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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

ナポリタンの夢を見ていた - 『カルテット/第8話』

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 もしも間違いに気付くことができなかったのなら

平行する世界の僕はどこらへんで暮らしてるのかな

広げた地下鉄の地図を隅まで見てみるけど

2017年に突如投下された小沢健二による名曲「流動体について」の一節を引用するところからはじめてみましょうか。いやいや。ちょっととんでもなくないですか?カルテット。面白すぎじゃないですか?坂元裕二節が2017年という時代の上で輝いている!先に述べた小沢健二「流動体について」や同じく2017年公開の傑作「ラ・ラ・ランド」との共振。家森さん曰く、

「片思いって一人で見る夢でしょ?」

「両思いは現実、片思いは非現実」

「そこには深ーい川が…」

もしあのときこうしていれば、もしこうだったら、もしあの場所にいたら、という夢。ここではない何処かの誰かと「入れ替わる」こと。今回のテーマは「入れ替わる」だろう。冒頭、別府さんの見た夢は「四人が入れ替わる」夢だった。するとどうでしょう。すずめちゃんと別府さんがお蕎麦を食べていたかと思ったら、別府さんと家森さんが入れ替わり、すずめちゃんと真紀さんが入れ替わる。するすると四人が入れ替わり、当たり前にそこにあったお蕎麦を食べ、わさびに顔をしかめる。(その間に「おかえりー」が自然に出ているのがまたいい)

別府さんの負担にならないようにと、アルバイトを始めるすずめちゃん。別府さんと真紀さんが結ばれるように奔走するすずめちゃん。サボテンに水をあげ、花を待つという行動は彼女のそんな儚い思いが込められている。詐欺師の娘と、偽物の魔法少女と揶揄されてきたであろう彼女は誰かに恋する気持ちも同時に封印したのではないだろうか。そして、ついに出会えた二人の好きな人を祝福したいという彼女の気持ちは嘘偽りない気持ちのはずだ。だから二人を「結んで」あげなきゃと彼女は飛び回る。しかし、夢の中では蝶結びでもって「結ばれた」すずめちゃんと別府さんが一緒にナポリタンを食べて、オシャレをして、ピアノコンサートに行く。真紀さんと「入れ替わる」夢を見る。冒頭で、四人が盗み食いをしている後ろで(まさに春になると軽井沢に集まるリスたち!)鏡子さんが話していた言葉を思い出してみよう。

私の尊敬するパッチワークの先生はおっしゃいました。

「努力でもない。信念でもない。人の心というのは習慣によって作られる。」

どういうことかと言うと、心というのはとても弱いものです。だけど、一度身についた習慣であればそう簡単には乱れません。

何かしなきゃ、じゃないんですね。まず、思うより先に手が、足が動いてることが大事なんですね。

 二人を結んであげなきゃ、と思っていたすずめちゃんが気づいた時にはコンサート会場に無我夢中で足を走らせている。これを夢で終わらせたくない。片思いと両思いの間に川があるならそれを越えてやれ!「好きってことを忘れちゃうくらいの好き」とすずめちゃんは言うけど、コーヒー牛乳と同じでその「好き」は彼女の習慣(感情を習慣という言葉に収めてしまうのは少し乱暴だけれど)というか血と肉になっているはずだ。それでもやはり現実に直面するすずめちゃん。その涙と笑顔。うーん。やっぱり満島ひかりこそナンバーワンだ!

一方で、おみくじの大凶と大吉を「入れ替えてあげる」とか、鉄板焼きがたこ焼きに「入れ替わる」というなんともチャーミングで儚い「入れ替わり」の演出こそ第8話の白眉の一つだと思う。それは報われない片思いかもしれないけど、確かに誰かが誰かを想う気持ちがそこにはあったのだから。そして、ラストに明かされたもう一つの「入れ替わり」こそ最大の要素なのですがこれに関しては来週を見ないとわからないので何にも言えねえわ!!!!

 

どんなゴールに転がるかわからない「カルテット」ですが、やっぱりこれって「家族」というか「共同体」の話なんですよね。全体を通してコメディ要素を多く担っている家森さんがVシネ俳優時代に言っていたセリフは「ワシにもくれ!」でした。最初はVシネだし声質的にも哀川翔オマージュかなあと思っていたけど、繰り返し聞くと浮かぶのは『千と千尋の神隠し』に登場する番台蛙、かもしくは同じくスタジオジブリ作品の『ハウルの動く城』に登場するカルシファー*1。いや、というかそうだきっと!『千と千尋の神隠し』は名前を奪われた少女が、寄せ集めの仲間たちと沼の底に行く話だし、『ハウルの動く城』も呪いをかけられた少女と寄せ集めの共同体が同じ家に生きる話だ。名前を奪われた「誰でもない女」がいわゆる世間から「呪い」*2をかけられた仲間たちとともに生きる話なのだとしたら、最後にはあの別荘は空へと飛んで行くのだろうか。はたまた空で四人が手を取り合うのだろうか。(空中ブランコ!)

