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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2022.10.23(本を作りました)

本を作りました。

冨樫義博ならこんな一言だけでネットニュースのトップを飾ったり、Twitterのトレンドに入ったりするのだろうけど私の腰は無事だし念能力も使えない。

2022年の初めに「本を作りたい」と宣言して以来、咲いた桜はいつの間にか地面に落ち、長い長い夏が来たと思えばスイッチを切ったように途端に肌寒くなって、そんな風にして確かに時間は進んでいたらしい。御多分に洩れず自分もそんな時間の中にいて、年の初めにした宣言を忘れたり、たまに思い出したりしながら生活をしていた。

本を作った。というその一言で長く続いたこの出来事を終わらせてしまうこともできるけれど、その事実に至るまでのことを少しだけ振り返ってみたいので読むも良し、読まずにスクロールするのも良し、本当に伝えたいことは少しだけその画面を指で滑らせた先にあります。

 

本を作ろうとした、というタイトルで何日かブログを書いたりしたけれど、それを読んでみると結局のところほとんど何もしておらず、要約すれば「できない」という二文字が炙り出されてきて笑える。作業のことよりも気持ちのことばかり書いている。最初に書いたのが1月のこと。どんな本にしようか、という側のことを考え出して、ああいうのもいい、こういうのもいい、みたいな蜘蛛の巣みたいな選択肢が広がった。朧げに「取り留めもない本が良い」という気持ちだったような気がする。使う紙も内容もバラバラで、なぜかそれが一つにまとまっているみたいなそんなものを作りたいと思った。とはいえそれを目に見える形にする知識も力も聞くあてもなく、気づけば蜘蛛の巣は払い落とされてしまった。頭の中で思い描いているだけじゃダメだ、と思ってコンビニで印刷してみたり、和綴じのように糸で紙の束を綴じてみようとしたけれど思っている通りにはならずに投げ出してしまった。

 

なんでこんなことしてるんだっけ。作ってどうなるんだっけ。と我に帰る瞬間ばかりだった。こんなの自己顕示欲以外の何者でもない。別に待ち望まれてるわけでもなければ、作らないことで何か支障が出るわけではない。そもそも何?作って売るの?手渡すの?という元も子もない自己問答が始まり、暑い夏が来た。

なくてもいいことは生活の中で優先順位が下がってしまう。仕事が忙しかったり、人と会ったり、映画を見たり、本を読んだり、そんな中で別にしなくてもいいことはしなくてもいいのだ。だから時間は過ぎてしまうし、思ったことも忘れてしまう。でも部屋の隅にはやろうと思った残骸の居場所が確かにあって、それは触れられもせず、片付けられもせずにそこに居続ける。毎朝部屋を出るとき、寝る前に電気を消すとき、それが目に入るけれどやっぱり気付いていない振りをする。

 

忘れられることをよく考える。もう会わなくなった人や会えなくなった人、もう会えないかもしれない人と過ごした時間のこと。冷たい風に打たれながら見た荒れた海のこと。助手席から見た知らない家の明かりのこと。砂浜に書いた文字のこと。知らない人たちが川辺でしていた手持ち花火の残り香のこと。自分の書いたものを読み返すと、今の自分とは全く違う別人が送っていた生活の中のどうでもいいことが怖いくらいに蠢いている。もしもこれが無いことになるんだとしたら、形として残しておく意味はある。まずは自分が忘れてしまわないように、忘れても思い出せるように形にしたい。と改めて思った。"どんなふうに"はひとまず置いて、早く形にしたいと思った。そして、人の手に渡る意味もあると思った。気づくと外は急に雨が降ったり、いつの間にか半袖では心細くなっていた。

 

これは小話すぎる話。印刷と製本を業者さんに依頼しようと思い、データを渡し一週間後に現物を引き取りに行くと、ページがずれて見開きで想定していた部分が見事にぐちゃぐちゃになっているのを目の当たりにした。膝から崩れ落ちそうになった。普通はお試しで一冊確認用に作るべきところを、ある程度の数作ってしまっていたので、ぐちゃぐちゃバージョンだけが手元にあることになる。眩暈のする頭で再びお店に行き、事情を説明して元データの頭にちゃんと空白の1ページがあることを確認してもらい、無償で全て再印刷してもらえた。自分の計画性のなさとお店の人の優しさで本気で泣くかと思った。

 

ということで本ができました。もう少しだけお付き合いください。

ではこれをどう人に渡すのか。手段というよりは価値のことを考えた。世の中にあるものの多くは値段がつけられて、それは主にお金を対価として支払うことでやり取りされる。では、私が作ったこの本の価値は誰が決めるのか。それは作った自分に他ならないのだけど、こんなものの価値はとても私には決められない。使った時間や、印刷にかかったお金が単純に原価と割り切れるのならそれでいいのかも知れない。でもそれはなんか違うような気もした。儲けを得たいわけでも、その逆に叩き売りがしたいわけでもない。悩んで悩んで、それでもこのやり方が完璧な正解とは思わないけれど、まずはこの本には値段をつけないことにしました。これも本の中の序文に書いたことなので多くは言いませんが、そういうこととはまた別の役割がこの本にはあると自分は信じています。

こんなに時間をかけてようやく作っておきながら、また作りたいとも浅はかに思っているのでもしかしたらその時は今回とは違った別の形になるかもしれません。それはまたその時考えることにします。

こういうのって作ったら欲しい人がどれだけいるのか事前に調べた上で作るものなんでしょうか。いやきっと世の中ってそういう需要と供給の輪の下に成り立ってますよね。そういうことを想像できなかったので、なんとなくの思いつきの数で作ってしまいました。なくなることはないと思いますが、万が一にもそんなことがあったらごめんなさい。

 

 

ということで前置きが長くなりました。以下のリンクを販売用ページとして作ったので興味があれば覗いてみてください。では。