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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2018年ベストムービー30 [21~30]

やっと書けた!!!

今年はほとんどが映画館で観た映画のみでランキングしました。年間で57本。年間で50本超えたらシネフィル名乗れるかもとか思ってたけど、相当取りこぼしてるからまだまだだなぁと思います。重要どころでいうと「グレイテスト・ショーマン」「犬ヶ島」「ゲティ家の身代金」とかは見れていなくて悔しい。

毎年なんとなく順位をつける上での指標なんかを考えたりしますが、今年は特に「映画を言葉にする意味ってなんだろう」と考えるようになった。言葉にできること。言葉にならないこと。色々あるけど、やっぱり自分にとって映画を見て何か文章を書くことって確実に自分なりのアウトプットになっていると思う。そんな中でも、上位に入っているものは「自分が持ったことのない感情」が強く表れたものが多いと思います。

あとは「多様性」をテーマにした映画が増えたり、もっと言えば当たり前に多様性が映画の中に盛り込まれたものが年々多くなってきていると思うけれどその描き方のスマートも自分の好みに多分に影響を与えているなぁと思った。では!行きましょう!

 

 

30. ワンダーストラック

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1977年、ミネソタ。母親を交通事故で亡くし、おばさんに預けられる少年ベン。実父を知らないベンは、母の遺品から父のある手がかりを見つける。その50年前の1927年、ニュージャージー。両親が離婚し、厳格な父に育てられる聴覚障害のある少女ローズは、いつも孤独だった。憧れの女優リリアン・メイヒューの記事をこっそり集めたスクラップブックがローズの宝物。ある日、ベンは会ったことのない父を探して、ローズは憧れの女優に会うために、それぞれニューヨークへと向かう。異なる時代に生きた2人の物語はやがて謎めいた因縁で結びつけられ、ひとつになっていく――。

トッドヘインズの映画という情報だけで、これは見なくてはと思い前知識0で挑んだので、最初は???だったのだけど2人がNYへと旅立つ瞬間から、これは猛烈に好きな映画だという確信を得た。だって、まったく別の時代を生きる2人の少年少女が、此処ではない何処かを目指して旅に出るんですよ?遠い昔に地球に落ちた隕石に触れて、時間を超えて2人が通じ合うところとか、そりゃあもう素晴らしいじゃないっすか!

終盤、ある形でNYの街に囚われ暗闇の中で立ちすくむ2人を救うのが何なのか。それこそ現代にも繋がる希望でため息が漏れてしまった。モノクロ映画、サイレント映画という古典に敬意を払いつつ、脈々と繋がれる歴史やルーツの尊さを、他の誰でもない未来の子供達へに向けて描くその意義に感服した。振り返ること、過去への目配せだけじゃなくて、あくまで未来へと繋いでいくことが大事なんだよね。この映画を見て、映画の面白さや不思議さを感じる子供達が多くいることを願う。

 

29. 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 

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高校1年生の大島志乃は上手く言葉を話せないことで周囲と馴染めずにいた。そんな時、ひょんなことから校舎裏で同級生の加代と出会い、一緒に過ごすようになる。 人と距離を置き卑屈になりがちな志乃だったが、加代からバンドを組まないかと誘われたことで少しずつ変わっていく。ふたりで過ごす夏休みが平穏に過ぎていくと思っていた志乃だったが、自分をからかった同級生の男子・菊地が強引に参加することになり…

とても評価に困る映画だ。映画としてとても上手いとは言えない作りだと思うのだけど、なぜか嫌いにもなれない。なんなら否定もしたくない。観終わってからあの3人が心から離れない。今サントラを聴いてたら自然と笑みが溢れてくる。

予告を見たときから、これはきっといい映画だと直感で思った。吃音がテーマということは置いておいたとしても、言葉にできない想いを音楽にするなんて、こんなに映画としてグッとくる要素はないと思ってたから。それにあの蒔田彩珠さんがダブル主演のうちの1人なのだからもう間違いない。

ファーストカット、アラームがなる直前の目覚まし時計に手を掛け、鳴ったと同時に止める。ゆっくりと布団が動く。言葉や表情がなくても得体の知れない憂鬱が滲み出る。良いじゃん!教室の中、迫ってくる自己紹介の順番をゆれるカメラとクラスメイトの背中で捉える緊迫感。そして、タイトルクレジット。良いじゃん!

