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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2021.11.29(カネコアヤノと3拍子)

昨日の夜友達とPodcast録った。コミュニケーションの上で何かを演じることってあるよね?って話を笑いながらできた。楽しい。いつのまにか1時とかになってて慌てて寝た。

意外とすっきり起きれて朝ごはん食べた。もう完全に冬だ。それなのに朝の光は綺麗。カネコアヤノのライブに行くためにフレックスでちょっと早めに出勤して早めに退勤した。

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武道館、久しぶりに行った。いつ以来かな。BAD HOPとかかも。チャットモンチーの解散前のライブのことを未だに思い出して切なくなる。デッドストック品のアナログ欲しかったけど、事前にTwitterみたらもう売り切れてたみたいでげんなり。メルカリとか見たら1枚3万円とかで転売されてて腹が立つ。それでも普通にグッズ列が異様に長くてビビる。することもないのでとりあえず並んでみた。意外とするする進む。並んでると人は不思議と購買意欲が高まってくるものでロンTとカレンダーとレターセットを買った。『祝祭』のレコードが買えなかったのが改めて辛すぎる。ステージ正面の2階席だった。行くたびに武道館はやっぱりこじんまりしてるなあと思う。ライブ、めちゃくちゃ良かった。どう考えたってカネコアヤノが世界で一番としか思えない。意味がわからない。一曲目が『グレープフルーツ』だ!ってわかった瞬間、身体が飛び散るかと思った。『退屈な日々にさようならを』はライブで聞いたのは初めてでその前が『燦々』で後が『車窓より』でこの3曲の流れがとんでもなかった。いや、もう東京ドームとかでいいじゃんとか本気で思った。『祝日』はいつだってべちょべちょに泣いちゃう。"これからの話をしよう。祝日、どこに行きたいとか。"って本当にすごいラインだ。カネコアヤノは3拍子になる曲が多いなと改めて思った。3拍子と4拍子を行ったり来たりする曲も。グレープフルーツ、閃きは彼方、燦々、愛のままを、とかもっと他にもあった気がする。4拍子を理性とするなら3拍子はどう考えても野生や本能みたいなものに思える。これは本当に感覚的なもので、3拍子になってる時の運動的な快楽っていうのは体感として絶対にあると思う。特に"a"や"o"の母音を息を吐き、声を上げるために多用するカネコアヤノの歌唱と3拍子の組み合わせは本当に解放的なんですよね。いやまあ、そんなことは本当にどうでもよくて、ラストのラストの『アーケード』のイントロのあの一瞬、武道館の客電が一気に点いて真っ白になる瞬間。マスクをつけた知らない人だらけなのに、その顔が見えた瞬間の気持ちの昂りと幸福感を自分は忘れられない。冗談抜きで自分の人生のハイライトとして死ぬ前に思い出す景色だと思う。

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