anomeno

神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2021.09.24(言葉にすることで醜くなることも)

いつも読んでいるその人のブログに自分が言葉にしなかった、できなかった心のうちがあったと思った。びっくりした。

今年のはじめごろに「人とちゃんと向き合う」という阿呆みたいな目標を立ててみた。そう思い立ったのにはいろいろと積み重ねた理由があった。他者から見られる目とか、評価とかを気にしたり怯えたりしてるのって、自分だってその相手のことを何かの尺度で見定める様な見方をしているからなんじゃない?って思ったから。いや、あなたが男性であるとか女性であるとかそんなことは抜きにして目の前にいる一人の人に一人の人間として向き合わなきゃ友情も、ましてや恋愛だって生まれるわけないでしょ、と思ったから。だからちゃんと自分を知ってほしいとか、相手のことを知ろうとしようとか、そんなこと今さらになって意識する様なことじゃないとは思いながらも、とても意識する様になった。なんとなくここ最近、割とそういう付き合い方が出来てるんじゃない?って自分では思い始めていた。

そんな折に「なんか言葉選んでるよね?思ってることちゃんと言われてない気がする。」というニュアンスの言葉をかけられた。月の明るい夜だった。じわじわと落ち込んだ。その言葉を否定できなかった。関係が深まるにつれて結局自分は相手との関係を壊さないような、一線を脅かさない様な言葉選びをしていたことにその時初めて気がついた。人と向き合うとか言っておきながら結局またここにいたのか、と思って本当に自分が嫌になった。いくら本を読んだって、文章を書いてみたって、目の前にいる人にちゃんと心のうちを伝えられてない。まじでいつまでこんなことやってんだろ、と歩きながら思ったときのその風景が忘れられない。しかもそんな気持ちを誰かの文章のなかに見つけて安心したりしている。自分が言葉にすることを避けてた気持ち。最悪じゃんそんなの。やっぱり言葉にしてみよう、と思って書いてみたけどもっともやもやしてしまった。心のどこかにうまく書こうとかそんな意識がある感じがしてそれもなんか嫌だ。うーん。でもなあ。別にだれかとの関係の中に嘘があるわけじゃないんだよなあ。本当の気持ちでいるのは本当なんだよなあ。ただ踏み越え切れないだけなんだよなあ。でもそこが問題なんだよなあ。とりあえず今日はここまで。