言葉に出来ない、が主軸にあるからこそ言葉以外の手段での話運びや演出がとても映えていた。南沙良さんの澄んだ声と、明らかに拙いギターもいい。

じゃあどこに引っかかったのかというと、志乃ちゃんが逃げ出してしまう展開の一辺倒さが途中から明らかに映画全体を鈍重にしてるところ。真意も(途中までは)わからないしね。

あとは菊池という存在の扱いの難しさ。志乃ちゃんは上手く話せない、加代は音楽が好きなのに上手く歌えない、菊池は空気が読めないから人と上手く付き合えない。それぞれに生き辛さを抱えていて、もちろん菊池にも過去はあって。でもあの描き方だとどうしたって菊池が悪者になってしまうような気がするんだよなぁ。確かに彼に罪はあるんだけど、どっかで救いをあげたかった。

で!これが一番の不満点なのだけど!最後の文化祭のシーン。原作通りなのだけど、最後の志乃ちゃんの告白はあれこそ歌にすべきだと思った。それが漫画には出来ない、映画だから出来ることでしょ!歌じゃなくて自分の言葉で話す、っていうことに意味があるのはわかるけど、歌にすることは偽ることじゃないし逃げでもないよ。「でも、私が追いかけてくる」なんてむちゃくちゃ詩的な表現じゃないですか。それになにより2人があの場所で並んでみんなの前で歌うことに意味があると自分は思ってしまった。勝手な不満だけどね。

光当て過ぎなんじゃないかとかも思ったけど、あの2人にはばちばち光当てたくなるよなぁ。すげぇ瑞々しいもんなぁ。

でもでも、原作からラストをとてもビターに改変したのは良かった。これでとても忘れがたい映画になった。
3人にとって、というより志乃ちゃんと加代にとって「2人だけの場所」や「秘密」はもういらなくて、あの夏に彼女たちは外にある広い世界を知ったのだから、そこに踏み出していっただけなのだ。それがきっと大人になるということ。この先に彼女たちはあの夏を思い出して泣いたり笑ったりするのかな。

 

28. 検察側の罪人

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都内で発生した殺人事件。犯人は不明。事件を担当する検察官は、東京地検刑事部のエリート検事・最上と、刑事部に配属されてきた駆け出しの検事・沖野。最上は複数いる被疑者の中から、一人の男に狙いを定め、執拗に追い詰めていく。その男・松倉は、過去に時効を迎えてしまった未解決殺人事件の重要参考人であった人物だ。最上を師と仰ぐ沖野は、被疑者に自白させるべく取り調べに力を入れるのだが、松倉は犯行を否認し続け、一向に手応えが得られない。やがて沖野は、最上の捜査方針に疑問を持ち始める。「最上さんは、松倉を、犯人に仕立て上げようとしているのではないか?」・・・。 互いの正義を賭けて対立する二人の検事。彼らの戦いに、待ち受けていた決着とは——。

音の映画だ。もっと言えば声の映画だ。例えば、最上と上司が話すその隣で新米の女検事の声が、本筋の会話と同じボリュームで入ってくる。本来は映画としては排除されるべき雑音である、その声が確かに聞こえる。同じように話の筋には関わらない人物たちの会話もするすると耳に入ってくる。チンピラ達の会話とかね。恫喝の声は本当にびくっとしてしまうくらいに大きいし、言葉のつまりや驚きは声の速度と共にいきる。

その魅力がまず爆発するのが、沖野による松倉の取調べのシーンであることは言うまでもない。緩んでいた劇場の空気が一瞬で張り詰めるのがわかる。(沖野がパッ、をやるシーンで笑い声が聞こえたのは流石にどんな神経してんだと思った。)

終盤のある展開にも、実は序盤の要素が生かされてたりだとか、文字通り最上の言う「ストーリー」がしっかりとした強度である反面、最上がなぜそこまでするのか、橘がなぜそこまでするのか、動機が今ひとつ弱いとも少なからず思ったけど、それを言うのは野暮な気がする。他人にしたらそこまで?ってことが誰かの生きる理由やそのまた逆の理由だったりすることは、往々にしてある。
あとラストについては、もやもやする、オチがついていない、なんてことをよく目にするけど、物語の結末が明確である必要なんてこれっぽっちもないと思う。というより、ラストで最上が手にしたあるものと、沖野のあの言葉にならない「声」が全てでしょ。

