昨日はM-1の準々決勝の東京2日目の配信を見てるうちに完全に意識がシャットダウンしてしまった。意識が戻ったのは朝方3時くらい。ベッドに入って見てなかった残りの部分を見て眠りについた。これで準々は全部見切った…。最近M-1のことしか描いてないし考えてないな…と気付きつつある。最終日の予選を見終える前までに準決勝進出者は発表されてしまった。ほぼほぼおれの考えた最強の準決勝で嬉しい。なんたって真空ジェシカ、モグライダーがいる。まさかのヘンダーソンもいる。そしてアルコ&ピースもいる。こんな準決見れる時が来るなんてね。そりゃあね、欲を言えば滝音もパンプキンポテトフライもチェリー大作戦も見たかったよね。ということでネタバレは回避しつつ準々決勝見た中で合否関係なくめちゃくちゃ笑ったコンビまとめ。けっこう慧眼が光ってる気がするんですが気のせいですか?
しかし、現段階で何の告知もないとすると今年は映画館でのビューイングはなさそう…。でもニューピアはまじでチケット当たらないので現地はほとんど諦めてる。せめて配信あってほしいなあ。でも大勢の人のなかで、汗かくほど笑って見る準決がやっぱ1番の醍醐味な気がするんだよなあ。
ということで一週間終えて帰ってきた。月食だった。いまいち何が何だかわからないけどなんか綺麗だった。カメラ向けてもぜんぜん写らなかった。
録画した『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』の1話見た。書くまでもないあらすじはこう。
実の姉妹ではないが、ひとつ屋根の下でともに暮らす疑似姉妹である阿佐ヶ谷姉妹が四六時中一緒にいることで迎える倦怠期を乗り越えながら理想の暮らし方を見つけるまでを描いている。
ドラマはこれをなんてことのない、のほほんとした物語、としているけれど、本当になんてことのないことだろうか。これから自分が言うのは本当につまらないこと。2021年現在において夫婦でもない、ましてや恋人でもない、かといって売れない芸人のルームシェアとは少し違う二人の疑似姉妹としての二人暮らしは何てことのないことではないと思う。そこには人と人が生活を共にすることの本質的な何かがあると思う。ceroの高城晶平による音楽も、舞台が阿佐ヶ谷だからRojiと関連して、だけを想像するのはちょっとつまらない。そこでceroのマスターピースであるOrphansをもうひとつ補助線として引くとよりドラマとしての輪郭が浮かび上がる気がする。
(別の世界では)二人は姉弟だったのかもね
あぁ 神様の気まぐれなその御手に掬い上げられて
あぁ わたしたちはここにいるのだろう
江里子さんは劇中で「自分が楽しく暮らすため」にあなたと住みたいんだ、と美穂さんに話す。それって損得の話のようでいながら、全然そんなもの超越してる気がする。相手を幸せにしたいから、とかそういう言葉より自分にとってはすごく実感のある言葉な気がする。結局は自分が幸せだと思えなきゃ話にならない。とはいえ、やっぱりかなりゆるゆる志向なドラマではあるので"ゆるさ"ばかりに焦点があたるとちょっと見てられないような気もする。あとは主題歌も抜群に良い。江里子さんの声が完全に高城さんの高音のように聞こえる。