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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

GIRL AT THE BUS STOP - 『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう/第2話』

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先週録画した第1話を何度か見かえし、また涙ぐみ、これはブルーレイディスクに永久保存だなと思った矢先、レコーダーがぶっ壊れてしまった。さいあく。

ということで、第1話を見た興奮度はこちらに。年間ベスト記事とかとは比べ物にならないくらいのアクセスがあって正直驚いた。どっから見つけてきて見ているんだろう。

2011年の1月・東京に舞台を移した第2話。主役の二人である音と練のみに焦点を絞った第1話と比べて、今回は二人に関わる人物の大まかな位置関係の説明の役割もこなしつつも、やはり中心にいるのは二人。彼と彼女が再会を果たすまでがメインとなった。「雪が谷大塚」に住む二人。同じ町に住んでいるのに二人は逢えない。音は電車で職場の老人ホームに向かい、練はバスに乗って引越し業者の事務所へと向かう。二人が味わうのは種類は同じなのに対極にあるような「理不尽さ」。高橋一生演じる先輩・佐引さんと同僚の言葉の通じない理屈。腕立て300回できるかどうかで序列が決まってしまうそんな世界。対して音の働く老人ホームにいるのは、棘のない言葉に見せてとんでもないことを言う上司とくる。タイムカードのくだりとか「負けないで」とか心底ゾッとする。そんな風に二人は形の違う圧迫を受けながら同じ街に住む。

この会える/会えないのフックとなっているのが「コインランドリー」だろう。最初は別々のコインランドリーに通っていた二人。まずそれが些細なきっかけで一つの場所になる。だからと言って二人はそこで遭遇するわけではない。別々の時間に同じ場所に来て、同じものを目にして、同じことを感じるのだ。正直このシーンを見てもう今週は会わなくてもいいよ!むしろ会わないでくれ!せめて信号よちょうどよく変わらないでくれ!とさえ思った。そのくらい二人の会えなさを愛でてしまった自分がいるのだけど、その一つ一つが二人を確実に近づけていく要素だったんだろう。では、なぜこうも会えなかった二人が会えてしまったのか。これは確信を持って言える。「同じ道を歩いた」からではないだろうか。長引く仕事で終電を逃した音は深夜バスで雪が谷大塚に帰ることになる。それは練がずっと乗り続けたバスであり、彼の歩いた道だからだろう。そして決定的に二人を結びつけたのは柴犬。彼もまた「みなしご」なのだ。そして、バス停をきっかけに男女が再会するなんて、どうしたってこれを思い出すじゃないですか。

 

物語の流れとして、ここで終わっても充分よかったと思うのだけど1話に対するアンサーかのように今度は練と祖父の対話が用意される。ただし、対話と言っても電話口の向こうの声はこちらには聞こえない。それでもそれを対話として成立させる高良健吾の演技にはもうお手上げ。正直なぜ彼がこのタイミングで電話をかけるに至ったかについては納得できる答えを出せていない。でも電話をする彼を音に見せる必要はあったと思う。この瞬間まで「引越し屋さん」でしかなかった一人の男に名前がつき、それと同時に彼のルーツが滲み出すことでようやく二人の「恋」が始まっていくのだから。ただそうなってしまうと、あのファミレスでのお互いを知らない二人のときめきに溢れたあの会話はもう聞けなくなるんだろうか。

 東京という街にある種縛られた人たちはかつて自分が使っていた言葉を忘れていくのかもしれない。それでも思い出すわけでもなく、不意に自分の中から出てくる言葉が「方言」であり、切っても切れない過去なんじゃないか。そんな過去に後ろから呼び戻されそうになるけど、ここで生きると決めた街に根を張ろうとする。練が静恵さんの家の庭にたくさんの花を植えるのも、音がベランダに植木鉢を置くのもきっとそういうことなんじゃないだろうか。

あと、もう一つ。すごく好きな演出があったのが練と木穂子がレストランで会計をするシーン。小銭"しか"持っていない練に対して、木穂子は小銭"が"ない。二人とも結局は丁度よく払うことができないというところに、どこか噛み合わない関係が現れていてよかった。木穂子の「恋は衣食住の順番でくる」もよかった。

 と、ここまで書いてやはり音と練にばかり持って行かれてしまった。(主役だからいいのかもしれないけど)西島さんの良さはまだまだこれからだなあと感じた。そして2011年3月をこれから迎えるということが、何かしらの変化をもたらすことは決まりなのだろうけど、もうすでにただただみんなが幸せになってほしいという気持ちでいっぱい。