 

27. クワイエット・プレイス

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音に反応し人間を襲う“何か”によって人類が滅亡の危機に瀕した世界。そこでは、あるルールを守り、生き延びる一組の家族がいた。「決して、音を立ててはいけない」その“何か”は、呼吸の音も逃さない。その“何か”に一瞬でも聞かれると即死する。手話を使い、裸足で歩き、道には砂を敷き詰め、静寂と共に暮らす彼らだが、なんと母親は出産を目前に控えているのであった。果たして彼らは、最後まで沈黙を守れるのか―――?

死霊館のシスター」にげんなりした後に見たこれ。大好きだった。これもまた、ホラーやスリラーという手段を使った別のジャンル。それを許せるかで好き嫌いは別れるのかなぁとは思うけど。

どこまでの音が許されるの?とか、なんでその状況で妊娠したの?とか(◯日目の表記からしてこうなる前にしてたからだと自分は思ってたんだけど違うのかな?)、結局あいつらはなに?とかそんなのもうどうでもいい!!!この映画の中では「音を立ててはいけない」ことよりも「言葉にできない」ことのほうが明らかに4人を生き辛くしている。「おまえは悪くないよ」とか「そんなこと思ってないよ」とか、もっと言えば「愛してるよ」っていうたったそれだけの言葉とか。

愛しさとか悲しさを言葉で表現できないときに、人はどうするのか。
夫婦が2人きりになるひとときに、彼らは片方ずつのイヤフォンで音楽を聴きながらそっと手をとって踊る。なんてときめく瞬間だろう。(ニールヤング!)

父娘は「あるもの」の交換で気持ちをぶつける。想っているのにこんなにも分かり合えない。これは、ホラーの形をしたコミュニケーションと贖罪の話だったんだなぁ。ラストに関しては、そうしてほしくなかったなぁという気持ちが半分くらいありながらも、あのラストカットの表情に辿り着くにはそうするしかなかったのかなぁとも思えて複雑。死の扱い方って難しいね。

 

26. レディ・プレイヤー1

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いまから27年後の世界。人類はゴーグル1つですべての夢が実現するVRワールド[オアシス]に生きていた。そこは、誰もがなりたいものになれる場所。無敵のヒーローやハーレークイン、キティだってなれる夢の世界! ある日、オアシスの天才創設者からの遺言が発表される ーー「全世界に告ぐ。オアシスに眠る3つの謎を解いた者に全財産56兆円と、この世界のすべてを授けよう」と。突然の宣告に誰もが沸き立ち、56兆円をめぐって、子供から巨大企業まで全世界の壮大な争奪戦が始まった! 果たして想 像を超えた戦いの先に、勝利を手にするのは一体誰だ!

現実から逃避して何かに逃げることってあるでしょう。働き始めてからは毎週のように映画館に通って映画を見ているけど、自分にとって映画は現実から逃げるための一つの方法なのかもしれない。なにより、この映画はいまのスピルバーグが過去の自分に、語りかけるように見えて、そしてそれは自分にも語りかけられてるみたいで。小ネタに気づく数が多いほど、たくさんのポップカルチャーに触れてきたってことで、そのひとつひとつが何かの救いになっていて、その世界はいつだって君の中にあるんだよって、でも、それでも君の生きる場所はここじゃないってちゃんと言ってくれるような。あの部屋での会話はかなりグッときた。

 

25. ワンダー 君は太陽

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オーガストこと”オギー”はふつうの10歳の男の子。ただし、“顔”以外は…。 生まれつき人と違う顔をもつ少年・オギ―(ジェイコブ・トレンブレイ)は、幼い頃からずっと母イザベル(ジュリア・ロバーツ)と自宅学習をしてきたが、小学校5年生になるときに初めて学校へ通うことになる。クラスメイトと仲良くなりたいというオギーの思いとは裏腹に、その外見からじろじろ見られたり避けられたりするが、彼の行動によって同級生たちが徐々に変わっていく…。

