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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

のどぬーるスプレーじゃなくてのどぬ〜るスプレー

ここ1週間ほど、異様に寝付きが悪い。1時間眠ったかと思うと暑くもないのに暑いみたいな感覚で起きたり、息苦しくもないのに息苦しくなって起きたりする。1時間ごとにその繰り返し。朝方になってようやく少しぐっすり寝れる。なにこれ。霊?霊なら会ってみたいもんだ。途中起きたときはあり得ないくらい目が冴えているので携帯をいじって普段見ないような動画を見たりしている。変なゲームの実況動画とか。

どんなパジャマきて、どんなふうに寝たらいいかもしっくりこない。半袖なのか、長袖なのか、あつめの掛け布団なのか、タオルケットなのか、エアコンはドライにした方がいいのか、何時間タイマーをつけたらいいのか。パラメータが多すぎる。実験計画法でやったほうがいいかな?

仕事も不安なことばかり。なのに早く帰らされる。明らかに時間が足りてない。同じ案件をやってる先輩(社内恋愛を告白してきた人)とやらなきゃいけないことを書き出していったら結果2人で頭を抱えた。もうその日は諦めて中華料理を一緒に食べに行った。よくわかんない野菜を炒めたやつと卵とエビの炒めものを食べて少しお酒を飲んだ。最後にもう一品なんか食べようか、と言われたので、おすすめに並んでる20品目くらいから「今食べたいものあててあげましょうか?」とチャレンジを志願した。思いつき。キムチ土鍋だった。あたり。やったぜ。雨の中帰った。

通勤中はずっと「空気階段の踊り場」を初回から追っている。今はやっともぐらに彼女ができて少したったくらい。ほんと面白い。2人とも愛らしい。先日、K-PRO主催のライブで空気階段を見ることができて「普段聴いてる声のあの人たちだ!」とめちゃくちゃ興奮してしまった。生のもぐらは小さくて丸かった。隣の席の女の子は反応からして、まんじゅう大帝国とラバーガールに明らかに熱を入れていた。ラバーガールはその日もバイトの休憩室が舞台のネタだった。かが屋のコントはもう貫禄じみてきてるというか、なかのZERO大ホールという大きな会場ながら全員が息を飲んで見入っている感じがした。男が市役所で働く年上の彼女に謝りにいく、という設定なのだけど途中ちょっと涙ぐんでしまうくらい良かった。

 

最近見た映画など。『宮本から君へ』このキャストこの監督じゃないと出来ないハイクオリティの映画ではある。おかしいくらいの熱量と歪さで出来ている。それ自体は讃えたいけど、映画の中で訴えることに付いていけなすぎて好きになれなかった。時間を置いて振り返ってみても、劇中のある悲劇の描き方が間違っているとしか思えない。こんなの正しくない。ただ、その正しくなさこそがこの映画の魅力なのかもしれないとも思ったり。

「アド・アストラ」実は生きてた父親を助けにいくために宇宙のめっちゃ遠くの星に行く、とか超大味の宇宙SFだろうと思って見に行ったものの180°違う映画だった。リブタイラーもトミーリージョーンズも120分中合計5分くらいしかスクリーンに映ってないんじゃないだろうか。そのかわりブラピは常にスクリーンのどこかに存在してる。ブラピ以外の物や人が言ってしまえばとても雑な方法でゆっくりと消し去られていく。そう、この映画の見所は宇宙の果てでたった1人になるというその寂しさ、虚しさだったのです。そのうえ「〜のために生きる」みたいな目的や帰る場所すら奪われてしまったら人はどうするのか。そのシーンを見ながら完全に鍵をなくして部屋に入れないときの自分の気持ちを思い出して胸が痛くなった。めっちゃ好き。

「ジョーカー」満を辞して、というか期待に応えるだけの凄い映画ではありながらそのあまりの凄さにちょっと実感が追い付かないのも事実。落ち込んだ、辛かった、考えさせられた、演技すごい、なんて言葉で終わらせてしまうのは勿体ない映画だと思う。もう少し考える余地がある気がする。それはこのシーンがなにそれを意図していて、とかそんな解釈ではなく(ここ最近考察という言葉が一番嫌いだ)、自分だったらどうなのか、日本だったらどうなのか、今2019年だったらあの物語ってどうなんだろう、とか。そんなことを見たいろんな人と話し合いたい。