anomeno

神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2022.12.31(花束、未来まで)

f:id:moire_xxx:20221231140107j:image

1年ぶりに会った甥っ子は部屋に入るやいなや、顔背けて「かえる!かえる!」と声を上げた。じいじとばあばの家に知らない男が一人いるんだからそうなってしまうのも不思議じゃない。泣き止んでも出来るだけ自分の存在を視界に入れないように部屋の隅にうずくまっている。甥っ子が好きな海外輸入車の分厚いカタログを広げて「これ何の車かなぁ」と言うと、そうっと近づいてきて「…スープラ」と呟いた。2歳児でまだ字も読めないのに異様に車に詳しいのだ。写真を見ればすぐに車種を答えられる。そんなやりとりを繰り返すうちに「これは知ってる?」とか「何に乗ってきたの?」と話しかけてもらえるようになって、ミニカーで遊んだり、背中に勢いよくのしかかられたりした。どうやら自分は割と子供には好かれる質らしい。

 

外は雪がしんしんと積もっている。一人で暮らしている時には"しんしんと"という表現はそう使わないけど、故郷に帰って窓から外を眺めると言いたくなる。積もった雪の上は水分が少なく、ぎゅっと握ると固くなる。地面に近い方はぐちゃぐちゃに溶けて染み出している。

 

人との関係を考えた一年だったような気がする。いつだってそうだったのかもしれないけれど、誰かとの関係を結んでいくことについて、より考えた一年だったと思う。

本を作った。作りたいと思ったから作った。読んでほしいと思ったから作った。そしたら読んでくれる人がいた。この関係を大事にしたいと思った。読まれなくても、受け渡されている事実だけで、悶々とした自分の生活が何かに繋がったような気がした。

友達が出来た。ちゃんと話してみたいと思ったから話してみた。同じものを見ていても違うことを思って、違う言葉を綴るその人の視線が楽しいと思った。約束も成果も充実も何も保証しなくていい、信頼だけがあるその時間が自分にとって大切だった。今度は自分一人じゃなくてそんな友達と一緒にひとつのものを作ってみたいと思った。これは来年の目標にしたい。そしてそれをもっとたくさんの人の手に繋げてみたい。

 

口を開けば何でもないこととか、くだらないことしか言えなくなってしまう自分に、どうしようもなく不安になる時がある。言葉の意味は怖い。言葉の重さは怖い。放つことで誰かの何処かに、もしくはわたしとあなたの間に杭を差して、動けなくしてしまうことがある。だから出来るだけ痕跡が残らない言葉を、意味のない時間を、と思ってしまう。わたしとあなたの関係が決まってしまわないように。

でもきっと、溶けた雪と固い雪が積み重なるみたいに、関係の層というのは行ったり来たり出来るものなのだと思う。友達の中に家族を見たり、恋人の中に友達を見たり、家族の中に友達を見ることだってある。ひとつの枠に何かを収める必要なんてないし、名前をつけなくたっていいのかもしれないと思った。そんな関係をつくるために、言葉にして伝えることをしたいと思う。"言わない"ことじゃなくて"ちゃんと選んで、ちゃんと伝える"ことでそれを示したい。

 

先月、自分の誕生日の数日後に産まれた姪っ子の声にならない声と、お昼寝をしている甥っ子の寝息を聞きながら、同じ部屋でこれを書いている。書きながら、これを読んでくれているすべての人に想いを馳せる。出逢えてよかった。みんなでこれかもらいい時間にしようぜ。