とてもまっすぐで良い映画だった。善人が多いとか、現実はこうも上手くは行かないとか、そうかもしれないけどそうであってほしいじゃん。そう願って物語を作ることってすっごく大事だと思う。学校とかでがんがん子供達に見せるべき。先生たちも一緒にね。お姉ちゃんパートが個人的には特にグッときて、終始涙ぐんでたんだけど、群像劇として物語を作る描こうとしてる割には、後半はシームレスに視点が行き来しちゃってるし、視点の変換にもあんまりハットさせられなかった。それぞれに考えてることや思ってることがあるのはわかるけど、同じものを別角度から見て発見があったかというと…うーん。あとは視点広げすぎじゃないかなぁ。姉ちゃんの友達とかまでいったからこりゃ犬視点もあったりするのか!とか思ってしまった。家族+オギーの友達くらいで良かったのでは。ラストシーン、ジュリアンが普通に並んで見てるのがいいよね。悪い子を過剰に罰しないのも大事。

 

24. ウインド・リバー

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雪深いアメリカの、ネイティブアメリカンが追いやられた土地“ウインド・リバー”で見つかった少女の死体―。新人捜査官ジェーン・バナー(エリザベス・オルセン)が単身FBIから派遣されるが、慣れない雪山の厳しい条件により捜査は難航。ジェーンは地元のベテランハンターで、遺体の第一発見者であるコリー・ランバートジェレミー・レナー)に協力を求め、共に事件を追うが、そこには思いもよらなかった結末が・・・。

悲惨なことが起こる映画を観て、なんでこんなこと映画にするんだろうと思ったりする。もちろん、闇に埋もれてしまうことを明らかにするだとか、そういう意図や意思があるのもわかる。でも、映画によっては、その悲惨さや過激さが展開を生む道具にしかなっていないようなものもあると思う。怖いことにそれはとてもドラッギーで、最初は辛くてもだんだん麻痺して慣れてきたりもする。恐ろしい。

この映画にも、とても正視できないような場面がある。描写として過激であるというよりも、起こってほしくないと願うことが起きてしまうからだ。(映画が始まった瞬間からそれが起きると知っているはずなのに)

結局、何が言いたかったのかというとこの映画のバイオレンス描写はとてもまっすぐな「人間の生」への言及に直結する。正義の在り方や罪と罰とかよりも、生きること、生きたいと思うこと、生きなければならないと思うこと、を語る。それにひどく胸を打たれた。

扉を使ったストーリーテリングの変換にはめちゃくちゃハッとさせられるし、銃撃戦の緊張感は単純に映画として面白い。

ただ、やっぱりそれらしいことを語り過ぎてるよなぁと思う。もっと会話は少なくて良かったと思う。とくにメイン2人は会話じゃなくてもっと別の要素で繋がれたはず。

 

23. アンダー・ザ・シルバー・レイク

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“大物”になる夢を抱いて、L.A.の<シルバーレイク>へ出てきたはずが、気がつけば仕事もなく、家賃まで滞納しているサム。ある日、向かいに越してきた美女サラにひと目惚れし、何とかデートの約束を取り付けるが、彼女は忽然と消えてしまう。もぬけの殻になった部屋を訪ねたサムは、壁に書かれた奇妙な記号を見つけ、陰謀の匂いをかぎ取る。折しも、大富豪や映画プロデューサーらの失踪や謎の死が続き、真夜中になると犬殺しが出没し、街を操る謎の裏組織の存在が噂されていた。暗号にサブリミナルメッセージ、都市伝説や陰謀論をこよなく愛するサムは、無敵のオタク知識を総動員して、シルバーレイクの下にうごめく闇へと迫るのだが──。

改めて、映画とはなんぞやみたいなことを考えてしまった。もっと言えば、映画を理解することとか言葉にすることの意味とか。

ヒッチコックにしろリンチにしろ、自分はまだそこまで観れていないので、そういう側面でこの映画を語ることはできない。でもわからないから、語ることってできないんだっけ。わからないことはつまらないことなんだっけ。それってなんか考えることを放棄してるみたいで悔しいから、出来るだけ自分の頭が及ぶ範囲まで次元を落として考えてみる。

