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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2017年ベストムービー30 [11~20]

20. ラ・ラ・ランド

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夢追い人が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミア<エマ・ストーン>は女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。ある日、ミアは場末のバーでピアノを弾くセバスチャン<ライアン・ゴズリング>と出会う。彼はいつか自分の店を持ち、本格的なジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて二人は恋におち、互いの夢を応援し合うが、セバスチャンが生活のために加入したバンドが成功したことから二人の心はすれ違い始める……。

モノクロのシネスコープのロゴに色がつき画面がワイドに広がって行く。ハイウェイの渋滞に足を止める車から多種多様な音楽が流れる。そんな車から降りた人々が一つの音楽に合わせ踊りだす。底知れぬ映画への愛や、音楽への愛を感じるオープニングに開始早々涙ぐんでしまった。からのタイトルバック。完璧でしょもうこれ。ここだけで2000円払う価値あり。選ばれなかった未来や過去や選択肢への、こんなに幸せで楽しくて悲しいアプローチがあるだろうか。目も、耳も映画を観てる!っていう感覚で満たされる。劇場出た後は少し寂しいけどスキップしてしまうこと間違いなし。

 

 

19. ベイビー・ドライバー

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天才的なドライビング・センスを買われ、犯罪組織の“逃がし屋”として活躍する若きドライバー、通称「ベイビー」(アンセル・エルゴート)。彼の最高のテクニックを発揮するための小道具、それは完璧なプレイリストが揃っているiPod。子供のころの事故の後遺症で耳鳴りが激しい彼だが、音楽にノって外界から完璧に遮断されると、耳鳴りは消え、イカれたドライバーへと変貌する。ある日、運命の女の子デボラ(リリー・ジェームズ)と出会ってしまった彼は犯罪現場から足を洗うことを決意。しかし彼の才能を惜しむ組織のボス(ケヴィン・スペイシー)にデボラの存在を嗅ぎ付けられ、無謀な強盗に手を貸すことになり、彼の人生は脅かされ始める――。

カーアクションも音楽ももちろん絶品で、それだけでももうお腹いっぱいなのだけど、それだけじゃないところがもう、すごく好きだ。いや、ベイビーが背負ってるものってものすごく哀しくて重いものだと思うんだよね。そう見えにくいだけで。物語が進んで、徐々に彼が経験したことが分かってくると、冒頭の彼がBellbottomsに合わせてノリノリになるシーンとか、音楽に合わせて街を歩くシーンが猛烈に泣けて仕方なかった。彼の記憶の中の、自分の無力さを呪ってしまうほどの、絶望してしまうほどの過去は音楽によって確かに救われていたはず。というか音楽に縋るしかなかったはずなのだ。それは逃避(劇中によく出てくるキーワードでもある)なのだろうか?孤児としてこの世界を生きる彼と彼女が出会い2人だけの世界を目指す、その道が逃避行であっていいはずがない。彼らは逃げているんじゃない。これは前進する映画だ。それを阻むものがあるなら全力でぶっ飛ばすだけ。

 

 

18. パターソン

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ニュージャージー州パターソンに住むバス運転手のパターソン。彼の1日は朝、隣に眠る妻ローラにキスをして始まる。いつものように仕事に向かい、乗務をこなす中で、心に浮かぶ詩を秘密のノートに書きとめていく。帰宅して妻と夕食を取り、愛犬マーヴィンと夜の散歩。バーへ立ち寄り、1杯だけ飲んで帰宅しローラの隣で眠りにつく。そんな一見代わり映えのしない毎日。パターソンの日々を、ユニークな人々との交流と、思いがけない出会いと共に描く、ユーモアと優しさに溢れた7日間の物語。

ここ最近休日になると、何かしなきゃ、どこかに行かなきゃ、一人で部屋にいたら見えない何かに押しつぶされそう、と意味のない焦りを抱えてしまいがちな自分にとって、
自分の半径3メートル以内に少しだけ目を配ってみたり、少しだけ耳を澄ましてみる、繰り返しの日々に何かを見つけるその淡さというか、その輝かしさがぐっさり刺さった。そんなテーマと映画的手法が一致してるのも、もう言うことがない。穏やかなように見えて、当たり前と当たり前ではないことの表裏が浮かび上がる(バスのトラブルやバーの一件)のにもハッとさせられる。

