anomeno

神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2022.08.22(たとえば、なんて言葉で始まる歌)

月曜日。信じられないほどぐちゃぐちゃに憂鬱な気持ちで起きて、着替えて、トースターを温めて、温めたトースターにピザトーストを入れて、顔を洗って、食べて、歯磨きをして、ちょっとテレビを見て、家を出た。仕事の何が憂鬱って、やりたくない仕事のことでも、やってくれない誰かのことでも、日々積み重なっていくタスクのことでもない。"怒り"に簡単に陥っちゃう自分が嫌すぎる。そんな状態にある自分を俯瞰して最悪じゃん…って先週はずっとなってた。つい口調が強くなってしまったり、皮肉なんて言葉で収まらないくらい棘のある言葉が口から吐いて出てしまったり、そうなってからハッとして、うわ…超最悪だ自分…になることの繰り返し。まじで良くない。今週こそは、今日こそは、とデスクに向かって穏やかな気持ちを作る。約束したものが期日を越えて何の断りもなく上がってこなくても、何の準備もなく打ち合わせに参加されても、まずは落ち着こう。とか考えていたら、先週の「ハライチのターン!」で岩井さんが焼肉屋さんの店員に対して思った「怒らないようにするのと人を見下すのって紙一重」の話を思い出して、それに陥ってんじゃん…ってなった。どうしたらいいかわかんないよね。でも今日は変にぷんぷんせずに終わった。すごい大雑把だけど、ちょっとずつちゃんとやってくしかない。まじで。

帰り道、二駅分歩いて帰った。帰ったら『初恋の悪魔』の続き見ようかなぁとか、『ブレイキング・バッド』をちゃんとシーズン1から見直したいなぁとか、『フェイクドキュメンタリーQ』の過去回がプレミアで配信されるから見たいなぁとか考えながら帰宅してお風呂に入って、上がって、一瞬。一瞬だけ横になるよ!と宣言した次の瞬間には意識が途切れた。今に至る。すべてできないまま一日は終わり、日付は変わった。そのまま本格的に寝るのも癪なので今これを書いているところ。

サマソニのいろんな人達のMCのこと。自分にとっては本当にどうでもいいし、同時にめちゃくちゃどうでもよくない。燃えてるか、燃えてないか、正しいか、正しくないのか、が心底どうでもいい。どっちもねぇよと思う。Rina Sawayamaが、ミーガンが、1975が、ポストマローンが、どんなに最高なライブをしてもこんなことが話題になってるのは、なんというかあまりにもすぎる。フジロックの広告が燃えてる時にも思った。まじでどうでもいい。問題提起や議論はあって然るべきだとは思いながらもどうでもよすぎる。

2022年、とにかく"崇高でありたい"と思った。"しなやかでいたい"とかも思った。訳わかんなすぎる目標だよね。もう少し言語化すると、周囲が持ってる正しさとか、善悪みたいな二極で揺れてる状態よりも、自分の感覚とか、自分が大事に思うことをちゃんとものさしにして生きたいと思ったという意味です。去年の自分なら今回のこととかに落ち込んだり怒ったりしてた。気がする。今はそんなこと本当にどうでもいい。その脇に忘れられてるもっと大事なものがあるよ。チェンソーマン第二部102話の「ネコもいたよ」に自分が心底打ちのめされたのはそういうことを言い当てられたからなのだと思う。

みんなが穏やかな気持ちで寝れたらいい。寝ます。