ夏を感じた。日が落ちてじめっとした中でそれを取り込むとき夏の終わりを感じた。たまってた録画の「べしゃり暮らし」の3話と4話を見る。まったく心が動かない。間宮祥太朗演じる圭祐はスベってるやつじゃなくて、お調子者の本当につまらないやつに見えてしまう。だから劇中でそれに才能を見出したり笑ったりしてる人たちを見ると白けてしまう。笑いをドラマにするのって難しいね。

日記を書きはじめてから3ヶ月になる。物事を続ける最初の壁だ。この連休中に友達に会ったりして直接「見てるよ」と言われるとめちゃくちゃ恥ずかしい。全裸を見られてるみたいなもんだと改めて思った。でも嬉しいのも事実だった。自分が書いているものが確かに誰かに読まれている。なんでこういう形で日記を書き始めようと思ったのか改めて考えてみた。自分は人の日記を見るのが好きだった。日記という形じゃなくていい。生活が見えるものと言ったほうがいいかもしれない。読んでいると現れるその人の暮らしの中にあるもの。作った料理や食べたもの。読んだ本や聞いている音楽や見ている映画。行ったところや出会った人。自分の暮らしの中にはないけれど、その人の暮らしを支えるものが無数にある。そういうものに触れたかった。そういうきっかけで出会って好きになったものがたくさんある。音楽や本はもちろん、サウナだってそう。「好き」は伝搬する。誰かの「好き」は思いがけず誰かのところに届いたりする。それはモノに限らず、形のない想いだってそうなんじゃないかと思う。自分もそんな流れのひとつになりたいのかもしれないと思った。自分の好きなものが誰かの好きなものになるのは実は結構すごいことで、そういうのって幸福なことだと思う。どうせ話すなら共通の嫌いなことより共通の好きなことの方が絶対にいい。とはいえ今後も誰かのために書くなんてことは毛頭なく、気の向くままにあったこと思ったことを書くだけ。何もなければ手を抜く日もあるよ。それが自分の暮らし。