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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2017年ベストムービー30 [11~20]

20. ラ・ラ・ランド

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夢追い人が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミア<エマ・ストーン>は女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。ある日、ミアは場末のバーでピアノを弾くセバスチャン<ライアン・ゴズリング>と出会う。彼はいつか自分の店を持ち、本格的なジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて二人は恋におち、互いの夢を応援し合うが、セバスチャンが生活のために加入したバンドが成功したことから二人の心はすれ違い始める……。

モノクロのシネスコープのロゴに色がつき画面がワイドに広がって行く。ハイウェイの渋滞に足を止める車から多種多様な音楽が流れる。そんな車から降りた人々が一つの音楽に合わせ踊りだす。底知れぬ映画への愛や、音楽への愛を感じるオープニングに開始早々涙ぐんでしまった。からのタイトルバック。完璧でしょもうこれ。ここだけで2000円払う価値あり。選ばれなかった未来や過去や選択肢への、こんなに幸せで楽しくて悲しいアプローチがあるだろうか。目も、耳も映画を観てる!っていう感覚で満たされる。劇場出た後は少し寂しいけどスキップしてしまうこと間違いなし。

 

 

19. ベイビー・ドライバー

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天才的なドライビング・センスを買われ、犯罪組織の“逃がし屋”として活躍する若きドライバー、通称「ベイビー」(アンセル・エルゴート)。彼の最高のテクニックを発揮するための小道具、それは完璧なプレイリストが揃っているiPod。子供のころの事故の後遺症で耳鳴りが激しい彼だが、音楽にノって外界から完璧に遮断されると、耳鳴りは消え、イカれたドライバーへと変貌する。ある日、運命の女の子デボラ(リリー・ジェームズ)と出会ってしまった彼は犯罪現場から足を洗うことを決意。しかし彼の才能を惜しむ組織のボス(ケヴィン・スペイシー)にデボラの存在を嗅ぎ付けられ、無謀な強盗に手を貸すことになり、彼の人生は脅かされ始める――。

カーアクションも音楽ももちろん絶品で、それだけでももうお腹いっぱいなのだけど、それだけじゃないところがもう、すごく好きだ。いや、ベイビーが背負ってるものってものすごく哀しくて重いものだと思うんだよね。そう見えにくいだけで。物語が進んで、徐々に彼が経験したことが分かってくると、冒頭の彼がBellbottomsに合わせてノリノリになるシーンとか、音楽に合わせて街を歩くシーンが猛烈に泣けて仕方なかった。彼の記憶の中の、自分の無力さを呪ってしまうほどの、絶望してしまうほどの過去は音楽によって確かに救われていたはず。というか音楽に縋るしかなかったはずなのだ。それは逃避(劇中によく出てくるキーワードでもある)なのだろうか?孤児としてこの世界を生きる彼と彼女が出会い2人だけの世界を目指す、その道が逃避行であっていいはずがない。彼らは逃げているんじゃない。これは前進する映画だ。それを阻むものがあるなら全力でぶっ飛ばすだけ。

 

 

18. パターソン

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ニュージャージー州パターソンに住むバス運転手のパターソン。彼の1日は朝、隣に眠る妻ローラにキスをして始まる。いつものように仕事に向かい、乗務をこなす中で、心に浮かぶ詩を秘密のノートに書きとめていく。帰宅して妻と夕食を取り、愛犬マーヴィンと夜の散歩。バーへ立ち寄り、1杯だけ飲んで帰宅しローラの隣で眠りにつく。そんな一見代わり映えのしない毎日。パターソンの日々を、ユニークな人々との交流と、思いがけない出会いと共に描く、ユーモアと優しさに溢れた7日間の物語。