 

 

17. 希望のかなた

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内戦が激化する故郷シリアを逃れた青年カーリドは、生き別れた妹を探して、偶然にも北欧フィンランドの首都ヘルシンキに流れつく。空爆で全てを失くした今、彼の唯一の望みは妹を見つけだすこと。ヨーロッパを悩ます難民危機のあおりか、この街でも差別や暴力にさらされるカーリドだったが、レストランのオーナーのヴィクストロムは彼に救いの手を差しのべ、自身のレストランに雇い入れる。そんなヴィクストロムもまた行きづまった過去を捨て、人生をやり直そうとしていた。それぞれの未来を探す2人はやがて“家族”となり、彼らの人生には希望の光がさし始める…。

あらゆるものの受け渡しによって映画が、映画の中の人物関係が出来上がっていく。もちろんただそれだけを切り取れば、ただの一動作でしかないものがこれだけ雄弁に物を語る様は、映画だなぁ。と思わされる。煙草、ライター、布団、身分証、犬、トランプ、とある荷物、客から預けられる上着、と細かいものまであげていたらキリがないほど。とりわけ、煙草に火を灯す動作は、消えてしまいそうな小さな存在を確かなものにする。そして音楽。いつだってカーリドの周りには音楽がある。本作に含まれるユーモアもそう。どんな苦しい状況であれ、いつだって音楽やユーモアは周りにあふれていて、それに気付いて楽しむことこそ人間の根源的な活力なのだと讃える。そんな映画がすごく好きだ。

 

 

16. 哭声 コクソン

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平和な田舎の村に、得体の知れないよそ者がやってくる。彼がいつ、そしてなぜこの村に来たのかを誰も知らない。この男につい ての謎めいた噂が広がるにつれて、村人が自身の家族を残虐に殺す事件が多発していく。そして必ず殺人を犯した村人は、濁った 眼に湿疹で爛れた肌をして、言葉を発することもできない状態で現場にいるのだ。事件を担当する村の警官ジョングは、ある日自分の娘に、殺人犯たちと同じ湿疹があることに気付く。ジョングは娘を救うためによそ者を追い詰めていくが、そのことで村は混乱の渦となっていき、誰も想像できない結末へと走り出す――

いやあ…これは。これはとんでもないですわ…。ホラーあり、ゾンビあり、コメディありと2時間30分退屈な場面が全くない。非現実的な描写があったかと思えば、ガソリンスタンドにカットが切り替わって一気に現実に引き戻されたり、雨と陽光が切り替わり入り混じり不安感を煽ったり、最後にはその境界すら曖昧になっていく。「信じる/信じない」という一点に関して言えば「怒り」という作品に自分が見たかったものはこの映画の中にある気がする。

 

 

15. 20センチュリー・ウーマン

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1979年、サンタバーバラ。シングルマザーのドロシア(アネット・ベニング)は、思春期を迎える息子ジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)の教育に悩んでいた。ある日ドロシアはルームシェアで暮らすパンクな写真家アビー (グレタ・ガーウィグ)と、近所に住む幼馴染みで友達以上恋人末満の関係ジュリー (エル・ファニング)「複雑な時代を生きるのは難しい。彼を助けてやって」とお願いする。15歳のジェイミーと、彼女たちの特別な夏がはじまった

