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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2018年ベストムービー30 [11~20]

20. 15時17分、パリ行き

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2015年8月21日、アムステルダム発パリ行きの高速列車タリスが発車した。フランス国境内へ入ったのち、突如イスラム過激派の男が自動小銃を発砲。乗務員は乗務員室に逃げ込み、500名以上の乗客全員が恐怖に怯える中、幼馴染の3人の若者が犯人に立ち向かった――。

正直言ってこの映画が面白いのか、そもそも、これが映画なのか、未だに判断できない自分がいる。

ただ、ちらほらレビューを見ると、前半の1時間はいらなかったというのを見かける。それには断じてNOと自分は言いたい。なぜなら、あの最後の30分の流れは彼らの選択の末にあった出来事なのだから。もしも、彼らがパリに行こうと思わなければ、もしも、彼らがアムステルダムに行こうと思わなければ、もしも彼らがヨーロッパ旅行に行こうと思わなければ、もしもスペンサーがSEREに配属されなければ、もしも彼らが州軍に行こうと思わなければ、もしも、彼らが出会わなければ。幾重にも重なる選択肢の果てにあった奇跡だったのだからその積み重ねに意味がないなんてそんなことは思いたくない。それに、あの観光シークエンスのカメラワークの不思議さったらない。 普通だったら、セルフィーをつかった視点だったりがあってもいいはずなのに、ふと気づくと切り替わるショットは第三者の俯瞰的な視点だったりする。なんじゃこりゃ。

 

19. 響-HIBIKI-

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スマートフォンSNSの普及により、活字離れは急速に進み、出版不況の文学界。 そこに現れた一人の天才少女、彼女の名は『響』(平手友梨奈)。 15歳の彼女の小説は、圧倒的かつ絶対的な才能を感じさせるもので、文学の世界に革命を起こす力を持っていた。 文芸誌「木蓮」編集者の花井ふみ(北川景子)との出会いを経て、響は一躍世の脚光を浴びることとなる。 しかし、響は、普通じゃない。 彼女は自分の信じる生き方を絶対曲げない。 世間の常識に囚われ、建前をかざして生きる人々の誤魔化しを許すことができない。 響がとる行動は、過去の栄光にすがる有名作家、スクープの欲だけで動く記者、生きることに挫折した売れない小説家など、様々な人に計り知れない影響を与え、彼らの価値観をも変え始める。 一方、響の執筆した処女作は、日本を代表する文学賞直木賞芥川賞のダブルノミネートという歴史的快挙にまで発展していく。

若くして圧倒的な才能を持つ天才の気持ちなんて、凡才の自分にはわからない。感情移入なんて出来ない。しかし、自分とは一歩横にずれた道を歩く天才こそ、最も自分を写す鏡足り得るのかもしれない。

ちはやふる」が圧倒的な才能を前にした凡才が足掻く意味、それでも何かをやり続ける意味を描く映画だったとしたら、この「響-HIBIKI-」は圧倒的な才能が圧倒的な才能としてこの世界に在る意味に鋭く切り込んでいく映画だ。

冒頭の屋上のシーン、中盤の祖父江宅の玄関のシーン、地下鉄のシーン、そしてラストの踏切のシーン、決して横並びにはならずあくまで対面する形で響と向き合う彼や彼女たち。到底届かない。でもその圧倒的な頂に向って歩を進めることを止められない。

はたまた、届かないなら足くらいは引っ張ってやろうと妬み、僻むものたち。そんなクソくだらない足の引っ張り合いゲームにまみれた風潮にもひたすら中指を立てる姿勢にもむちゃくちゃ胸が晴れる。ファック。死ぬまでやってろ。

平手友梨奈の演技は、この役だからギリギリありな感じは否めないけどそのオーラでスクリーンを支配しているし、周りの役者陣がしっかり補填しているのがいい。
北村有起哉との会話のシーンなんてむちゃくちゃ良かっただけに、会話が切り返しだけなのがもったいないと思った。あの「えっ?」「え?」のところとか絶対もっと面白く撮れたと思う。かと思えば、柳楽優弥が地下鉄に向かうシーンで急にザラザラしたルックになるのも面白い。急に浮遊感のあるルックが飛び出す瞬間がいくつもあって、それがとっ散らかってると言えばそうなんだけど不思議な魅力があるのも事実。小栗旬との対面はもう言わずもがな。最高。

原作を読んでないので、そういうものと言われればそう納得するしかないのだけど、編集者の花井との信頼関係があこまで強靭なものになるものがいまいち説得不足な気もしたり。あの電話一本で響は完全に信頼したのだろうか。不安定な響を導いていくメンターの存在がいないと思ったのもそう。とはいえ、彼女たちをもっともっと見たいから続編は絶対作ってください!!!!!