ここ最近休日になると、何かしなきゃ、どこかに行かなきゃ、一人で部屋にいたら見えない何かに押しつぶされそう、と意味のない焦りを抱えてしまいがちな自分にとって、
自分の半径3メートル以内に少しだけ目を配ってみたり、少しだけ耳を澄ましてみる、繰り返しの日々に何かを見つけるその淡さというか、その輝かしさがぐっさり刺さった。そんなテーマと映画的手法が一致してるのも、もう言うことがない。穏やかなように見えて、当たり前と当たり前ではないことの表裏が浮かび上がる(バスのトラブルやバーの一件)のにもハッとさせられる。

 

 

17. 希望のかなた

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内戦が激化する故郷シリアを逃れた青年カーリドは、生き別れた妹を探して、偶然にも北欧フィンランドの首都ヘルシンキに流れつく。空爆で全てを失くした今、彼の唯一の望みは妹を見つけだすこと。ヨーロッパを悩ます難民危機のあおりか、この街でも差別や暴力にさらされるカーリドだったが、レストランのオーナーのヴィクストロムは彼に救いの手を差しのべ、自身のレストランに雇い入れる。そんなヴィクストロムもまた行きづまった過去を捨て、人生をやり直そうとしていた。それぞれの未来を探す2人はやがて“家族”となり、彼らの人生には希望の光がさし始める…。

あらゆるものの受け渡しによって映画が、映画の中の人物関係が出来上がっていく。もちろんただそれだけを切り取れば、ただの一動作でしかないものがこれだけ雄弁に物を語る様は、映画だなぁ。と思わされる。煙草、ライター、布団、身分証、犬、トランプ、とある荷物、客から預けられる上着、と細かいものまであげていたらキリがないほど。とりわけ、煙草に火を灯す動作は、消えてしまいそうな小さな存在を確かなものにする。そして音楽。いつだってカーリドの周りには音楽がある。本作に含まれるユーモアもそう。どんな苦しい状況であれ、いつだって音楽やユーモアは周りにあふれていて、それに気付いて楽しむことこそ人間の根源的な活力なのだと讃える。そんな映画がすごく好きだ。

 

 

16. 哭声 コクソン

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平和な田舎の村に、得体の知れないよそ者がやってくる。彼がいつ、そしてなぜこの村に来たのかを誰も知らない。この男につい ての謎めいた噂が広がるにつれて、村人が自身の家族を残虐に殺す事件が多発していく。そして必ず殺人を犯した村人は、濁った 眼に湿疹で爛れた肌をして、言葉を発することもできない状態で現場にいるのだ。事件を担当する村の警官ジョングは、ある日自分の娘に、殺人犯たちと同じ湿疹があることに気付く。ジョングは娘を救うためによそ者を追い詰めていくが、そのことで村は混乱の渦となっていき、誰も想像できない結末へと走り出す――

いやあ…これは。これはとんでもないですわ…。ホラーあり、ゾンビあり、コメディありと2時間30分退屈な場面が全くない。非現実的な描写があったかと思えば、ガソリンスタンドにカットが切り替わって一気に現実に引き戻されたり、雨と陽光が切り替わり入り混じり不安感を煽ったり、最後にはその境界すら曖昧になっていく。「信じる/信じない」という一点に関して言えば「怒り」という作品に自分が見たかったものはこの映画の中にある気がする。

 

 

15. 20センチュリー・ウーマン

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1979年、サンタバーバラ。シングルマザーのドロシア(アネット・ベニング)は、思春期を迎える息子ジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)の教育に悩んでいた。ある日ドロシアはルームシェアで暮らすパンクな写真家アビー (グレタ・ガーウィグ)と、近所に住む幼馴染みで友達以上恋人末満の関係ジュリー (エル・ファニング)「複雑な時代を生きるのは難しい。彼を助けてやって」とお願いする。15歳のジェイミーと、彼女たちの特別な夏がはじまった

