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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2019年ベストムービー30 [21~30]

2019年、人生の中でこんなにも映画に救われたことはなかった。日常の時間は本当にうんざりすることばかりで、クソだと思うばかりだった。理不尽なことで誰かの命が奪われたり、どうしようもない天災にささやかな楽しみが奪われたり、挙げ句の果てには誰が得するのかもわからないルールに則って勝手に大好きな音楽や人物の存在がないことにされたり、ふざけんなってこころから思った。そんな時代だからか、それでもこのクソな世界を生きる意味みたいなものをなんとか見出せる映画が強く心に残った。人によってはたかが映画、でも自分にとってはその映画に心底救われた。足繁くスクリーンに向かうことでなんとかこの一年を終えられた。映画を見て笑ったり、怒ったり、泣いたり、落ち込んだり、考えたりしていろんなものを見つけられた。好きなものがあってよかった。本当にそれに尽きる。

配信作品も含めて今年は63本を劇場で見ました。そんな中で「映画の持つ力」みたいなものを指標に自分なりにランク付けしてみました。では!

 

30. マチネの終わりに

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世界的なクラシックギタリストの蒔野聡史は、公演の後、パリの通信社に勤務するジャーナリスト・小峰洋子に出会う。
ともに四十代という、独特で繊細な年齢をむかえていた。出会った瞬間から、強く惹かれ合い、心を通わせた二人。洋子には婚約者がいることを知りながらも、高まる想いを抑えきれない蒔野は、洋子への愛を告げる。しかし、それぞれをとりまく目まぐるしい現実に向き合う中で、蒔野と洋子の間に思わぬ障害が生じ、二人の想いは決定的にすれ違ってしまう。
互いへの感情を心の底にしまったまま、別々の道を歩む二人が辿り着いた、愛の結末とは―

たしかにこれは「まなざし」の映画である。そしてそのまなざしがどの方向に向けられているのか、ということにとても惹かれる。

福山雅治石田ゆり子というこれまた象徴的な(あまりにシンボルすぎる感じも否めない)2人がいながらも、その間に文字通り割って入る桜井ユキに注目せざるを得ないだろう。彼女のすることを、狂気とか勝手とか簡単に言ってのけてしまうのもすこし安易すぎるだろう。この映画の作り手たちもとてもフラットなまなざしを彼女に向けていると思う。簡単に彼女を断罪しようとはしない。ラストカットはもちろん最高すぎるのだけど、そこまでの持続は若干冗長に感じてしまったのでちょっとマイナス。

 

29. ハッピー・デス・デイ

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主人公ツリーは、キャンパスの女子寮に暮らすイケてる大学生。遊んでばかりの彼女は、誕生日の朝も見知らぬ男のベッドで頭痛とともに目を覚ます。慌ただしくルーティンをこなし、夜になってパーティに繰り出す道すがら、彼女はマスク姿の殺人鬼に刺し殺される。しかし目を覚ますと、またも誕生日の朝、見知らぬ男のベッドの上にいる。そしてまた同じ 1 日を繰り返し、また殺されてしまった。彼女はエンドレスのタイムループにはまりこんでいたのだ!タイムループを止めるには犯人を見つけることだと気づいたツリーは殺されても、殺されても、立ち向かう。しかし、その先には予想もしない衝撃の事実が待ち受けていた……。

めちゃくちゃ面白い。なぜか主人公が死ねば死ぬほど生き生きとしていくのが新鮮。鐘楼を登るとこなんて興奮しっぱなしだった。からのサスペリア!!!なオマージュ!なんでこういうスプラッタホラーが日本では撮れないんだろ。

 

28. ひつじのショーン UFOフィーバー!

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ショーンと仲間たちがのんびり暮らす中、突如UFO がやってきた。町はたちまち UFO フィーバーに沸き、牧場主も宇宙をテーマにしたアミューズメントパーク“FARMAGEDDON”を作り、一儲けをしようと企む。そんな中、ひょんなことから牧場に迷い込んだルーラは、ショーンたちと出会いすぐに仲良しになる。家族が恋しくなったルーラを家に帰してあげようと計画をたてるも、思いもよらぬハプニングが次々と巻き起こる。ルーラを故郷に返すため UFO に乗り込んだショーンとビッツァーの運命やいかに――!

