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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2021.10.24(怖いについて考える)

朝早めに起きたので、うどんを茹でた。出来た出来たーと思いながら昨日録画した『ほんとにあった怖い話2021特別編』見た。4本ともけっこう大味だったし、ラストの事故物件のやつはほとんど去年公開された中田秀夫の『事故物件』と一緒じゃん…とゲンナリしてしまった。橋本環奈の『凶音の誘い』がちょっと良かった。舞台設定をコールセンターにしたことで「聞く」ことの装置が増えるのが良いし、誰かと会話することがドラマ的なテーマの良い面と悪い面として浮かび上がるのも良い。終盤のほん怖十八番のおばけとの追いかけっこについては笑いながら見て良いやつだと思うけど、自分がちゃんと怖いなぁと思ったのは、橋本環奈と恒松祐里が屋上で話してるときに会話をバックに誰もいない階段と給湯室と地下倉庫が執拗にモンタージュ的に映るシーン。明らかに第三者の視点でゆっくり動く不気味なカメラと、それに合わない明るい会話のチグハグさがめちゃくちゃ怖い。楽しい会話をしてるその瞬間、別の空間に確かに恐怖ある。と思わされる。あとはいい加減に「ほん呪55」方式をとってオムニバスドラマかと思って見てたら実は最後に全部繋がってましたをほん怖でもやってほしい。ほん怖楽しみにしてる、って言うと人間じゃないくらいの扱いを受けるのだけど、自分は映像としての恐怖演出としてホラーを見るのも好きだし、なぜ人は恐怖に立ち会わなきゃいけないのかという心理を想像したりする意味でホラーがとても好きだ。少し前のアトロクPodcastで三宅隆太さん(凶音の誘いの脚本も三宅さんでした)がリスナーからの「なんでホラー映画なんてあるんですか?」という根源的な問いにこう答えていたのが印象深い。

ホラーというのは、かつて私と同じ人だった人である幽霊っていうものの思いを想像してみようっていう話でもあると思うので。

じゃあ、あの人は何でああいうところでいつも同じ時間に同じ場所に立っているんだろう?と、その想いをちょっと想像してみようみたいな。

例えば、それを家族で話すとか、次の日学校で「昨日の見た?」とかって話すとか。

例えば、じゃあクラスでご飯食べるときに、いつも〇〇ちゃんは一人でお弁当食べてるけど、そういえばなんでなんだろう、とか。

そういう想像をしていくきっかけにホラーは間違いなくなると思うんです。

これは自分がホラーに必ずあらゆる映画やドラマに求める根本的なことだったりするな、と思った。

 

見終わって怖かったーと思いながら先週の「水曜日のダウンタウン」の後半部分を見た。いろいろ宅配物が届いたので受け取ったり、ちょっと寝たりした。近くのニトリに行って洋服入れるケースとかベット脇に置くサイドテーブルとかを見たけど買うのはちょっと保留した。別のモールに入ってる家具屋さんはもっと値が張ってびっくりした。ドライフラワーだけ買って帰ろうかと思った。そのあと映画館でリドリー・スコット『最後の決闘裁判』見た。むちゃくちゃ良い。馬と鎧の重量感がやばい。でもそれよりも映画内の13世紀から700年以上経っているのに未だに性犯罪に対する意識が大して変わってないこの現実が何より一番怖い。どんなホラーよりもこの事実の方が怖い。三幕構成の視点によって人の振る舞いがどんなふうに異なって見えるのか、そもそも記憶から抜け落ちてる部分がないか、を時系列を巻き戻して繰り返す構成も主題とリンクしてる。反吐が出そうになる日本の映画の予告見てると本気でなんでこういう映画に然るべき興行が動かないんだろと思ってしまう。ご飯食べて帰った。お風呂に入って、友達とPodcast録った。今配信してるものの再生履歴を見ると、自分たちの周り以外に確実に聞いている人がいて、無意識に投げたボールに触れた人がいるんだと思うと不思議な気持ちになる。別に誰に向けてるわけじゃないし、ボールを返されることすら望まないけど、触れられているというその実感があるとないのでは大きく意味が変わるよな。