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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

2019年ベストムービー30 [11~20]

20. ビール・ストリートの恋人たち

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舞台は1970年代のニューヨーク。幼馴染として幼い頃から共に育ち、強い絆で結ばれた19歳のティッシュと22歳の恋人ファニー。
互いに運命の相手を見出し、幸せな日々を送っていたある日、ファニーが無実の罪で逮捕されてしまう。二人の愛を守るため、彼女とその家族はファニーを助け出そうと奔走するが、様々な困難が待ち受けていた…。

ムーンライトが蒼の映画だとしたら今作は間違いなく「黄色」の映画だ。その黄色は時に「私たちはここにいる」という声をささやかにあげてみせたり、時にひどくつらい現実のなかに垣間見える希望の象徴として現れる。

或いは、音楽の存在。二人が交わるときにはレコードに針が落とされる。しかしときに彩りのための音楽は逆回転し、分断されて、不穏に空気を歪ませる。見た直後は突き抜けて好き、とも言えなかったのだけど、ふと思い出してじわじわとこの映画のことが好きになってきている。その理由はやはりこの映画が些細な「生活」の映画だからだろう。どんなにつらい状況にあってもティッシュは食卓についてごはんを食べるし、慣れないお酒に顔を歪めたり、仕事だってする。たとえどんなに絶望する状況でも、決して豊かな生活が失われるわけではない。いや、豊かな生活を諦める理由にはならないのだと思う。彼女や彼や、彼らの家族がそれを諦めなかったから、あのラストシーンに繋がるのではないか。そりゃあそこが楽園だなんてことは到底思えないけど、それでも彼らが掴んだ一つの結晶だと想うと、とても胸がいっぱいになる。

 

19. きみと、波にのれたら

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小さな港町へ越してきたひな子は、サーフィンが大好きで、波の上では怖いものなしだが自分の未来については自信を持てずにいた。ある火事騒動をきっかけに、消防士の港と偶然出会い、恋に落ちる。お互いがなくてはならない存在となった二人だが、港は溺れた人を助けようとして、海で命を落としてしまう。大好きな海が見られなくなるほど憔悴するひな子。そんなある日、ひな子が二人の思い出の歌を口ずさむと、水の中に港が現れる。「ずっとひな子のこと助けるって約束したろ?」死んだはずの港と再び会えたことを喜ぶひな子だが…。奇跡がもたらした二人の恋の行方は?そして、港が再び姿を見せた本当の目的とは?

夜明け告げるルーのうた」で嗚咽するほど涙した自分にとって、これはマストで観なければならない一本でした。ぶっちゃけてルーほどの爆発感はないけれど、マスをを狙いながらもコアが全くブレてない傑作だった。

打ち上げ花火の上昇と、消防車のクレーンの下降。またはカフェのエレベーターによって上昇と下降を繰り返しながら物語は進む。それと連動して波にのること、オムライスを作ること、コーヒー挽くことの一つ一つにもしっかりと意味をもたせる。それは、アニメーションに確かな生命を宿す作業だ。繰り返される上昇と下降の果てに、物語的な飛躍と文字通りの飛躍が待つクライマックスもなんとも湯浅作品的で素晴らしい。

もうわりとずっと泣いてた。特に、ラストのあいつとあの子が港に会ったとき。マスクの下に流れる涙と水中で溢れる涙。そうだよね。おまえも君もほんとは泣きたかったんだよね。会いたかったんだよね。って思ったら涙がこぼれてしまった。

あと大事なのが音楽の要素。GENERATIONS from EXILEの曲が好きになれないからこの点を評価しない、みたいなものがあるとしたら、それは悲しいことだと思う。それは音楽の趣味が合うか合わないかの話でしょ?自分だって普段こういう音楽は聞かないけど、だれにだってそれぞれ大切にしてる音楽があるわけじゃないですか。ひなたと港にとってはこの曲なんだよ。聞いてるだけで、大切な人との思い出が蘇るようなそういう曲がそれぞれあるでしょ?それが人それぞれ違うってなんで思えないかな。自分だったら、って置き換えればいいだけの話。しかしまあ、劇中で流れるこの曲のオフショットver.といいますか、主役の二人が笑いながら歌うやつは破壊力凄まじいです。

 

18. レゴムービー2

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街の秩序が崩壊し、誰もがすさんでしまった世界――。でもこの男、いつでも明るいエメットだけは違っていた。ある時、 流れ星に願い事をしようとするエメットが目にしたのは、奇妙な宇宙船に乗ってやってきた謎の宇宙人。謎の宇宙からの侵略 者の攻撃を陽気なビートにのってかわしていくエメットとルーシー。宇宙人にさらわれたルーシーとバットマンや仲間たちを助け るため宇宙に飛び出したエメットとともに、舞台は前代未聞の領域へ。前作よりさらにスケールアップした LEGO®ワールドと、 どこをとっても平均で明るくちょっぴりおバカな主人公・エメットは、またもや<選ばれし者>として世界を救う新たな冒険へ――。仲間をさらった宇宙人はいったい誰なのか? そしてその目的は? さらに深まる謎に期待が膨らむばかり!