フリスビー、ピザ、ドーナツ、ボール、UFOと冒頭から執拗に反復される"円"のイメージ。それに倣うように物語もまた円を描くように閉じて、変化し、繰り返されていく。
「ぼくだけのひみつのともだち」イズムに丁寧に則りながら、ショーンとルーラが交流を深める過程を描いているシーンでおじさんはもうすでに涙を禁じ得なかった。手を合わせることの喜び、想像、そして別れの悲しさ。クレイアニメから溢れる涙のなんたる美しさよ。ROMAじゃん!と言いたくなるようなシーンの美しさよ。
きっと見ている多くの子供達やその親たちが、言葉を発しないショーンの気持ちを想像し考えるだろう。そんなことを考えたらさらに涙ぐんでしまったおじさん。

 

27. ブラック・ミラー:バンダー・スナッチ

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1984年、ビデオゲームの開発チャンスを得た若いプログラマーファンタジー小説に基づくゲーム開発に取り組む中、現実とパラレルリアリティが混同し始める

手のひらに収まる液晶を通して見る物語は果たして別の世界なのだろうか。選択の映画が好きだ、と言う自分にとってこれは「選択の映画」なのか?というかそもそもこれは「映画」なのか?

接待かのように受け手を気にした過剰な娯楽性と物語の安易さ、音楽にしろ映画にしろ選び取らずとも手に入るサービスの手軽さ。あるいは"ながら見"を前提として、「作品名+考察」でググって全て分かった気になる思考停止した視聴者。その全てに対してのカウンターになる映画だと思った。

生きることは選択すること。選択することは一見自由に見えてとても不自由だ。一方を選び取った瞬間に一方は零れ落ちてしまうのだから。選択は道の拡がりではなく、道を削ぎ落としていくことなのだと思う。作中におけるひとつのパターンのラストで、主人公が迎える結末を分かっていながら、ある選択を迫られる場面がある。こういう結末はいくつもあるけど、(例えば『メッセージ』とか)それを観客側に選択させるっていうのは、ちょっととんでもない領域に来てないですか。それはやっぱりテレビゲームをプレイして得られるような感覚じゃなくて、自分の中でこの作品が間違いなく「映画」だと思える確信なんですよね。うまく言えないけど。

僕らが観ているのは、いつだって何処かで確かに生きてる誰かのものがたりだ。だったら考えることから逃げちゃいけない。観る選択をしたのは君でしょ?
ただ、この作品を映画と位置付けるとしたら、もっと映画的な要素が盛り込まれてほしかった。という要らないつっこみもいれとく。でも間違いなくこれは観るべき!!!

 

26. 21世紀の女の子

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80年代後半〜90年代⽣まれの新進映画監督14名+アニメーション監督1名が参加。全編に共通した“自分自身のセクシャリティあるいはジェンダーがゆらいだ瞬間が映っていること”を、各監督が8分以内の短編で表現するオムニバス作品。

すこし、作品とは別の話をします。「なんで映画を見るの?」と聞かれたらあなたは理由を答えられますか?自分は「まぁ好きだからかな」とかそんなざっくりしたことしか言えないけど、約2時間の言ってしまえばただの映像を見るのに、1800円払って、それを月に4本くらい観て、年間50本くらい観て、好きなだけでそうまでするのか、とちょっと自問する。ときもある。何の話かというと、この「21世紀の女の子」を観てその答えが確認できた気がしたのです。それは、この映画の中に答えがあったとかそういうわけではなく、元から自分の中にあった答えを見つけられたというか。
多分、スクリーンの中に、ただの映像の中に、自分を探してるんじゃないでしょうか。
行ったこともない国の知らない人が作った映画の中に「この気持ち知ってる」とか「これは自分だ」って思えることがあると安心する。自分じゃなくてもいい。「こうだったかもしれない自分」とか「あのときのだれか」とかを見つけることもできる。そういう瞬間が重なって好きな映画って出来ていく気がする。

この映画は「自分自身のセクシャリティあるいはジェンダーがゆらいだ瞬間が映っていること」をテーマに21世紀の女の子のためにこそつくられた映画だ。それは揺るぎない。ただ、もちろんその「21世紀の女の子」は性別としての女の子には限らないのだと思う。暗い映画館の中でスクリーンのなかに自分や誰かを必死に探すわたしたちに向けた映画なのだと思った。この映画の作り手たちもかつてそうした出会いがきっとあって、脈々とそれを受け継ごうとしてるのだと思った。そんな企画というか、映画は最高だ。
8分15本の短編は、長編を撮ったことのある監督からこれが初という監督もいるので、もちろんクオリティには差がある。でもそれは映画的な技術というよりはテーマへの切り込み方の差のような気がした。LGBTの描き方には既視感の強いもの多いし、短編だからかもしれないけどけっこう後ろ向きだなぁと思ってしまうものが多かった。これは自分が男だからなのかな。「誰かを好きになること」とか、もっと言えば「自分を好きになること」が前提としてあって、そこに関係として男女や女性同士や男性同士の恋が生まれていくのかなぁと思う。とても単純な話。それを感じたのが、『愛はどこにも消えない』『セフレとセックスレス』『out of fashion』『君のシーツ』『回転てん子とどりーむ母ちゃん』でした。山戸結希の『離ればなれの花々へ』は圧倒的。正直言ってレベルの違いをまざまざと感じさせられた。映画の圧が違う。なんというか異常。
ただ、15本の短編どれも全力で投げてくるので終盤はへとへとになってたから実質ラストの山戸結希の1本でぶちのめされたのもあるかもしれない。