 


 






 

*1:どちらも声優は我修院達也

*2:前クール「逃げるは恥だが役に立つ」より

行かないで、光よ - 『カルテット/第7話』

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音ちゃんが練に向けてレシートを読み上げた第7話(『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』)、烏森さんの「過去からは逃げてもいい。逃げ切れるなら」という言葉が光った第7話(『問題のあるレストラン』)、結夏が光生に読まれなかった手紙を書いた第7話(『最高の離婚』)、文哉の過去を描いた第7話(『それでも、生きてゆく』)、小春たちが信の残した手紙を読んだ第7話(『Woman』)…と振り返っただけでも実に濃厚な面子。満島ひかりをして

「大体7話くらいで坂元さんは、ちょっとねえ。7話くらいで展開させすぎちゃう。」

と言わしめる坂元裕二の第7話でしたがそんな並居る強豪を抑えて坂元裕二史上最強の第7話だったのではないでしょうか。特に今見直してみると、『最高の離婚』の第7話と『カルテット』の第7話は内容のリンクがかなりある。というか『最高の離婚』の純度の高さに驚く。前回の第6話の演出には多少苦言を呈したところもありますが、まさかの今回も演出は同じ方ということで一体何が起きているのでしょうか…。

 

まず冒頭からこれまでの「カルテット」のトーンが戻っていて安心です。有朱の落下、真紀と幹生の再会、別荘の内と外の往来が激しくなるにつれて物語全体がドライブしていく!この時の巻夫婦の死体(偽の)扱い方がまさにこの夫婦のあり方を示しているようで、こういう"点"の演出がいいんだよなあとやっぱり思ってしまう。真紀は「とりあえずここに置いたままには出来ないから、シュラフで死体を隠そう」という。対して幹生は「湖にしずめてしまおう」という。見ないフリ、気付かないフリを続けてきた彼らを表しているけど、その二つはなにか決定的に違うような。しかし、幹生の"落下"からの"沈める"といった行為は"巻き戻し"されてしまう。そう。この"巻き戻し"こそ第7話に通底するテーマでありましょう。「からあげにレモン」から「壊れた人間関係」などことあるごとに"不可逆"を描いてきたこの『カルテット』が巻き戻しによって何かを取り戻すことに挑戦している。話は少し逸れますが、時間軸がずれている説なんてものもあるんですね。知らなかった。検証まとめを見てみて、まあそんな見方もおもしろいなあと思ったけど、2%くらいしか信用してないっす。でもこの説がなかったら単なる演出ミスってことになるけどそれは目を瞑りましょう。

 

話を戻そう。そう。"巻き戻し"だ。"巻き戻し"を表すいくつもの演出が全体を貫いていた。例えば、ドラマ冒頭にいきなり主題歌「おとなの掟」が流れだす。他にはアクション映画ばりな運転を見せてくれた有朱がバックする姿なんてもう笑っちゃうくらいの巻き戻しだ。この巻き戻しがもたらしたものは何だろうか。それは、壊れたものが元に戻る、ということと、やはり壊れたものは元には戻らない、という相反する二つじゃないだろうか。脱ぎすてられた靴下とともにあのマンションの一室の時間は止まってしまった。そこに巻き戻ってきた夫婦が戻ってくる。再生スタートだ。おでんの鍋を挟んで向かい合い、それぞれの話をするさまは間違いなく家族だ。今日は赤ワイン(ここにも赤)は選ばずに面と向かう。しかし、巻き戻しても何も変わっていないことに一番気付いているのはあの二人だ。

「だって私はまだ、何も言われてないんだよ」

「直接言われたわけじゃないから」

「うん」

と言う真紀の待っていた言葉はなんだろうか。幹生の発する音は、真紀の耳が待っていた音なのだろうか。特にこの「うん」の声の絶妙さよ。これだけで涙がこぼれてしまう。その後の二人の告白はとてもありふれた場面のようでいて、めちゃくちゃ残酷なシーンだと思った。取り戻すも何も、巻き戻った先にそれはなかったのだ。自分の面白いと思うものを共有できなかった。それはそうだ。自分の面白いと思うものが同じように誰かの面白いものとは限らない。まさにこのドラマの描こうとしている本質だ。でもどうでしょう。あのバスローブを脱ぐやり取りをする二人の間には、あの二人にしか持ち得ない何かがあったはず。カルテットのメンバーはまさに欠点でつながっている。真紀と幹生にだってそうなる余地はあったかもしれない。噛み合わない、共有できない、その間にこそ別個の人間が生きていく意味が有るとそう思いませんか。さらなる巻き戻しのようにお互いの指輪を外す二人。バイオリンを弾く真紀が指輪を外すこととリンクする。彼女の「音楽」との暮らしがまたここから始まるのだろうか。

 

取り戻せたもの、は何だろう。それはすずめちゃんと真紀の関係、ひいてはカルテットの再生だ。第6話で誰もが天を仰いでしまったすずめちゃんと真紀の関係が決定的に壊れてしまうシーン。今回の巻き戻しにより、再びコンビニの前にて対面した二人。ただの願望ですがこのシーンがもしもファミレスで行われていたとしていたら僕は爆散していたでしょう。

「じゃあね。バイバイ。へえ…。へえー…。」

「夫婦が、夫婦が何だろう。」

「こっちだって同じシャンプー使ってるし。頭から同じにおいしてるけど?」

 

「行かないで」

第3話で、あの蕎麦屋さんで、真紀が繋いでくれた手を離すまいとすずめちゃんは握る。声だけでどこか胸の奥の方を刺激される満島ひかりの「行かないで」と「巻戻し」といったら思い浮かべるのはこれでしょう。


「私はここにいる」「家族がここにある」というすずめちゃんの叫びが宙に浮かぶ。その場では潰えてしまったこの願いも再び4人の食卓をもってよみがえる。ごはんのおかずになりえない(といわれがちな)二大巨頭、おでんとお好み焼きを囲んだ対比もさることながら、巻き戻しによって再生された4人は輝かしい。光はここにある。