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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2021.04.14(眠る時間すらズレてるのに)

ちょっとした野暮用があって実家に電話をした。これまで新潟の実家には長期連休の度にちょくちょく帰っていたけれど、かれこれ1年帰ってない。おそらく視界もぼやけていたであろう産まれたての甥っ子は、今では一人で立って歩けるくらいに成長している。彼がひとつ年齢を刻むのと同じように自分も年齢を刻んでいる。「そういえば今年でいくつになった?」という質問をきっかけに「今いい人はいないのか?そろそろ結婚とかしたらどうか?」という映画やドラマで散々聞いてきた台詞が自分のiPhoneから聞こえた。あまりに他人事に聞こえるその文字列にちょっと笑いそうになる。そうか。自分はこういうことを当たり前に聞かれる年齢になったのか。質問は段々それとない催促に変わり、終わるころには「親だから心配してる」という枕詞がついているだけの「結婚してほしい」のプレッシャーを浴びせられた。自分に言われている実感がまったくないまま電話を切った。

部屋の壁を眺めながら、ほう。と考える。まったくピンとこない。確かに年齢は日々重ねていて、身体の調子が昔のようにはいかなかったりすることでそれを感じたりはする。20代を折り返し、その階段の最後の段に足をかけようとしている一歩が「結婚」というたった二文字で信じられないくらいに重くなる。そうか。結婚か。改めて考えてもピンとこない。結婚ということを否定するような考えはまったくないし素直に幸せなことだと思うけれど、こと自分のこととなると何故こうにもピンとこないのだろう。数日前に会社の帰り際に上司に捕まって、株式投資の話を延々とされた。「短期、中期、長期的な人生の目標を立てて、貯蓄をしたほうがいい」みたいなことを懇々と唱えられたときにも聞いているふりをしながら明後日の方を見ていたことを思い出した。そりゃそうした方が利口なのはわかるけど、自分は明日のこともよくわかっちゃいないんだけどなあ。みたいな阿呆みたいなことしか思い浮かばず帰ったことを思い出した。結婚にしろ何にしろ、年齢をリミットにして動きだすのって何だかなぁ。という考えは、これまで誰にも急かされないことに甘え続けた結果の「自由な生き方」を盾にした言い訳でしかないような気もする。でも、結婚して幸せに暮らす人たちと同じくらいに、結婚していなくたって楽しく生きている人だって知っている。自由な生き方を尊重しようときに、結婚を枠やレールみたいにして語ったり自由の反対に位置付けるのもそれもまたおかしい話だよなぁとも思う。どっちも自由に選んだ結果じゃんね。

そう。結局のところ、自分がどうしたいのかすらまだ見つけられていないのだからそりゃそんなことは見えてくるはずがない。そんなことをもやもや考えていたらyogiboの上で少し眠ってしまっていた。夢の中で自分は猫を飼っていて、首元を触るとすごく喜ぶから、ことあるごとに毛で覆われた首元をわしゃわしゃっとした。夢の中でどれくらいの時間猫と戯れていたのかわからないけれど、自分はその数日の間フンの世話をした記憶がないどころかごはんをまったくあげてないことに気付いて怖くなって焦りだしたところで目を覚ました。あぁ。なんか結局こういうことなのかもしれない。実感がないんだ。生まれてこの方猫を飼ったことがないのだから、なんとなくの触り方はわかっていても、もっと大切な、やらなければいけないことがわからないし出来ていないだけ。結局自分がズレてるだけなのか、と思いながら当たり前に眠気もくるわけもなくこんなことを書いている。