 

25. 蜜蜂と遠雷

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「ここを制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」というジンクスをもち、近年高い注目を浴びる芳ヶ江(よしがえ)国際ピアノコンクール。ピアノの天才達が集うこのコンクールの予選会に、若き4人のピアニストが現れる。7年前の突然の失踪から再起を目指す元・天才少女、英伝亜夜(松岡茉優)。“生活者の音楽”を掲げ、最後のコンクールに挑むサラリーマン奏者、高島明石(松坂桃李)。人気実力を兼ね備えた優勝大本命、マサル森崎ウィン)。今は亡き“ピアノの神”からの「推薦状」を持つ謎の少年、風間塵(鈴鹿央士)。熱い“戦い”を経て、互いに刺激し合い、葛藤し、成長を遂げ<覚醒>していく4人―。その先に待ち受ける運命とは。

例えばふと見上げた月が綺麗だったとき、「綺麗だ」と言葉にしたりスマートフォンの写真に収めるだけではどうにも我慢できなくて、その感情を音にしたり、絵にしたり、詩に出来る人がいる。それは日常の様々なところに潜んでいる。窓から差し込む朝日や、電車の窓を通り抜ける街並みや、誰かとの手の重なり。そして屋根から落ちる雨の滴や海の向こうで鳴る雷。「世界」は見えない音で溢れている。

この映画は対面と並立の繰り返しによって「世界」へあらゆるものを解放していく。鏡の中の自分と対面する亜夜から始まり、演奏シーンは常にピアノと演奏者との対面。それが中盤の塵と亜夜の連弾シーン、終盤のマサルと亜夜の二重奏のシーンと並立構造が随所に織り込まれることで物語は解放へと進んでいく。空間づくりも同様で、やけに暗いエレベーター内や練習室という密室から、ホールの開けた空間や海へと物理的に空気が解放されていくのがとても気持ちが良い。音楽もそれに共鳴している。
とくに唸ったのがマサルがランニングをするシーン。言ってしまえばマサルが走っているだけなのに、その画面構成が全カット美しい。全編にわたってシンメトリーや螺旋など構造的な美しさを捉えるのが抜群に上手い。

役者陣も主役の4人から端役まで全員素晴らしい。松坂桃李のインタビューシーンの目線は一級品だし、特にいい味出してたのが調律師コンビ。

 

24. アイリッシュマン

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全米トラック運転組合のリーダー:ジミー・ホッファの失踪、殺人に関与した容疑をかけられた実在の凄腕ヒットマン:フランク“The Irishman”・シーランの半生を描いた物語。全米トラック運転手組合「チームスター」のリーダー、ジミー・ホッファの不審な失踪と殺人事件。その容疑は、彼の右腕で友人の凄腕のヒットマンであり、伝説的な裏社会のボス:ラッセル・ブファリーノに仕えていたシーランにかけられる。第2次世界大戦後の混沌とし たアメリカ裏社会で、ある殺し屋が見た無法者たちの壮絶な生き様が描かれる。

これ、自分はNetflixでの視聴ではきっと耐えられなっただろうなあ。3時間30分という上映時間もそうだし全体の反復構造に耐えられたかというと劇場じゃなきゃ無理だったような気も。たしかに長いのだけど2時間を超えたあたりから不思議なグルーヴを感じてくるのも事実。めちゃくちゃ長いミニマルテクノを聴いてるみたいな。からのラスト30分のあまりに切ない虚無感というのも強烈に印象に残る。

去り際、引き際、という意味では2019年公開作の『運び屋』『さらば愛しきアウトロー』が重なるし、いずれの作品も主人公に対する批評的な視点が入っている、シリアスに徹していないという点が共通している気がする。

 

23. ミスター・ガラス

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3人の特殊な能力を持つ男が集められ、“禁断の研究”が開始された。不死身の肉体と悪を感知する力を持つダン、24もの人格を持つ多重人格者ケヴィン、そして、非凡なIQと生涯で94回骨折した壊れやすい肉体を持つミスター・ガラス…。彼らは人間を超える存在なのか?最後に明らかになる“驚愕の結末”とは?M.ナイト・シャマラン監督が『アンブレイカブル』のその後を描く、衝撃のサスペンス・スリラー。