前作は映画自体の構造とそこから紡がれるメッセージがフレッシュで素晴らしかったので、どうしたって同じ基準で見たら驚きは薄れてしまうのだけど、続編の本作は真っ当に、真摯に、物語としてめちゃくちゃ優れていると思った。

レゴ内の世界、レゴで遊ぶ子供たちの世界、それを見守る大人の世界、重層的に広がる視点によって如何様にも語れてしまう。「価値観の違う相手とどう共存していくのか」という至極普遍的かつ難解なテーマにしっかりとした解答を打ち出しているのもすごい。しかもそれを"別の国の人との共存"というマクロな視点と、"すぐ隣にいるだれかとの共存"というミクロな視点の両方から描く。やり方によってはその解答は綺麗事に聞こえるかもしれないけど、決して間違っちゃいない。すべてはサイコー!なんて言えないことみんな心の中ではどっかでわかってる。だからこそ、それでも、「悪くはない」世界にしたいじゃんね。そしてその上で立ち向かうべき相手が誰なのか、というところも見事。劇場スルーしてしまったのが悔しくなるくらい素晴らしい映画でした。永久に続いてほしいシリーズ。

 

17. ジョーカー

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「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィーに秘かな好意を抱いている。笑いのある人生は素晴らしいと信じ、ドン底から抜け出そうともがくアーサーはなぜ、狂気溢れる<悪のカリスマ>ジョーカーに変貌したのか? 切なくも衝撃の真実が明かされる!

映画を見る上で、感情移入というのは大事なツールなようでいて、その実とても危険なことである気がする。なぜなら自分の考えや思いもそこそこにスクリーンの中の人物と同化してしまうわけなのだから。そのとき自分はどこにいる?
とはいえそれは人それぞれ楽しみ方があると思うので置いておくとして、感情移入または(主人公が自分だったらという)想像力という人間固有の武器を逆手に取った危険な映画であると思った。アーサーに感情移入しきった人がもしもいたとしたら犯罪も何もかも正当化する人が現れてしまうかもしれない。無論それは稚拙で浅はか。この映画はそんなことを伝えたいわけではないはず。しかし、そんなリスクを負いながらこの映画は何を言いたかったのか。それは「考えろ」に尽きるでしょう。何が正しいのか、何が悪なのか。自分の周りを見渡して、果たしてスクリーンの中で起きていることはフィクションなのか、寓話なのか。この映画にオチはない。ここ最近一番嫌いな言葉の一つである「考察」なんてものも一切ない。オチをつけるのは他の誰でもない2019年を生きる我々なのだから。優れたアートは現実にエフェクトをかける。それをどう使うかは、ぼくら次第。

 

16. STAR WARS/スカイウォーカーの夜明け

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はるか彼方の銀河系で繰り広げられる、スカイウォーカー家を中心とした壮大な<サーガ>の結末は、“光と闇”のフォースをめぐる最後の決戦に託された──祖父ダース・ベイダーの遺志を受け継いだカイロ・レン。伝説のジェダイルーク・スカイウォーカーの想いを引き継ぎ、フォースの力を覚醒させたレイ。そして、R2-D2C-3PO、BB-8 ら忠実なドロイドと共に銀河の自由を求めて戦い続ける、生きる英雄レイア将軍、天才パイロットのポー、元ストームトルーパーのフィンら、レジスタンスの同志たち...。さらに、ハン・ソロの永遠の好敵手ランド・カルリジアンもエピソード・シリーズでは『スター・ウォーズ エピソード 6/ジェダイの帰還』以来の再登場。果たして、彼らを待ち受ける運命とは?そして、いかなるエンディングを迎えるのか?

なんかもうありがとう…!としか言いようがない。これは彼の物語だったんだと気付かされた瞬間からグッと好きになってしまった。
と、瞬間的には全部褒めたくなったけどそこは冷静に。そうは言っても前半はなかなかに退屈。エピソード8に次ぐ「え、じゃあ今してたこと意味なくない?」展開と後の展開のための展開ばかりでうんざり。ショットも編集もなんの面白味もない。アイテムを手に入れるために冒険して誰かに出会ってまた次の場所に行く、みたいなゲームをしてる感覚。しかしエンドア星系にてレイとレンが対峙するシーンからはもう全部好き。カットバックでドラマチックに人と人を繋げてみたり、超俯瞰ショットがふっと挿し込まれたりめっちゃ魅力的。なんたってアダム・ドライバー。これ以上は言うまい。

たしかにこの映画はファンの期待に応えるための映画だろう。ただしそれは懐古主義とイコールではないと自分は思う。だって自分がこの映画でいちばん素晴らしいと思うのはラストである二人の人物が交わすある会話だと思うから。「生まれはどこだ?」「それはわからないの。」「じゃあこれから探さなきゃな」
何から生まれたのか、何処で生まれたのか、そんなことは自分で決められる。古き英雄の退場には敬意を払いつつ、しっかりと新しい道を進んでいくこと、それこそ大事じゃない?