赤と青の対比に始まり、まさしくこれはデヴィッドロバートミッチェルの映画に他ならない。「アメリカンスリープオーバー 」が青から赤に変わる前の青の話、「イットフォローズ」が青の彼女たちが否応なく迫り来る赤にそれでも対抗する光明を見出す話だとしたら、今作は青と赤の混在だってありえるんじゃないか?みたいなことを提示した話だと感じた。

ポップカルチャー陰謀論、謎解きという包装こそされているものの、箱を開けてみれば、結局は「自分は何者でもない」ということに気付くまでの140分だったと思う。終盤、画面を通して交わされるある2人の会話と、頬を伝う一筋の涙があまりにウェットすぎるし、謎で包んで来た割に急に説明しすぎじゃん!と思ったけど、グッときてしまったのも事実。ピアノのシーンはちょっとやりすぎててあんまり好きじゃない。

 

22. ボヘミアン・ラプソディ

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世界待望!伝説のバンド<クイーン>のフレディ・マーキュリーの華やかな成功と波乱万丈の人生を描く。クイーンのブライアン・メイロジャー・テイラーが音楽総指揮を務め、32もの不朽の名曲が主としてフレディの歌声で甦り、心臓に鳥肌がたつほどの感動を呼び起こす。 11月、悩める者、弱き者に捧げる、ミュージック・エンターテイメント開幕!

優れたポップソングというのは世の中の最大公約数になるものなのだと思う。「みんなのうた」でありつつ、これは「自分のうた」だと思うことのできるもの。例えば、学校のクラスの中心にいるやつにも、隅っこにいるやつにも同じように刺さるもの。ここでいうポップというのは音楽的ジャンルのことではなく、精神性の話です。

この映画はそういった「ひとり」を見逃したりしない。LIVE AIDの大観衆を舐めるようなカメラーワークで上空から捉えるショットも、CGとは思えない存在感が確かにある。例えば、あまりの熱量に笑ってしまうセキュリティの顔や、肩を組み涙ぐむ親子、ライブを笑顔で見下ろす設営スタッフ、ライブを見つめる人間を景色に留めるなんてことは絶対にしないという精神に一番心を打たれた。だってそれはクイーンの音楽性とも必然的に一致するでしょ?

自分はクイーンの音楽は人並みに知ってる程度だから、史実の確かさやエピソードの掘り下げ方に関しては多くを語れないけど、フレディの人間性を持ち上げて賛美するような映画にはとても見えなかった。「なりたい自分」になるために努力したりもがいたり失敗したりして、それでも最後には「本当の自分」でいることを選ぶのってとても真っ当なことだと思う。それが結実したラストにこそ胸打たれた。

ちょっと引っかかったのは、ピーターの扱いかなあ。たしかに良い奴とは言えないけど、ちょっとばかし救いがなさすぎるというか、彼も彼なりにフレディを想ってたのだと思うんだよね。結果的にはああいう形でしか守れなかったけど。

周りが騒ぎすぎると観に行く気をなくしてしまう捻くれ根性を叩き直して観にいってよかった。映画館で見てこその価値があると思う。

 

21. デッドプール     

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新たな仲間を加えて、俺ちゃんチーム結成!? 最愛の彼女ヴァネッサ(モリーナ・バッカリン)を取り戻し、お気楽な日々を送るデッドプールライアン・レイノルズ)の前に、未来からやってきたパワフルなマシーン人間のケーブル(ジョシュ・ブローリン)が現れる。大好きなヴァネッサのたっての希望もあり、良い人間になることを決意したデッドプールは、ケーブルが命を狙う謎の力を秘めた少年を守るため、特殊能力をもったメンバーを集めたスペシャルチーム“エックス・フォース”を結成するが・・・

自分が映画好きだと思うなら、黙って見に行け!って感じだ。スタイリッシュさというか整ってるのは圧倒的に1だと思ったけど、ヒーローが背負う答えから逃げなかったことがこの映画の何にも代えられない良いところだと思う。ちゃんと言葉にして面と向かって「ごめん」と言うこと、照れ隠しであってもハグすることの大事さ、誰かを許してあげること、自分を許すこと。ほんと酷い脚本だわな。(涙
プーさんのくだり、劇場が今までで一番笑いに包まれててほんと最高だった。みんなで同じ部屋でテレビ観て笑ってるみたいだった。そこからのシェイクハンドも超最高。ナミーダ。