ドラマ「カルテット」や、直近で言えば「ガーディアンズオブギャラクシー vol.2」で描かれたような血を超えた共同体の形成の話になっていくのかと思いきや、ある種それを超えたものを見た気がする。時代設定は1979年のはずなのに描いているものは完全に現代的というかもう一歩先まで行ってしまっているというか。例えば音楽の趣味にしたって、ファッションにしたって、考え方にしたって周りの何かの影響を受けてちょっとずつ変わったり、変わらなかったりすると思うんです。「自分を作るのは他人だ」という考えが自分はすごく好きで、そんな風に生きてます。共同体という名の「誰かと生きること」は大事なのは確かだ。でも、あるときに誰かといたこと、その誰かから影響を受けて「受け継いだもの」こそ脈々と繋がるバトンとなって、ひいては「誰かがいたこと」の証になっていくのだと思うと、それはもっともっとかけがえのないものに感じる。言うなれば、この映画こそ1979年から2017年に届いたバトンじゃないか。小沢健二天使たちのシーンがテーマを言い当てているようで、引用するなら「愛すべき生まれて育ってくサークル 君や僕をつないでる緩やかな止まらないルール」でしょう。物語としてはいくらでもエモーショナルに描ける要素はあるのだけど、ひたすら淡白に。そもそも誰かの死が感動の頂点になるのって、やっぱり悲しいと思う。だからいろいろと言ったけれど、何よりこの映画の素晴らしいのは、ラストで描かれる彼女の笑顔こそがエモーションの頂点になっているところだと思う。

 

 

14. T2 トレインスポッティング

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スコットランドエディンバラ。大金を持ち逃げし 20 年ぶりにオランダからこの地に 舞い戻ってきたマーク・レントン(ユアン・マクレガー)。表向きはパブを経営しながら、 売春、ゆすりを稼業とするシック・ボーイ(ジョニー・リー・ミラー)。家族に愛想を尽か され、孤独に絶望しているスパッド(ユエン・ブレムナー)。刑務所に服役中のベグビー (ロバート・カーライル)。想像通り?モノ分かりの良い大人になれずに荒んだ人生を疾 走する彼らの再会、そして彼らが選ぶ未来とはー。

ランニングマシンの上を走る人々を捉える映画の幕開けからしてこの続編のスタンスが伺える。前作がどんな風に始まったかを思い出してほしい。町を颯爽と駆け抜ける青年たちとは対照的に、走るという行為すらどこか統制されている。そして20年前に“ハイ”だった若者は現代では決まって何かしらの不全を抱えている。映画の演出も同様。なかなかこちらが気持ちよくなれる音楽や演出はあと少し、というところでシャットアウトされる。Born Slippyの使い方なんてまさにそうで、"あの時"をフラッシュバックするときにしか流れない。あれは過去なのだ。彼らが生きているのは現在なのであって、かつての過ちに決着をつけて今を生きる=走り出す=イギーポップのLust For Lifeが流れるという一連の流れこそまさしくこの映画に求めていた高揚感だ。現代を生きる若者であるベロニカを軸として4人が動いていく作りも良い。前作オマージュも過剰すぎないところが良い。前作にあった圧倒的な魅力は失われて"普通に面白い映画"になったと言ってしまうことも出来るけど、上がりきったハードルをこの形で越えてくるとは思わなかった。最高の続編です。

 

 

13. スイス・アーミー・マン

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無人島で助けを求める孤独な青年ハンク(ポール・ダノ)。いくら待てども助けが来ず、絶望の淵で自ら命を絶とうとしたまさにその時、波打ち際に男の死体(ダニエル・ラドクリフ)が流れ着く。ハンクは、その死体からガスが出ており、浮力を持っていることに気付く。まさかと思ったが、その力は次第に強まり、死体が勢いよく沖へと動きだす。ハンクは意を決してその死体にまたがるとジェットスキーのように発進。無人島を脱出しようと試みるのだが…。果たして2人は無事に家へとたどり着くことができるのか―!?

