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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2022.01.16(OKです)

金曜日から、いや正確には木曜日の夜からがっつり体調を崩していた。そういうことかと思って念のために検査したけどそういうことではなかった。でももう半分そうなんじゃないかという気持ちでずーっと引きこもって寝ていた。明らかにこれは異常だと思ったのは、仕事をしていても普通じゃない眠気というか意識が飛ぶレベルの睡魔が襲ってくることが多々あって、それプラス喉の腫れとダルさが出てきたのでやばいと思ってそこから今に至る。熱こそ全くないし食欲も普通にあるので何より辛いのは、喉の腫れで息苦しくてまともに寝れないこと。多分よく見るうなされてる人になってたはず。録音しとけばよかった。とりあえず薬を飲み続け回復したので土日はずーっと家でためていたラジオを聞いたり、ドラマを見たりしていた。アルコ&ピースdcガレージの年に一回かならず訪れるディーンのHistory Makerは毎年音の圧がやばくてびびる。あれは背骨が溶ける。ハライチのターンのうぐいすの鳴き声のめっちゃ好きなんだけど今年あったのかはまだ確認できていない。ドラマは『恋せぬふたり』『ミステリと言う勿れ』を見た。どっちも普通に面白い。Netflixで今さら『浅草キッド』を見た。正直舐めてたけど普通に面白い。これは単純に好みだけど、自伝の映像化はもっと対象に対して批判的な目線を入れるべきなのでは?と思ってしまう。ただ単に崇めるだけだと作品として別の側面がないように思えてしまう。あとは、結局その人を陰で支え続けた女性がとても形式的に描かれてしまうのは全部がそうすぎてさすがにいくらなんでも食傷気味になる。火花からはじめまり全部そうじゃん。最近、松本花奈『明け方の若者たち』『ある夜、彼女は明け方を想う』を見ても強く思ったことではあるけど、物語の中の人物たちが損をしてるように見えるのは結局作り手の欺瞞がそこに表れているからでしかないと思う。物語の中で生きる彼や彼女に罪はない。悪いのは作り手でしかない。そんなの悲しすぎると思う。

2022.01.14(好きな本屋さん)

 

私の好きな本屋さんがなくなってしまう。本当に信じられない、とても受け止め難い。

冗談抜きで世界で一番好きな本屋さんだった。それは人が営んでいるお店だと思ったから。人の意志のあるところだと思ったから。本の並べ方ひとつにしたって、何の隣に何を置くのか。それをどう置くのか。どんなふうに紹介するのか。どうしたって人が営んでいたら溢れててしまう人の意思がHIBIYA COTTAGEには感じられて、それが何より好きだった。同じ本を買うにしたって、他の本屋さんじゃなくてここで買いたいと思わせられるようなそんな場所だった。日比谷のTOHOやシャンテ、有楽町で映画を見た後には、別に目当ての本がなくたって自然と足が向いてしまうような、そんな場所だった。

自分が置いておいて欲しいと思う本が然るべき場所にちゃんと置いてあって、なおかつその隣には自分が読んだことのない、手を取りたくなる本が置いてあるって、そんな場所があるってことはこんなに幸せなことはないと思うんです。とてもセンシティブな話かもしれないけど、コロナウイルスのワクチンの危険性みたいなものについて説く本があるとして、それをどう置くのかって本当にその店を営んでいる人の意思でしかないと思う。自分だったらレジ前にそういう本のスペースをでかでかと取っている本屋さんよりもそうでない本屋さんで買い物をしたい。なぜなら自分にだって買う側としての意志があるしそれには自覚的でいたいから。

しかし、なぜかそういう場所から順に無くなっていってるような気がしてならない。今回の件がどういう理由なのかは全くわからない。でも自分が好んで足を運んでいた場所がひとつなくなるという、それだけが確かな事実としてある。辛いな。めちゃくちゃ悲しい。いくらどんなに品揃えのいい本屋さんがあったって代えられない。かけがえのない場所がひとつなくなる。