 

18. へレディタリー/継承

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グラハム家の祖母・エレンが亡くなった。娘のアニーは、過去の出来事がきっかけで母に愛憎入り交じる感情を抱いていたが、家族とともに粛々と葬儀を行う。エレンの遺品が入った箱には、「私を憎まないで」というメモが挟んであった。アニーと夫・スティーヴン、高校生の息子・ピーター、そして人付き合いが苦手な娘・チャーリーは家族を亡くした喪失感を乗り越えようとするが、奇妙な出来事がグラハム家に頻発。不思議な光が部屋を走る、誰かの話し声がする、暗闇に誰かの気配がする・・・。やがて最悪な出来事が起こり、一家は修復不能なまでに崩壊。そして想像を絶する恐怖が彼女たちを襲う。一体なぜ?グラハム家に隠された秘密とは?

地獄みたいな状況で垣間見える人間の底力みたいなものにこそ惹かれる自分にとっては、やっぱり好きな映画とは言えなかったけど、そういう理解や道理が通じないことこそがこの映画の本当の怖さなのでは、と思った。暗い廊下の奥にも、血の繋がった家族の心の中にも、底知れぬ闇がある。しかもそれは最初から。気付いた時には、もう手遅れ。的な。

ホラー映画大好きを自負する自分でも、もうこれ以上やめてくれってシーンが2つほどあった。見た人はそのシーンについて話そう?

 

17. シュガーラッシュ:オンライン

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ヴァネロペが暮らすお菓子の国のレーシングゲームシュガー・ラッシュ>が壊れ、ラルフとヴァネロペは交換部品を調達する為に初めてアーケードゲームの世界を飛び出しインターネットの世界へ。二人の未知の世界への冒険は、思わぬ事件へと発展することに。

前作も大好きだっただけに、上がりきったハードルを越えてくるか心配な面もあったけどそこは流石のディズニー。というか流石のリッチムーア。圧倒的な脚本の強度。
そして、思ってもみなかったなんともビターな結末に心底驚かされてしまった。自分はこの結末はとても正しいと思うし、2018年の映画として当たり前だと思うけど、ディズニーがこういう道を選ぶとはね…。

冒頭から示される「此処ではない何処か」「自分存在意義/未だ見ぬ可能性」に対してそれでも此処で生きていく、的な道を提示するんだろうなぁと思っていたけど、そりゃそうよね。固い友情も愛も血縁も、誰かの意思を縛るものじゃない。世界は広い。自分で自分の道は選べる。そうでしょ?

インターネット世界の描き方にも隙はないのだけど、コメント欄の悪意を差し込んだのはちょっと余計な気がした。たしかに触れておきたいところだけど、いまいち回収しきれてなかったような。

 

16. フロリダ・プロジェクト

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6歳のムーニーと母親のヘイリーは定住する家を失い、フロリダ・ディズニー・ワールドのすぐ外側にある安モーテルでその日暮らしの生活を送っている。周りの大人たちは厳しい現実に苦しむも、ムーニーはモーテルに住む子供たちと冒険に満ちた毎日を過ごし、そんな子供たちをモーテルの管理人ボビーはいつも厳しくも優しく見守っている。しかし、ある出来事がきっかけとなり、いつまでも続くと思っていたムーニーの夢のような日々に現実が影を落としていく—

「誰も知らない」を見てから、あまりにもその辛さにやられてしまって食欲を失ってしまったこともあってか、見る前はかなり構えていたのだけど、子供達の視点のチャーミングさでなんとか辛い現実を見つめることができる。
でも、バスルームのカーテンの向こう側には決して見えないけれど現実があって、それは隠されるほどに存在を強くする。ムーニーの「大人が泣き出す瞬間がわかる」という言葉から、彼女が日々どんな視線を送っているかが想像できる。

アイスは溶けてしまうもの、花火は散ってしまうもの、そして夏は終わり、カーテンは剥ぎ取られていく。あのままムーニーがあの場所に居続けた方がいいなんて絶対に思わないけど、彼女にとってのあの場所は、もっともっといろんなものが見えていたはず。
大きな現実が目の前に立ちはだかった時、ムーニーの手を取るのが誰なのか。その人が最初はどんな目を向けていたのか。そんなことを思い出したら、あの数分の大きな転換からのラストシーンを涙なしには見れなかった。久しぶりにこんなに感情をかき乱された。

 

15. ブリグズビー・ベア

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大切なことはすべて、「彼」が教えてくれた—。 ジェームスは、外気から遮断された小さなシェルターで、両親と3人で暮らす25歳の青年。 子供の頃から毎週ポストに届く教育ビデオ「ブリグズビー・ベア」を見て育った彼は、今は「ブリグズビー・ベア」の世界の研究に勤しむ毎日を送っていた。 少し退屈でも、パソコンでチャットする友人や仲の良い両親と、平和な日々がずっと続くのだと思っていた。しかしある日、警察がジェームスを連れ去り、両親は逮捕されてしまう…。

万引き家族」がカンヌ映画祭パルムドールを受賞して、インディー映画の「カメラを止めるな!」が大ヒットし、「ガーディアンズオブギャラクシー」のジェームガンが過去の問題発言で監督を降板した2018年。そんな時代の象徴のような映画だった。