手際よくいきなり無人島の死体発見シーンから始めてんじゃねえよ!放屁ボートと同時にタイトルバックを超かっこいいタイミングで出してんじゃねえよ!泣きたくなるようなダンスシーンを細かいカットで見せてんじゃねえよ!あの日見れなかった走馬灯をもう一人の自分が去った瞬間に見せてハンクのアイデンティティの確立を表現しようたって無駄だからな!それをもう一度放屁のシーンでユニークに誤魔化すなんて逃げだ!いい映画風にそれを見る一人一人のカットを割るんじゃねえ!最高かよ!!!!!!まじで制作チーム一週間寝てない状態でアイデア出ししたんじゃないかってくらいふざけ倒して最高な90分でした。

 

 

12. 三度目の殺人

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勝利にこだわる弁護士重盛(福山)が、やむをえず弁護を担当することになったのは、30年前にも殺人の前科がある三隅(役所)。解雇された工場の社長を殺し、死体に火をつけた容疑で起訴されている。犯行も自供し、このままだと死刑はまぬがれない。はじめから「負け」が決まったような裁判だったが、三隅に会うたび重盛の中で確信が揺らいでいく。三隅の動機が希薄なのだ。 彼はなぜ殺したのか?本当に彼が殺したのか?重盛の視点で絡んだ人間たちの糸を一つ一つ紐解いていくと、それまでみえていた事実が次々と変容していく―。心揺さぶる法廷サスペンス。

真実を煙にまくグレーな物語とか、是枝さん「カルテット」相当お気に入りみたいだったし影響を受けた部分もあるんだろうか。つまり、ここで言う"犯人はだれなのか"とか"三隅は殺人を犯したのか"という真相は隠されているというよりも、そもそも答えなんてないのではないだろうか。劇中の台詞を引用するなら、そもそもこの映画自体が「器」であって、そこに何を入れるかは見ている人次第のような気がする。もっと身近なことでいうなら「嘘だけど嘘じゃない」とか、逆に「嘘じゃないけど嘘」みたいなことってありません?劇中に登場する事務の女性が焼死体の写真を見た後に「当分焼肉食べれないわ」と言ったあとに何食わぬ顔で焼肉を食べていたり、犯行現場では遺体に手も合わせない重森がペットの魚(カクレクマノミ=ニモ!)のお墓を作ってあげろと娘に話していたり、矛盾や相反することって普通に誰にだってあることだと思うんです。食事のシーンもそう。ゼリーとカロリーメイト、牛丼と味噌汁、カステラとお茶、パンとピーナッツクリーム、パスタ(乾麺)を茹でる、固形物と流動物は決まってセットで配置される。真実も嘘もどちら同じだけそこに存在する。ただそれだけ。裁きの象徴のように登場する「十字架」も垂直に交わる2つの線。その交わりの中、鏡合わせの面会室の境界が次第に消えていくとき、三度目の殺人が成される。それが彼にとっての救いか、罰か、裁きか、それはもちろん煙のなか。

 

 

11. ゲット・アウト

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ニューヨークに暮らすアフリカ系アメリカ人の写真家クリスは、ある週末に白人の彼女ローズの実家に招待される。若干の不安とは裏腹に、過剰なまでの歓迎を受けるものの、黒人の使用人がいることに妙な違和感を覚える。その夜、庭を猛スピードで走り去る管理人と窓ガラスに映る自分の姿をじっと見つめる家政婦を目撃し、動揺するクリス。翌日、亡くなったローズの祖父を讃えるパーティに多くの友人が集まるが、何故か白人ばかりで気が滅入ってしまう。そんななか、どこか古風な黒人の若者を発見し、思わず携帯で撮影すると、フラッシュが焚かれた瞬間、彼は鼻から血を流しながら急に豹変し、「出ていけ!」と襲い掛かってくる。“何かがおかしい”と感じたクリスは、ローズと一緒に実家から出ようするが・・・。

「ヴィジット」「It Follws」あたりから連なる現代ホラーの系譜がこんな形で表現されるとは。「笑い」と「恐怖」という相反するようで実はとても近くにある感情を矢継ぎ早に、もしくは同時に引き出されてしまう。「人種差別」が中心にあるとは思うのだけど、家族、親族、もしくはご近所でしか通じない所謂「身内ノリ」によそ者が放り込まれるとこうなると捉えた方が身近で超怖い。

2017年ベストムービー30 [21~30]