ドラマ「カルテット」や、直近で言えば「ガーディアンズオブギャラクシー vol.2」で描かれたような血を超えた共同体の形成の話になっていくのかと思いきや、ある種それを超えたものを見た気がする。時代設定は1979年のはずなのに描いているものは完全に現代的というかもう一歩先まで行ってしまっているというか。例えば音楽の趣味にしたって、ファッションにしたって、考え方にしたって周りの何かの影響を受けてちょっとずつ変わったり、変わらなかったりすると思うんです。「自分を作るのは他人だ」という考えが自分はすごく好きで、そんな風に生きてます。共同体という名の「誰かと生きること」は大事なのは確かだ。でも、あるときに誰かといたこと、その誰かから影響を受けて「受け継いだもの」こそ脈々と繋がるバトンとなって、ひいては「誰かがいたこと」の証になっていくのだと思うと、それはもっともっとかけがえのないものに感じる。言うなれば、この映画こそ1979年から2017年に届いたバトンじゃないか。小沢健二天使たちのシーンがテーマを言い当てているようで、引用するなら「愛すべき生まれて育ってくサークル 君や僕をつないでる緩やかな止まらないルール」でしょう。物語としてはいくらでもエモーショナルに描ける要素はあるのだけど、ひたすら淡白に。そもそも誰かの死が感動の頂点になるのって、やっぱり悲しいと思う。だからいろいろと言ったけれど、何よりこの映画の素晴らしいのは、ラストで描かれる彼女の笑顔こそがエモーションの頂点になっているところだと思う。

 

 

14. T2 トレインスポッティング

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スコットランドエディンバラ。大金を持ち逃げし 20 年ぶりにオランダからこの地に 舞い戻ってきたマーク・レントン(ユアン・マクレガー)。表向きはパブを経営しながら、 売春、ゆすりを稼業とするシック・ボーイ(ジョニー・リー・ミラー)。家族に愛想を尽か され、孤独に絶望しているスパッド(ユエン・ブレムナー)。刑務所に服役中のベグビー (ロバート・カーライル)。想像通り?モノ分かりの良い大人になれずに荒んだ人生を疾 走する彼らの再会、そして彼らが選ぶ未来とはー。

ランニングマシンの上を走る人々を捉える映画の幕開けからしてこの続編のスタンスが伺える。前作がどんな風に始まったかを思い出してほしい。町を颯爽と駆け抜ける青年たちとは対照的に、走るという行為すらどこか統制されている。そして20年前に“ハイ”だった若者は現代では決まって何かしらの不全を抱えている。映画の演出も同様。なかなかこちらが気持ちよくなれる音楽や演出はあと少し、というところでシャットアウトされる。Born Slippyの使い方なんてまさにそうで、"あの時"をフラッシュバックするときにしか流れない。あれは過去なのだ。彼らが生きているのは現在なのであって、かつての過ちに決着をつけて今を生きる=走り出す=イギーポップのLust For Lifeが流れるという一連の流れこそまさしくこの映画に求めていた高揚感だ。現代を生きる若者であるベロニカを軸として4人が動いていく作りも良い。前作オマージュも過剰すぎないところが良い。前作にあった圧倒的な魅力は失われて"普通に面白い映画"になったと言ってしまうことも出来るけど、上がりきったハードルをこの形で越えてくるとは思わなかった。最高の続編です。

 

 

13. スイス・アーミー・マン

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無人島で助けを求める孤独な青年ハンク(ポール・ダノ)。いくら待てども助けが来ず、絶望の淵で自ら命を絶とうとしたまさにその時、波打ち際に男の死体(ダニエル・ラドクリフ)が流れ着く。ハンクは、その死体からガスが出ており、浮力を持っていることに気付く。まさかと思ったが、その力は次第に強まり、死体が勢いよく沖へと動きだす。ハンクは意を決してその死体にまたがるとジェットスキーのように発進。無人島を脱出しようと試みるのだが…。果たして2人は無事に家へとたどり着くことができるのか―!?

