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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2021.06.05(もう一度サウナと向き合ってみた、という話)

サウナに入りながら牡丹の花を見た。つい数日前の話だ。

恵比寿駅から10分ほど歩いたところに改良湯という銭湯がある。明治通りを一本脇にそれると妙に落ち着いた住宅街が並び、その一角に改良湯はひっそりと佇んでいる。シックでモダンな見ための外壁(完全にこの表現をイメージで使っている)に驚きつつ、下足入れに靴をしまい暖簾をくぐる。

都内でそこそこしっかりしたサウナに行きたいと思うと、どうしても2000円弱くらい払わなきゃいけない。充実した施設とそこで得られる快感を思えば、という気もするけれど、2〜3時間しかいるつもりがない予定ならそれはちょっと惜しい。その点、銭湯は価格帯がグッと下がる。

 

広く銭湯とは「普通公衆浴場」と指定された場所のことを言うようで、元々の定義は"日常生活における保険衛生上必要な入浴のために設けられた公衆浴場"であるらしい。サウナ施設や健康ランドスーパー銭湯は「その他の公衆浴場」に分類されるので、そもそもそれらの施設と銭湯は一線を画す場所なのだ。娯楽というより生活に比重を置いた施設だからこそ、銭湯はこの料金設定ができるんだということを自分もまさに今書きながら調べて学んだ。

改良湯は渋谷に居を構えてなんと100年になる超老舗銭湯で、2018年に大規模な改装をして今の見た目になったそう。『常に良くしていこう。悪いものを直していこう』という名前の由来の通り、時の流れとともに変化していることがわかる。

 

 

暖簾をくぐり、番頭に鍵を預けてまた別の鍵を受け取る。また暖簾をくぐり脱衣所に入るとロッカーには鍵がささっている。既に自分の手元には2本の鍵がある。預けた下足入れの鍵を入れれば3本。はて。まぁいいべ、と思い服を脱ぎ温泉に入る。温泉内は薄暗い照明にタイル絵が照らされている。平日の午後なのに10人前後の人がいる。身体を洗い、熱めのお湯に浸かる。良い良い。

 

さーて、と思いサウナに向かう。サウナ室のドアを開けようとするもそこにあるのはただの壁だった。壁?そう、壁。ドアノブがない。小窓から中に人がいるのは見える。え、脱出ゲーム?とたじろぎ、周囲になにかヒントが書いていないから見回すも、そこには「サウナ内ではタオルを絞らないこと」みたいなどこにでもある注意書きがあるだけ。途方もなくうろうろしながら、鍵をもらったことを思い出した。ドアノブがないのに鍵?と思ったけれど、ドアには窪みがついていて、そこに鍵を差すとそれ自体がドアノブの役割をしてドアが開くという脱出ゲームでもなんでもない仕組みだった。思えば入浴料とサウナ料は別なので無銭でサウナを利用されるのを防ぐには当たり前の仕組みだった。

 

サウナは4人がけ2段のスーパー銭湯とかに比べたらあまり広くない作りで、当たり前にテレビもなく最小限の照明でとても暗い。皆それぞれで入室している人数を伺いながら出たり入ったりしていた。このご時世ならピーク時はやっぱり並んだりするんだろうなあと思いながら座った。広くないけれど温度はわりと高めなのですぐに汗腺が開いた。ぽたぽた垂れてくる自分の汗に視線を下ろすと、視界の隅に牡丹の花が見えた。

牡丹が咲いていたのは隣に座った人の手の甲だった。自分が出来る限りの視野見(目線は前を向きながら、自分の視野を限界まで広げ、気付かれずに周囲を見る方法。綿矢りさ勝手にふるえてろ」より)をすると、肩から手のひらにかけて、おそらく背中は一面、あとは脛のあたりに和柄の紋紋が見える。明らかにファッションのそれではない。年齢は30代前半ってとこだろうか。あんまり当てはまる人もいないけど、強いて言うならラッパーのJin Dogg風の見た目。

以前にも銭湯では見たことはあるとはいえ、なかなかこんなに至近距離で接近することもない。別になんてことはない。刺青が入っているからって別の人間というわけじゃないし、悪い人であるという刻印なわけじゃない。事実この人は今サウナに入っているだけで、誰かを恐喝したり乾燥した葉っぱを売り捌いたり、砕いて巻いて焚いたりしているわけじゃない。それでも少しだけ構えてしまう自分がいる。

なんとなく、特に理由はないけれどこの人がサウナを出るまでは居てみよう、と思った。Jin Doggの方が先に入っているとはいえ、時間はそう変わらない。勝負だJin Dogg。

学生時代からサウナに通い始めて、なんだかんだでもう5〜6年は経つ。好きで通っているはずなのに、たまに惰性が出てしまうことがある。適当に入って、まだそこまで熱いと思ってないうちにただただ集中力が切れてサウナを出て、水風呂に入る。形だけなぞってもやっぱり全然ととのえない。実はサウナこそメンタルが大事なんじゃないかと最近思っている。そんな風に好きなものにさえ適当に向き合ってしまうときがある。好きなはずなのに。

12分時計は半分を回った。Jin Doggは立つ素振りを見せない。途中水浸しでサウナに入ってきた人がいたけどJin Doggは全く怒らなかった。いろんな場所に銭湯があるとはいえ、やはりその数は少しずつ減ってきているだろうし、空前のサウナブームによって新しい施設、もっと充実した施設が増えていけばもしかしたらそれは町の銭湯の居場所を奪うことにも繋がるのかもしれない。銭湯の定義も知らずに安く済むから、という理由で自分は今ここに座っているけれど、ここにしかこれないから、という理由でここにいる人もいるかもしれない。町の銭湯の居場所を奪うということは、そういう人たちの居場所を奪ってしまうことなのかもしれない。

もちろん、その手の仕事と浴場というと表には見えない古くからの繋がりも少なからずあるだろう。だからこそ失われずに続いた歴史があるのかもしれない。いろんなことの背中合わせにクラクラしてきた。おれの背中に不動明王はいないけど、おれの隣の背中にはそれはいる。おれはこの人のことを何ひとつ知らない。知らないけれどサウナという閉じられたこの狭い場所にいる間だけは、ひとに全ての背景は剥ぎ取られて「熱い」という感覚をもった同じ人間にしてくれているような気がした。

 

10分をすぎた頃、ようやくJin Doggが立った。久しぶりにこんなに限界まで汗をかいた。不動明王についていきながら水風呂に向かう。バイブラなしなのに常にキンキンに冷えている水風呂は水も柔らかい気がして、極限まで蒸された身体が包まれるよう冷えていく。Jin Doggも自分と同じ水に包まれている。心臓がもう一度高鳴ってくるのを感じて水風呂を出た。

露天のない改良湯は脱衣所に数席のととのい椅子設置されている。その一つに座り、まどろむ。閉じた毛穴がもう一度開いていくのがわかる。閉じていた眼を開けると脱衣所には、ラッパーの紅桜に似た人や俳優のモロ師岡に似た人、いろんなタイプの人がそれぞれの絵をそれぞれの身体に刻みながら立っていた。やっぱりおれはこの人たちのことはよく知らない。見えないところでは悪いことをしているかもしれないし、それはまぁなんとも言えない。でもこの人たちは銭湯に来てサウナに入るんだよなぁということだけはわかる。それだけはたしかなことで、それは自分も同じであるということもまたたしかなことだった。銭湯を出るとすこしだけ冷たい風が火照った身体に当たった。

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