2017年の映画ベストを決めるにあたって、色々振り返っているとどうにもすっきりしないことがある。すっきりしないというか、見逃せないことだと思うのだけど。

それは、ネット配信サービスの存在で。自分はAmazonプライムNetflixに加入しているのだけど、その配信スピードの向上といい、オリジナルコンテンツの充実度といい、2017年の成長には目を見張るものがあった。オリジナルドラマで当たり前にめちゃくちゃ面白いものが溢れていて、もう困る。それも極めて映画的な作品が多いというのも事実。

一方映画はというと、マーベルやDCにはじまり、個々の作品が一本の軸で繋がるようなシリーズもの化が多くなった(当たり前になった)なぁという印象。そう考えると「映画のドラマ化」「ドラマの映画化」が始まっているような、というよりもその二つにもう大きな差は無くなっているような気がした。

そうなると、2017年の作品の中で何が一番個人的に良かったのか、と言われるとどうにも無視できないのは『ストレンジャー・シングス/シーズン2』だろう。間違いなく、今年一番心踊らされて、心震わされた。2017年のベストムービーを語る上で、「いや、ドラマだから」という理由で外すことなんて出来ない。他にも『マスター・オブ・ゼロ/シーズン2』『13の理由』も絶対に外せないと思う。

 

なので、先に言ってしまうと2017年ベストは「ストレンジャー・シングス」です。

そう。そうなのだけど、じゃあ本当に映画の映画らしさってなんなのだろう、とか映画館で見る映画にしかない魅力もあるだろうという価値基準のもと、選んだ30本を以下にまとめます。

 

 

 

30. サバイバルファミリー

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ある日、突然サバイバルが始まった————!?東京に暮らす平凡な一家、鈴木家。さえないお父さん(小日向文世)、天然なお母さん(深津絵里)、無口な息子(泉澤祐希)、スマホがすべての娘(葵わかな)。一緒にいるのになんだかバラバラな、ありふれた家族…。そんな鈴木家に、ある朝突然、緊急事態発生! テレビや冷蔵庫、スマホにパソコンといった電化製品ばかりか、電車、自動車、ガス、水道、乾電池にいたるまで電気を必要とするすべてのものが完全にストップ!ただの停電かと思っていたけれど、どうもそうじゃない。次の日も、その次の日も、1週間たっても電気は戻らない…。情報も断絶された中、突然訪れた超不自由生活。そんな中、父が一世一代の大決断を下す。

前作「WOOD JOB」があったにも関わらずまたしてもナメてしまっていて、劇場で見なかった一本。電気がなくなって、「星が綺麗だ」とか「自然っていいね」みたいな感じになるんでしょ、とか、予告から感じたコメディ要素みたいなものは、実際にはほぼほぼ排除されている。そこにあるのは本気の飢えと渇きと死。確かに日本でこれに近いことが起きたとしたら、こんなゆるやかな地獄みたいになりそう。トンネルってこんなに暗いんだ、とか犬って怖いんだ、とか地図読むのって大変だ、とか。当たり前かもしれないけど意外と気づけないことが映画のポイントになってて良い。そのポイントひとつひとつはいいだけにそれがあまり連携してこないのが勿体無いと言ってしまえばそうだけど、ドライブ感があったらそれはそれで映画としての色が変ってしまいそうな気もする。特にラストが、やっぱり自然が良いよねみたいなところに落ち着かないのがいい。あるべき場所に戻っていくというか。

 

 

29. ザ・コンサルタント

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田舎町のしがない会計士クリスチャン・ウルフに舞い込んだ、大企業からの財務調査依頼。 彼は重大な不正を見つけるが、なぜか依頼は一方的に打ち切られる。 その日から、何者かに命を狙われるウルフ。 実は彼は、世界中の危険人物の裏帳簿を仕切る裏社会の掃除屋でもあったのだ・・・。 年収10億円、天才的頭脳を持ち、最強のファイターでもあり、命中率100%のスナイパー。 本籍・本名・私生活、そのすべてが謎に包まれた会計士が、アメリカ政府、マフィア、一流企業に 追われてまで危険な仕事に手を出す本当の理由とは?

