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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2020.07.23

 連休前の夜なんて浮かれ倒していいはずなのに仕事中の午後19時、なんとなく目をやったスマートフォンから流れてくる情報の文字列に「ぷっつん」と糸が切れた音がした。4月頃からずっと、なんとなくで誤魔化しながら、まぁなんとかやってきた。そりゃ怒ったり悲しんだりしたこともあったけど、とりあえずは夏まで、となんとなくやってきた。平日、密を具現化したような満員電車を視界の片隅に見ながら、ソーシャルディスタンス皆無の駅の改札を通り抜けたりしながら仕事をして、休日は家から出るななんて、やっぱり変だ。不要不急ってなんだろう。それを決めるのって自分のはずなのにな。家族に会いたいとか友達に会いたいっていうのは、不要じゃないにしろ不急なんだろうか、とか借り物の土地と借り物の部屋で考えたりした。あたかも、ウイルスは悪いことをした人、ルールを守らなかった人が罹るものみたいになって、周りにとやかく言われたくないから=リスク管理みたいになってるのって、やっぱり変だ。医療従事者に迷惑をかけないように?そんなの思わないわけがない。そんなこと前提としたって何かがおかしい。いかにも多そうな数字を並べて、今日は何日ぶりの何人、今日は何日ぶりに何人。果たしてその数字に何の意味があるんだろう。閾値も比較値もない数字だけ見て何を思えばいい?

 車で出掛けたり、キャンプに行ったり、そんな人たちの様子を画面で見ながらどこか取り残された気持ちになる。ちっともそれを咎めるつもりなんてない。悪いことなんて誰もしてない。でも、そう出来ない自分がいる。もうどうでもいいじゃん。強制力もない呼びかけになんて応える方が馬鹿らしい。好きなように行動したらいい。笑ってそこに参加したらいい。と思う気持ちと、そんなことをしてもしも感染の一助となってしまったら、という気持ちがいつもせめぎ合う。どうしたらいい。

 だめだ。パソコンを閉じて会社を出た。少しでも気分転換になるかと思って近くのスーパー銭湯のサウナに行くも案の定、スッキリするわけがない。汗腺を開いたり閉じたりだけして、ジメジメした梅雨の空気にうっすら汗をかきながら駅のホームで電車を待つ。電車は来ても夏は当たり前のように来ない。去年はフジロックに行った。こんなふうに去年は、何ヶ月前は、みたいに以前を振り返ることだけが多くなる。

 朝7時、架空の後輩に生意気にいじられる最悪の夢を見て目が覚める。せめて夢くらい現実を反映させてほしいというか、まったく有り得ないところから攻めてこないでほしい、と思いながらベッドをまったく出る気にもなれず、溜めていたラジオを聴きながら寝たり起きたりを繰り返した。外からは屋根を打つ雨の音が聞こえて、一層外に出る気持ちをかき消される。お昼は家にあるものをお腹に入れた。時間がある時だからこそ見れる映画や読める本なんて山のようにあるけど、そんな風にうまく時間を使えるほど器用でもなくてただただ録画したバラエティを流し見する。そのうち尽きない眠気にやられて惰眠を貪る。

 すっかり外が暗くなった、何度目かの微睡の中でハッキリとある考えが頭に浮かんだ。「そうだ。餃子を作ろう。」なんでかって?そんなのは知らない。餃子は大好きだけど自分で作ったこともなければ、材料も当たり前のようにない。買い物に行けば雨に濡れるって?どうせ家に帰るだけなんだから濡れたって何でもない。何故かはわからないけどすごくやる気が出た。着替えてスーパーに買い物に行った。何もかも何となくで食材を買ったらとんでもない量の餡が出来上がった。とっくに時計は21時を過ぎている。録画した水曜日のダウンタウンSPを見ながら無心で包んでいたら40個も餃子が出来上がっていることに気が付いた。いや、どうすんのこの量。しかもまだ餡余ってるし。まぁいっか。冷凍冷凍。と魔法の言葉のようにサランラップに余った餡を包んだ。結局、半分も食べれなかったし餡もパンチが足りなかったけど、もちもち具合と焦げ目は完璧だった。やっぱりもち粉入りの皮だといいなあ、これの大判があったらもっと上手く包めるだろうなあ、なんてことを思った。

 人間、餃子を包んで食べたくらいで元気になったらどんなに簡単かって話なので、別に気分が晴れたり、何かが腑に落ちたわけではないけれど、ちょっとだけスッキリしたのはほんとうのこと。それは諦めにも近い気持ちかもしれないけど、まあやるしかないよなあ、何かを。って気持ちになってその勢いでこれを書くに至る。時計はぐるぐる周ってもう日を跨いでいる。どうか、今日は架空の生意気な後輩が現れないように、と思いながら眠る。

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