anomeno

神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2021.08.12(橋の先、)

深夜まで友達と話していたので9時ごろ起きた。なにするかー、カレーでも食べるかーとなったので木場のカルマプールに行った。チーズクルチャは脳みそ溶けるくらい美味しかった。店員さんの態度はあんまり良くなかった。友達もさらば好きすぎの人だったのでどうせだったら五反田聖地巡礼でもする?ってことで五反田に降り立った。ナビなしで森東までたどり着いてみよう〜ってことで歩いてたらすぐに見つかって拍子抜けした。あの玄関だ〜ってことでパシャリ。筆者近影。

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魁力屋を見たり、おにやんまを見たり、諸々巡って喫茶店に入る。コーヒーを飲みながら話した。ファミマ柄の3本ラインが入った靴下を買って部屋に帰ってきた。

Twitterスタジオコースト終了の報を受ける。好きなライブハウスのひとつだったので只々悲しい。特別な場所だった。高校生の時CSSのライブが見たくて始めて高速バスに乗って友達と東京に来た。駅について東京湾に架かる橋を歩いて渡って初めて入るコーストはものすごく大きく感じた。迫力のあるスピーカーとミラーボールが印象的だった。ライブが終わって駅に戻ってもあんまり魅力的な食べ物やさんがなくて謎のうどん屋さんに友達と入った記憶がある。それからほんとうに沢山のライブを見た。友達とみたノーベンバーズ、初めてライブハウスで見たBUMP OF CHICKENceroSuchmosの対バンという時代の転換点、PUNPEE小沢健二、ピープル、KOHH、ほかにも沢山ある。ライブが終わって来た道を逆さまに歩いて帰ると、暗くなった東京湾に反射したビルや観覧車の灯りが光っていた。例えキャパシティは近くてもZeppとは明確に違う何かがそこにはあったように思う。コーストがなくなるということは新木場に行くことがなくなることとイコールかもしれない。自分にとってあの東京湾にかかる橋の先には何もなくなってしまうということかもしれない。ただ、そこに橋がある。対岸はない。悲しい、という気持ちとこういうことが今後続けて起きていくかもしれない。大事な場所はどんどん消えてしまうかもしれない。自分の頼りない足が踏みしめているこの地面に架かる橋はひとつ、またひとつど落ちていくかもしれない。どうしたらいい。これ以上どうしたら好きなものや場所や人を守れるだろう。理不尽で乱暴な世界からどうしたら大切なものを守っていけるだろう。わからない。わからないけど諦められない。自分だけがよければいい、とは思えない。暮らしってなんだ。生活ってなんだ。問い続けるけど何もわからない。寝息を立てている友人を見ながらこんなことを思っている。橋の先の対岸は昔よりもずっと遠い。