あのラーメン屋さん美味しそうだよね、と入った店で出てきたのはカレーで、「ラーメン食べるつもりで来たけどカレー美味しい!」ってなる感じというか。もっというと、すげー美味しいお肉!と思って食べてると、食べ終わる頃に「これ実は大豆なんですよ」って言われた感じというか。そんな映画。だから、この映画って要素が詰め込まれすぎててまとまりがないというより、本当のテーマが隠れているだけな気がする。それこそラストのあの絵のように。きっと彼は毎日毎日、決まったところでシャッターの開くボタンを押して、決まった速度で車庫に車を入れて、決まったディナーを食べて、決まったあの訓練をしていたのだろう。きっとそれが、いわゆる"普通"と"自分"を保つ生活であったはず。そんな反復描写とそれが崩れる瞬間がとにかく巧い。大きな社会にしろ小さな社会にしろ、そこから弾かれたもの同士が寄り添い、生きていくっていうテーマは2017年公開の他の作品とも共通していそうなのだけど、これはその描き方がとても真摯だと思う。

 

 

28. ドント・ブリーズ

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親と決別し街を出るため逃走資金が必要だったロッキーは、恋人のマニーと友人のアレックスと一緒に、大金を隠し持つと噂 される盲目の老人宅に強盗に入る。だが目は見えないが超人的な聴覚を持つ老人は、どんな“音”も逃さない<異常者>だっ た。真っ暗闇の家の中で追い詰められた若者たちは、怪しげな地下室にたどり着く。そこで目にした衝撃的な光景に、ロッキー の悲鳴が鳴り響く――。彼らはここから無傷で《脱出》できるのか―。

冒頭、ドローンがゆっくりともうすでに壊れてしまったデトロイトの町並みを捉える。道路の真ん中を歩く一人の老人。その異様な出で立ちに彼もまた壊れてしまった人なのだとわかる。あ、面白そうな映画が始まる!とこの時点で高まる。対するは、まだギリギリ壊れずに保っている若者たち。この映画は何より彼らの「選択」の映画だ。するかしないか、此処か何処かか、その選択が物語を推進していく。そしてその選択の結果が彼らに降りかかる。偶然はない。とにかく無駄なショットが一つとしてない。カメラの動きも、小道具の一つ一つも物を語る。確かにじいさんの悪趣味すぎるアレに関しては嫌悪感を抱くのもめちゃくちゃ頷ける。あの設定自体が悪いとは言わないけどそれが物語のカタルシスに繋がらないなら無くても良かったのかなぁとも思う。

 

 

27. 散歩する侵略者

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数日間の行方不明の後、不仲だった夫がまるで別人のようになって帰ってきた。急に穏やかで優しくなった夫に戸惑う加瀬鳴海(長澤まさみ)。夫・加瀬真治(松田龍平)は毎日散歩に出かけて行く。一体何をしているのか…?同じ頃、町では一家惨殺事件が発生し、奇妙な現象が頻発する。ジャーナリストの桜井(長谷川博己)は取材中に一人、ある事実に気づく。やがて町は急速に不穏な世界へと姿を変え、事態は思わぬ方向へと動く。「地球を侵略しに来た」— 真治から衝撃の告白を受ける鳴海。混乱に巻き込まれていく桜井。当たり前の日常がある日突然、様相を変える。些細な出来事が、想像もしない展開へ。彼らが見たものとは、そしてたどり着く結末とは?

エピローグまでは、にやけまくりでめちゃくちゃ楽しめた。これは好みだと思うけど、自分は、こんな美しい世界の終わりは見たことがないし、なんて素晴らしいんだろうと思ったからもうそこで終わってもいいのに!と思ってしまった。なんだか後日談によってありがちな話にまとめられてしまったように感じてしまったのが残念。風車を回す風、風力発電のプロペラ、不安定な照明、本編に関係ない人が映り込むカットとか黒沢清の映画だー!ってポイントも満載だし、長澤まさみの「あーもう!」は最高。

 

 

