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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2020.05.06

朝起きてふとんのなかでradikoを開き昨夜の「爆笑問題カーボーイ」を聞く。オープニングトーク45分程の太田さんの言葉。何というかそこには等身大の言葉しかなくてひどく心揺さぶられた。自分はただのラジオ好きでしかなくて、何ニストでも熱心な「ナインティナイン岡村隆史のANN」リスナーでもない。それでもあの発言は間違っていると思った。それでも一方でのキャンセルカルチャーの動きには気持ちを落としてしまう。誰かが誰かを「一生許さない」なんて、そんな悲しいことはない。無論それは謝罪し反省している人に対して。「許さない」という感情は、その対象の未来を奪うどころか自分さえも縛ってしまうような気がする。自分はずっとその人を許せないまま生きていくしかないのだから。その結果何かが変わるんだろうか。生き方や考え方の「多様性」と社会や企業は華々しく言うけれど、その実たった三文字に収まらないくらいに多様性は広く深い。ポジティブだったはずの「多様性」は次第に「分断」を生み人と人を遠ざける。映画「パラサイト 半地下の家族」に沸き立ち楽しんだ私たちの生きる社会にも地続きの「格差」がある。この格差がさらに広がれば、人と人との距離もソーシャルディスタンスが如く広がっていくんだろうか。望むことはみんな同じはずなのに、少しだけの違いや、一つの間違いのせいで歪みあってしまうのだろうか。

太田さんの言葉からは、その違いや間違いに寄り添いつつ、それでも人と人が「分かり合えない」はずなんてないと思わされるだけの力と想いがあった、あったというか自分は思わされた。なんて言ってはいるけれど、そんな話を笑いを交えながら話してくれることにとても感謝している。それは先週の岡村ANNにおける矢部の公開説教後のラストのハガキコーナーの奇妙なおもしろさにも通じる。こんななかで生きてくのにシリアスになり切るのはあまりに辛い。でもそれは無関心や無知とは違うから、自分もそんな風でいたい。

ご飯を食べて、キッチンコンロとシンク、お風呂の排水溝の掃除を気合入れてした。ずっと視界の隅でやらなきゃ、と思ってたことにようやく手をつけられた。自分は5日くらいの助走がなければこんな大仕事出来ないんだなあと改めて思った。仕事を終えてどうぶつの森をしながらうとうとする。メープルはずっと見てられるくらい可愛い。でも世間では人気が底辺のアイリスだっておれに靴をくれたりするし同じくらい好き。みんないなくなって欲しくない。

目覚めて「アルコ&ピース D.C.GARAGE」を聞く。うしろシティ阿須和さん乱入からの3人が交代で作家になる流れが面白すぎた。平子っちのカンペで声が出た。

この連休中まったくもって夜更かししてない。だから朝起きれるのだけど、元来無意味な夜更かしが好きなのでもったいない気分になってしまう。やることがないまま横になってると自然に眠りについてしまうのだ。今日くらいは、と夜更かしする気満々になっているのがいま。雨も止んだみたい。