消せない過去や向き合えない今に対して、人間にはアートや表現という武器がある。芸術や創作でしか昇華できないことがある。「好きなこと」があるとそれだけで生きていける。生活に色がつく。自分にとっても映画や音楽がそれだ。

バイバイ、ブリグズビー。もう会うことはないけど忘れないよ。

 

14. アベンジャーズ/インフィニティー・ウォー

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6つすべてを手に入れると世界を滅ぼす無限大の力を得るインフィニティ・ストーン。その究極の力を秘めた石を狙う“最凶”にして最悪の敵<ラスボス>サノスを倒すため、アイアンマン、キャプテン・アメリカスパイダーマンら最強ヒーローチーム“アベンジャーズ”が集結。人類の命運をかけた壮絶なバトルの幕が開ける。果たして、彼らは人類を救えるのか?今、アベンジャーズ全滅へのカウントダウンが始まる!

おそらく、エンターテイメントを極めた映画として、こんなに面白くてストレスなく観れる映画はないはず。ヒーロー映画だから、とかで観ないのはもう完全に遅れてるので、過去作追ってる追ってないに関わらず、今を生きる人間として見るべき。

予習するなら「アベンジャーズ/エイジオブウルトロン」「ガーディアンズオブギャラクシー」「キャプテンアメリカ/シビルウォー」「マイティーソー/ラグナロク」は抑えておくと、より楽しめると思います。

 

13. ブラックパンサー

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若き国王ティ・チャラ、またの名を漆黒のヒーロー<ブラックパンサー>。2つの顔を持つ彼の使命は、祖国である超文明国家ワカンダの“秘密” ──“ヴィブラニウム”を守ること。それは、世界を破壊するパワーを秘めた鉱石だった。突然の父の死によって王位を継いだティ・チャラは、人類の未来をも脅かすこの国の“秘密”を守る使命を負う事に。だが――「私に、使命が果たせるのか…?」

希望のような映画だ。誰かを許すこと、与えること、わけあうこと、守ること、そんな当たり前のようなことを声を大にしていう映画が絶対に必要だった。
もはや逃れられない螺旋のように繋がっていくヒーロー映画に若干辟易としていたその果てに、こんな役割をスマートに担う映画が産まれるのだから、まさにヒーローだなぁと。

もう、とにかくマイケルBジョーダン演じるキルモンガーの存在の妙。「クリード チャンプを継ぐ男」にも重なる、自分の出生の意味を疑わざるを得ない人生。それでも自分の、もしくは父の生きてきた意味を見出したかったから、彼にとってはあの生き方こそがその意味だったんだろう。

この映画の凄いところは、誰にだって優しい目を向けるところだと思う。(まぁ、そのくせカーアクションで無茶苦茶やりまくるところもまた良い)ティチャラがキルモンガーに最後に取る行動の意味や意思を考えると、胸がいっぱいになる。その瞬間の景色の美しさもまた。

あとは、命を無駄にしないところ。(まぁ、そのくせカーアクションで無茶苦茶やりまくる…)仲間の死を感動にするなんてのはもう古臭い。そんなものは作られた感動でしかないと思う。真の感動というのはきっと、この映画のラストで語られるまっすぐな、とても真摯なメッセージにこそ詰まってるのだと思う。

 

12. カメラを止めるな!

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とある自主映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画を撮影していた。本物を求める監督は中々OKを出さずテイクは42テイクに達する。そんな中、撮影隊に本物のゾンビが襲いかかる!大喜びで撮影を続ける監督、次々とゾンビ化していく撮影隊の面々。映画史をぬり変えるワンカットゾンビサバイバル!……を撮ったヤツらの話。

映画好きだったけど、もっともっと映画が好きになった!!!!ネタバレしないとしたらそれしか言えねーよこのやろー!!!

今更かもしれないけど、もしも見てない人がいたら絶対に予告編もあらすじも見ないで見るべき!とはいえ構造のトリックには途中で普通に気づくとは思うし、これまでやられたことのない手法だとも思わないけど、それを超えた魅力があると思う!

 

11. アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル

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貧しい家庭にて、幼いころから厳しく育てられたトーニャ・ハーディングマーゴット・ロビー)。その才能と努力でアメリカ人初のトリプルアクセルを成功させ、92年アルベールビル、94年リレハンメルと二度のオリンピック代表選手となった。しかし、彼女の夫であったジェフ・ギルーリー(セバスチャン・スタン)の友人がトーニャのライバルであるナンシー・ケリガンを襲撃したことで、彼女のスケート人生の転落が始まる。一度は栄光を掴みアメリカ中から愛され、そしてフィギュア界から追放され、プロボクサーへ転身したトーニャの波乱万丈な半生を描いた物語。

何が真実で何が作り物なのか、という映画の核に切り込みつつも、それでも美しいと言えるもの、を突き詰めた映画だった。