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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2021.12.13〜14(オダウエダと理不尽)

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13日

前日遅くまで起きていたのでめっちゃ眠かった。急いで帰ってきてTHE W見た。いつも気付いたらやってるのがW。20時から始まる賞レースなんて悪い意味の新鮮さしかない。オープニングと嫌なセットの豪華さにいかがわしさを感じてしまう。からの一発目がヨネダ2000のネタでいきなりTVの空気を崩しつつ掴んでいるのが良かった。Aブロック最後のオダウエダがまくったのはやっぱり気持ちよかった。Aマッソを見るときにはやっぱり自分は愛憎入り混じった感情で見てしまうのだけど、1本目のネタは完全に獲りにきてる空気があって初めて温度が上がった。国民投票を除いたら、オダウエダとAマッソが勝ち上がる決勝とか笑けずりじゃん!と思ってしまってやっぱり俄然テンションが上がる。漫才コントピン芸人みたいなフォーマットではなく、女性という性別で括られた賞レースとという構造はやっぱり見れば見るほど疑問が湧いてはくるけれど、ぶっちゃけもうそこに突っ込んでても仕方ないような気もする。だったら、ちゃんとその中で生まれるおもしろみって何?ってとこに目を向けたいというか、事実最終決戦に残った3組はそういうつまらない枠の外側にあるネタだった。そして何より自分はやっぱりオダウエダがどうしようもなく好きなのです。「ハツの就活」「ぼんじりの判決」という脈絡のなさになんでやねんとツッコむよりも、その理不尽な世界の中に深く入っていく、入っていってしまうというみたいな構造が自分はとにかく好き。あらゆる生物の中でカニを一番愛しているというおっさんに、なんやねんこのおっさん!じゃなくて、いつのまにかキューブ状に圧縮したカニを差し出すという方がやっぱり面白い。ツッコミが"ここが笑っていいところです"とちうエクスキューズの役割に終始してしまうその先というか、なんでやねん!よりなんでなの?のほうが面白いという気運がここ最近強まっているのは気のせいではない気がする。とりわけ、笑けずりの終盤で披露していた「旅行帰り」と「星に願いを」がやっぱりすごく好きだ。

もちろん人には好みがあって、みたいなそんな話は本当にどうでもいいんだけど、その好みを主張するために何かを貶したりするのは本当に醜いことだとThe Wを見終わってから、優勝を報じるツイートにぶら下がるクソの羅列みたいな言葉を見て思った。M-1が思いやられる気持ちもある。どうせすぐにいなくなる人の言葉に、ずっとその場に立ち続けてる誰かが確かに傷ついてると思うと心底腹が立つ。せっかく楽しくて嬉しかったのに嫌な気持ちになりながら寝た。でも、キングオブコント然りこういう賞レースを見てると、いやそれに限らず普通にお笑いライブやバラエティを見てると、こんなに笑わせてくれて、こんなにワクワクさせてくれて、総じてお笑い芸人という存在はみんな偉くてみんなバカでみんな素晴らしいと本気で思う。それは、だから優劣なんてつけるなとかそんなことではもちろんない。意義とか意味の話をしてる。

 

14日

職場のあるビルは二つ建屋があって新しく出来た建屋に場所ごと引っ越した。バカでかい箱みたいな倉庫を5階建てのビルにしているのでフロアの天井が高くてやけに開放感だけはある。窓からはベイブリッジが見えたり、雲の少ない日には富士山の頭が見える。フードコートみたいな休憩室には円形のテーブルが並んでいるけど、みんな自分のデスクで食べるかその円形のテーブルに一人ずつ座っていて、ディストピアみたいになっている。テーブルで相席してもなかなか話せないし、そもそも話しかけられたくないとも思ってそうな気もして、結局普通に窓を見たがらお弁当を食べて自分の席に戻った。家に帰ってTVerでセブンルールのイワクラさんの回を見た。ぺたぺたの枕で寝る大鶴肥満とコジコジのグッズを出しながらとびきりの良い笑顔で話す市川刺身が良かった。結局は上に書いたことと同じようなことを思った。