anomeno

神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2019.09.01〜2019.09.02

1日

1日の日曜日。やることはひとつ。映画を観にいく。ロバート・ゼメキスの「マーウェン」と80'sホラーの新星「サマーオブ'84」を観た。柏にあるキネマ旬報シアターは見逃した過去作をしっかりやってくれるから好き。キネ旬がやってる映画館なのに雰囲気が町営感があって好き。観客が今年選んだベスト10が書いてある手書きの紙がファイルしてあったりポストイットでリクエストや感想が書いてあったりするのも好き。座席もフリー。おすすめ。

 

2日

生活の中にはちょっとした妥協とかちょっとした怠惰みたいなものが溢れてる。朝、顔を洗った時排水溝の汚れが目につく。部屋の隅の埃が目につく。あぁ掃除しなきゃ。と確かに思う。帰ったら掃除をしようと思う。思い続けて1週間がたったりする。不快なことなのに。そこに汚れがある、というのがわかっていてそれを不快に思っているはずなのにそれをわざと見逃したりする。朝、歯を磨いてうがいをするコップ。洗おうと思って2、3日洗わないままにしてしまう。なんとなく汚いことはわかってる。でもそのコップでまたうがいをしてしまう。綺麗じゃないとわかっているのに。良くないとわかっているのにその場を凌ぐためにしてしまうことってある。自分はある。別に死ぬわけじゃない。でもそういうちょっとした妥協は少しずつ少しずつ身体の中や心の中にたまっていくような気がする。笑うようなことじゃないことで笑って合わせるとき。本当のことを言えばいいのに体を保つためにちょっとした嘘をついたりするとき。汚れたコップで水を飲んだ瞬間、「またやっちゃった」と思う。1人で暮らすようになって、休日重い腰を上げて掃除をしていると、不思議と気分が良くなる。気もする。折りたたみベッドをたたんでその下の埃を吸うとき変な達成感で満たされる。綿棒で排水溝の汚れを取るとき、真っ当な人間になれた気がしたりする。少しずつ腐っていきそうな心を保つ防腐剤は案外安直な行動の中にある。のかも。つづく。(つづかない)