26. ナラタージュ

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大学2年生の春。泉のもとに高校の演劇部の顧問教師・葉山から電話がかかってくる。葉山は泉に、演劇部の後輩の為に、卒業公演に参加してくれないかと誘う。 葉山は、高校時代、学校に馴染めずにいた泉を助けてくれた教師だった。卒業式の日の葉山との誰にも言えない思い出を胸にしまい、彼を忘れようとしていた泉だったが、一年ぶりに再会し、押さえていた気持ちが募っていく。叶わないとわかっていながらも、それでも抑えきれない葉山への恋心。葉山もまた泉への複雑な感情を抱えていた。 やがて、大きな事件が起こり、ふたりの想いがぶつかりあったとき、それは痛みすらも愛おしい逃れることができない恋となっていたー。

この世は絶望や悪意に満ち溢れている。夜に一人で歩いていれば、それは意図せず襲ってくるし、30人も人が集まれば一人が孤立する。「一人」は恐ろしい。もういいか、と思ってしまえばそれまでだから。でも、そんな中から自分を見つけてくれる人がいたら、どんなに幸せだろう。数多くいる人の中から、自分「一人」を選びとってくれるなんて、なんと素敵なことだろう。それを人は「恋」や「愛」と呼ぶんじゃないだろうか。あの雨の日に、葉山先生は泉を見つけた。同時に泉は葉山先生を見つけた。時を経ても彼らはその時に戻りたいと願うように、雨音に耳をすませ、シャワーを浴び、海辺を歩く。いつしか「恋」は「救い」や「甘え」に、果ては「依存」になるのかもしれない。だから葉山先生はあの感情を「恋」じゃない、と言ったのかもしれないけど、そんなことはないはずだ。もうだめかも。と思ったときに、思い出すだけで力をくれるような、そんな思い出ってあると思う。自分はある。それはやっぱり進行形ではないけれど、紛れもない「恋」なのだと思う。実ることはないけれど、決して消えたりもしないもの。とはいえ、ひどく歪で、不恰好な映画だと思う。カットは連なってないように思えるし、演劇という要素は映像としてうまく扱えていないし、かなり抑えてはいると思うけどナレーションは割とうるさい。あと、自分は原作は読んでいないけど、恐らく終盤のある人物に起こる悲劇については消化不良を感じる人も多いのかな思う。だから、両手を上げて褒められるような映画ではないと思うけれど、それでも自分は決してこの映画を貶したりはできない。それは自分のこれまでを貶すことのような気がするから。

 

 

25. 美しい星

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大杉重一郎は予報が“当たらない”ことで有名なテレビ気象予報士。悪くない仕事、悪くない暮らし、悪くない家族関係(妻・息子・娘)、悪くないはずの人生。そんなある日、重一郎はあるものと遭遇する。それは――空飛ぶ円盤!?「自分は火星人。世界を救うためにこのホシに遣わされたのだ」重一郎のなかに“火星人”が覚醒する。覚醒は止まらない。フリーターの息子・一雄が水星人、女子大生の娘・暁子が金星人として次々目覚める。それぞれの母星から使命を受け取った家族はそれぞれのやり方で世界を救おうと奮闘しだすが、やがて様々な騒動に巻き込まれ、傷ついていく――。

これなんで劇場で観なかったんだろう…ととても後悔。中盤のビュンビュン系サイケトリップシーンでもうお手上げ。なんじゃこりゃ。設定もネズミ講、不倫、クズミュージシャン、環境問題と凡そ新鮮さを感じないものが並んでいるのに、こんなにも先が予想できない物語になるなんて。と、めちゃくちゃにぶっ飛んだ映画になっているかと思いきやラストは紛れもない吉田大八の映画になっていく。映画的には失速と言ってしまえばそうだけど、ラストこそがこの映画の本質のような気がする。宇宙人という要素を除けば、目も当てられない積み木崩し的な家庭の崩壊と、命の終わりによって、それでも人が縋ってしまう「夢」とか「信じること」みたいな超普遍なことを描き出すとは。または、スタジオジブリにおける「かぐや姫の物語」における有限の命の美を見上げる/見下ろすの対立構図で示すとは。

 

 