手際よくいきなり無人島の死体発見シーンから始めてんじゃねえよ!放屁ボートと同時にタイトルバックを超かっこいいタイミングで出してんじゃねえよ!泣きたくなるようなダンスシーンを細かいカットで見せてんじゃねえよ!あの日見れなかった走馬灯をもう一人の自分が去った瞬間に見せてハンクのアイデンティティの確立を表現しようたって無駄だからな!それをもう一度放屁のシーンでユニークに誤魔化すなんて逃げだ!いい映画風にそれを見る一人一人のカットを割るんじゃねえ!最高かよ!!!!!!まじで制作チーム一週間寝てない状態でアイデア出ししたんじゃないかってくらいふざけ倒して最高な90分でした。

 

 

12. 三度目の殺人

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勝利にこだわる弁護士重盛(福山)が、やむをえず弁護を担当することになったのは、30年前にも殺人の前科がある三隅(役所)。解雇された工場の社長を殺し、死体に火をつけた容疑で起訴されている。犯行も自供し、このままだと死刑はまぬがれない。はじめから「負け」が決まったような裁判だったが、三隅に会うたび重盛の中で確信が揺らいでいく。三隅の動機が希薄なのだ。 彼はなぜ殺したのか?本当に彼が殺したのか?重盛の視点で絡んだ人間たちの糸を一つ一つ紐解いていくと、それまでみえていた事実が次々と変容していく―。心揺さぶる法廷サスペンス。

真実を煙にまくグレーな物語とか、是枝さん「カルテット」相当お気に入りみたいだったし影響を受けた部分もあるんだろうか。つまり、ここで言う"犯人はだれなのか"とか"三隅は殺人を犯したのか"という真相は隠されているというよりも、そもそも答えなんてないのではないだろうか。劇中の台詞を引用するなら、そもそもこの映画自体が「器」であって、そこに何を入れるかは見ている人次第のような気がする。もっと身近なことでいうなら「嘘だけど嘘じゃない」とか、逆に「嘘じゃないけど嘘」みたいなことってありません?劇中に登場する事務の女性が焼死体の写真を見た後に「当分焼肉食べれないわ」と言ったあとに何食わぬ顔で焼肉を食べていたり、犯行現場では遺体に手も合わせない重森がペットの魚(カクレクマノミ=ニモ!)のお墓を作ってあげろと娘に話していたり、矛盾や相反することって普通に誰にだってあることだと思うんです。食事のシーンもそう。ゼリーとカロリーメイト、牛丼と味噌汁、カステラとお茶、パンとピーナッツクリーム、パスタ(乾麺)を茹でる、固形物と流動物は決まってセットで配置される。真実も嘘もどちら同じだけそこに存在する。ただそれだけ。裁きの象徴のように登場する「十字架」も垂直に交わる2つの線。その交わりの中、鏡合わせの面会室の境界が次第に消えていくとき、三度目の殺人が成される。それが彼にとっての救いか、罰か、裁きか、それはもちろん煙のなか。

 

 

11. ゲット・アウト

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ニューヨークに暮らすアフリカ系アメリカ人の写真家クリスは、ある週末に白人の彼女ローズの実家に招待される。若干の不安とは裏腹に、過剰なまでの歓迎を受けるものの、黒人の使用人がいることに妙な違和感を覚える。その夜、庭を猛スピードで走り去る管理人と窓ガラスに映る自分の姿をじっと見つめる家政婦を目撃し、動揺するクリス。翌日、亡くなったローズの祖父を讃えるパーティに多くの友人が集まるが、何故か白人ばかりで気が滅入ってしまう。そんななか、どこか古風な黒人の若者を発見し、思わず携帯で撮影すると、フラッシュが焚かれた瞬間、彼は鼻から血を流しながら急に豹変し、「出ていけ!」と襲い掛かってくる。“何かがおかしい”と感じたクリスは、ローズと一緒に実家から出ようするが・・・。

「ヴィジット」「It Follws」あたりから連なる現代ホラーの系譜がこんな形で表現されるとは。「笑い」と「恐怖」という相反するようで実はとても近くにある感情を矢継ぎ早に、もしくは同時に引き出されてしまう。「人種差別」が中心にあるとは思うのだけど、家族、親族、もしくはご近所でしか通じない所謂「身内ノリ」によそ者が放り込まれるとこうなると捉えた方が身近で超怖い。