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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2019.06.23

朝起きて掃除をする。映画見に行こうかなとか考えてたけど、遅めに起きてしまったので断念。昨日無印で買ったジンジャーキーマカレーを食べる。ゆで卵も作った。完熟にしたかったけど意図せず半熟になって良かった。辛くて美味しい。これが唐辛子マーク4/5なんて5/5のグリーンカレーはどうなってしまうんだろう。

 

かなーり前にかったトムミッシュのレコードが届いていたので針を落とす。ふと、アナログの音とデジタルの音ってどんくらい違うんだろうと聴き比べてみたけど、正直言って自分にはよくわからなかった。ちょっと太くて輪郭が丸く感じるくらい。でもレコードは買う行為とか聞くまでの諸々がいいんだよなあということで勝手に納得した。

 

お昼過ぎから友達と会った。きたねえ中華屋で飲むというテーマを達成した。最近好きなラジオとかお笑いの話をした。今年のM-1、誰が出るかな。楽しみだよね。別の友達と合流して、きたねえ中華屋から小洒落たイタリアバルへ。バルて。バケットという単語が出てこないことに老いを感じた。かってぇパンとしか言えなかった。地元にいたとき、お酒を飲みに行くってときは、「どこ?」って聞かれると店名で答えてたな。今は大体地名で答えてる。なんかその感覚をふと思い出した。

 

また休日が終わって1週間が始まる。日記をつけ始めて1ヶ月くらいがたった。まだ続いてる。自分にとっての壁は3ヶ月だと思ってる。何事も3ヶ月の継続が難しい。ジムもそう。ヨガもそう。大体3ヶ月ごには行かなくなってる。いや、ヨガはまだこれからも行きます。辞めてはいない。正直日記だっていつ辞めるかわからない。大したことも書いてないから読み返すこともない。

Twitterでフォローしてるミワさんという方の日記をまとめた「やがてぬるい季節は」「日々はすべて穏やかな一日に」という本がある。それを読んでいると、会ったこともないのに彼の生活やその前後と背景のことを想像してしまう。何を見たとか何を食べたとか、そんな些細な選択も誰かの暮らしを形作る要素なのだと思わされる。「日々はすべて穏やかな一日に」の冒頭には「誰かの目の届くインターネットに自分の文章を残す意味」について書かれている。自分もそうだと思った。手帳に記すだけでは、自分しか見ない携帯のメモに残すだけでは、満たされない何かがあるのだと思う。誰かの目に入ることを前提としてないとはいえ、そんなのきっと建前や保険のようなもので、きっといろんな人に見てほしいと心のどこかでは思っている。そんなこと言いながら書き続けるのはちょっと恥ずかしいと思いながら、3ヶ月を越えても日々を書き続けたい。