24. 雨の日は会えない、晴れた日は君を思う

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妻が死んで気がついた。彼女のことは、よく知らない。僕はあまりにも君に無関心だった―。 自らの感情とうまく向き合えない哀しみと虚しさを抱え、身の回りのあらゆるもの―妻のドレッサー、パソコン、冷蔵庫、そして自らの自宅までを壊し始めたディヴィス。 すべてをぶち壊してゼロにする―。 “破壊”を経て辿り着いた、人生で本当に大切なものとは―?喪失と哀しみ、そして再生への旅路を描いた物語。

ジェイクギレンホールのジェイクギレンホールによるジェイクギレンホールのための…みたいな。「君がいないことは、君がいることだな」(桜super love/サニーデイ・サービス)という一節を映画にしたような、というよりも一人の男がそう思えるまでのスクラップ&ビルドを描くなんてたまらない。

 

 

23. オクジャ okja

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韓国の山間の家で暮らす少女ミジャ(アン・ソヒョン)は、大きな動物オクジャの面倒を見ながら平穏な毎日を送っている。優しい心を持つオクジャは、ミジャにとって親友ともいえる大切な存在だった。ところがある日、多国籍企業ミランド社がオクジャをニューヨークに連れ去ってしまう。自己顕示欲の強いミランド社CEOルーシー・ミランド(ティルダ・スウィントン)が、ある壮大な計画のためにオクジャを利用しようとしているのだ。オクジャを救うため、具体的な方策もないままニューヨークへと旅立つミジャだったが……。

ニューヨークへと向かうエスカレータの中、人々の流れからひたすら逆行していくミジャがラストにはどうなっていたのか。その変化は、体制の過ちでもなければ、ましてやミジャの過ちでもなく、ミジャの成長なのだと自分は捉えたい。熟れていない果実や稚魚といったあらゆる「未熟」が序盤から提示される中で、その未熟ひとつであるミジャが世界の裏側を知り、この先の世を生きるために成長する。ラストにミジャとオクジャがしたある選択もまた、ひとつの未熟を取り上げて、未来へと繋げるための一歩なのだろう。

 

 

22. グッド・タイム

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ニューヨークの最下層で生きるコニーと弟ニック。2人は銀行強盗をしようとするが、途中で弟が捕まり投獄されてしまう。弟は獄中でいじめられ、暴れて病院へ送られることに。それを聞いたコニーは病院へ忍び込み、なんとか弟を取り返そうとするが---。

閉塞感を感じるアップや全体的な話運びには若干既視感を覚えるものの、照明を抑えた色味であったり、コニーを捕らえて離さない"赤"の演出や映画全体をものすごい力で牽引するOPNの音楽はむちゃくちゃ良い。
そして、何よりこれは彼等の「選択」の映画であるということに気づかされるラストで、忘れがたい一本になった。

 

 

21. モアナと伝説の海

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数々の伝説が残る南太平洋の大きな島で育ったモアナは、幼い頃に海と “ある出会い” をしたことから、海に選ばれる。そして16歳になったとき、運命に導かれるように “禁じられた” 海へ旅立つが―。

心底グッときてしまった…。「ズートピア」は頭一つ抜けてるにしても、これディズニーの中でもかなり上位に来るくらい好きかもしれない。ファンシーな部分を除けば、プロットは親に愛されずに育った孤児の少年(と言うには微妙な年齢かもしれないけれど)と、親に愛されすぎるが故に故郷に縛られてしまった少女の冒険だ。でもそれは逃避行なんかではなく、あくまで「心を返す」冒険なのがまた良い。彼や彼女にとってこのテ・フィティの心を返すための旅路が、自分の心を取り戻すものでもあるのだから。何より、2人が同じ船に乗って星を読み、風を掴んで前に進む様がもう泣ける。そして、モアナが海へ飛び出す理由が「選ばれたから」ではなく自分で「選んだから」と強く決意する場面はもうとんでもない。これが見たかった。自分で自分を選びとることの清々しさこそ紛れもない美しさなんだなぁ。物語的には、テ・フィティの心を返すのは必ずしもマウイじゃなくてもよかったのかい!ってところはちょっとつっこみたいところだけど、そんなところは目を瞑りましょう。