シャマラン、、、ありがとう、、、!!!!!って気持ちでいっぱいになった。内容に触れてネタバレ記事で隠すのもちょっともったいないので抽象的なことになってしまうけど、「何かを(自分を)信じること」とか「世間に向けて声を上げること」みたいな超普遍的かつタイムリーなことにまさかこの映画が切り込んでいくとは。
「スプリット」のときは過去作を知ってることを前提とした構造にちょっと腹立ったけど、今回はさすがにねぇ。なので「アンブレイカブル」「スプリット」は改めて直前見直してから今作を観に行ったけど、それが大正解でした。特に「アンブレイカブル」は直前に見直してから観に行った方がいいと思います。あのときにとっていた行動が、今回どう変わるのか。または変わってないのか。特に、自分は今作の終盤にフラッシュバックするある過去のシーンで「あぁ、、」って声が出てしまうくらいにグッときてしまった。

 

22. ホット・ギミック ガールミーツボーイ

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どこにでもいる平凡な女子高生・成田初。優しい兄・凌、元気な妹・茜と両親と、ごく普通の家庭で暮らしていた。ある日、同じマンションに住む橘亮輝に弱みを握られ、亮輝の無茶な命令に振り回されることに。そんな時、数年前に突然引っ越していった幼馴染・小田切梓が帰ってきた。人気モデルとして活躍し、遠い存在だと思っていた梓が、昔と変わらず自分を守ってくれる姿に初は自然と魅かれていく。亮輝に邪魔をされながらも、初と梓は付き合うことに。幸福感に溶けてゆく初だったが、実は梓にはある目的があった―。

山戸結希の映画だから見にいったわけで、ということは普通のティーンムービーではないということは承知の上で席についてるわけなのだけど、「溺れるナイフ」以上に物語は破綻してる。登場人物への共感性なんてものは一切排除して、整合性をかなぐり捨ててでも美しい瞬間、生きた瞬間を紡いでいる。それが映画なのかと言われたらわからないけど、これほど映画を観て違和感を感じることもそうない。だから、デートでこれを選んだカップルや友達同士の女子高生が観終わった後に、言語化できない違和感が残ることがあるのだとしたら、それだけでもこの映画の存在価値はあるのだと思う。
なぜ、不意にカットバックが入るのか。なぜこんなにカットを割るのか、なぜこんなにも不安定なカメラワークなのか、なぜ脈絡もなくシャボン玉が映り込むのか、そういう違和感や疑問こそ映画の魅力なのだと自分は思う。共感よりも違和感。

しきりに繰り返される「からだ」「はだか」「からっぽ」というワードから、物語は恋愛を越えて女の子が/男の子がこの世界を生きていくことに飛躍していく。終盤の街の灯りが輝く夜の豊洲のシーンは、「21世紀の女の子/離ればなれの花々へ」並みの圧倒的なパワー。

 

21. バーニング 劇場版

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小説家を目指しながら、バイトで生計を立てるジョンス(ユ・アイン)は、偶然幼馴染のヘミ(チョン・ジョンソ)と出会う。ヘミからアフリカ旅行へ行く間、飼っている猫の世話を頼まれるジョンス。旅行から戻ったヘミはアフリカで出会ったという謎の男ベン(スティーブン・ユァン)を紹介する。ある日、ベンはヘミと共にジョンスの家を訪れ、自分の秘密を打ち明ける。“僕は時々ビニールハウスを燃やしています”―。そこから、ジョンスは恐ろしい予感を感じずにはいられなくなるのだった・・・。

火はなにかを燃やし尽くす凶器になる。反面、なにかを祈るときに人は火を灯したり、また夜空に火を打ち上げたりする。なにかを芸術として昇華するのは、映画の特性の一つだと思う。目も当てられない現実を、想像とメタファーで作り物の世界として作り直す。現実では出来ないことをやってのけられる。ないものをあるようにできる。または、なくなってしまったものの痕跡をいつまでも残し続けられる。ジョンスが最後にしたことはそういうことだと自分は思った。ヘミのいない部屋でマスターベーションしかしてこなかった彼が、止まっていた物語を自分で創り上げようとする。その物語こそあのラストなんじゃないだろうか。怒りも妬みも格差も過去も全て燃やし尽くしてしまえと。光と影のちょうど狭間、現実と虚構のちょうど狭間の瞬間を捉えたマジックアワーのなかヘミが踊るシーンは映画史に残る名場面だと思った。