あと、ポリティカル・コレクトネスとかディズニーのお利口なメッセージとどれだけ揶揄されようがレジスタンスの中にだっていろんな性的嗜好の人がいる描写を入れることは自分は全面的に支持したい。

 

15. 家族を想うとき

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イギリス、ニューカッスルに住むある家族。父のリッキーはマイホーム購入の夢をかなえるために、フランチャイズの宅配ドライバーとして独立。母のアビーはパートタイムの介護福祉士として、時間外まで1日中働いている。家族を幸せにするはずの仕事が、家族との時間を奪っていき、高校生のセブと小学生の娘のライザ・ジェーンは寂しい想いを募らせてゆく。そんななか、リッキーがある事件に巻き込まれてしまうーー。

高いところから世界を見下ろすとき人はここではないどこかを想うのかもしれない。セブがペイントをするシーン、リッキーとライザが配達の途中で昼食を食べるシーン。
シーンの繋ぎのフェードアウトも無造作なようでいて物語を緩やかに連続させる。その連続性はまったく気持ちの良いものではなく、ゆるやかな地獄がまだまだ続く、と思わされるようで辛いながらも巧い。マロニーとリッキーの位置関係にも注目したい。2人が会話をするときに誰が歩み寄っていくのか。どんな距離感なのか。それがどう変化していくのか。

もう映画や物語の整合性とかどうでもいいから、頼むからこの人たちが幸せになってほしいと思う瞬間がたまにある。今作がまさにそれだった。中盤に差し込まれる家族揃った食卓のシーン。出来合いのものかもしれないけどそれを囲み4人が笑っていた瞬間を知っているから。アビーを職場に送り届けながら音楽を流して踊った瞬間を知ってるから。あの瞬間よもう一度とどうしたって思ってしまう。根本的な解決は無理にせよなにか希望のようなものを、と映画に縋ってしまう。しかしそんな願いも虚しく映画は考えうる限り最悪の形でエンドロールを迎える。このラストは下手に死を扱うよりも残酷な気がする。だって地獄は続くんだもん。

どうしたらいいんだろう。ケン・ローチの怒りがこんな映画になってそれを見た私たちはどうすればいいのだろう。こんなのまったく他人事じゃない。リッキーもセブも悪くない。もっと言えばマロニーだって悪くない。もっと根源的に腐敗した何ががあって今と未来を蝕んでるはず。考えさせられた、打ちのめされた、じゃ終われない。この国で来年虚栄の祭典が開かれるのとかもう恐ろしくて仕方ないんです。だから、自分にできることって、うーん。やっぱり考えて意見を持ってそれを表すことなんだと思う。絶望して、達観なんてしてられなくて、怒ったり、疲れたり、笑ったりしながら自分の生活を、与えられるんじゃなくて掴みに行かなきゃいけないと思う。言ってしまえばもうこんな映画がなくたっていい世界で、もっと希望に満ちた映画が見れるように。

 

14. さらば愛しきアウトロー

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80年代アメリカ。紳士的な犯行スタイルで、銀行強盗と16回の脱獄を繰り返した伝説の銀行強盗フォレスト・タッカー。事件を追うジョン・ハント刑事は、一度も人を傷つけず2年間で93件もの銀行強盗を成功させた彼の仕事ぶりに魅了され、仕事に疲れるだけの毎日から逮捕へ向けて再び情熱を取り戻す。フォレストが堅気でないと感じながらも、心奪われてしまった恋人もいた。そんな中、フォレストは仲間と共に金塊を狙った大仕事を計画するが——。

ロバート・レッドフォードにそこまで思い入れもなく、作品追ってきているわけではないので、どうしたってそういう目線では見れないのだけど、それでも映画的にむちゃくちゃ面白い。爺さんが車を走らせてるだけなのに、なんでこんなにスリリングでチャーミングな画が撮れるんだ。オープニングのカメラワークも抜群。そういう意味ではイーストウッドの「運び屋」とリンクする場面もあると思うのだけど、そこから導き出させれる結末は割と真逆な気がする。

 

13. スパイダーマン/ファー・フロム・ホーム

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“ホーム”であるニューヨークを離れ、舞台はヨーロッパへ。ピーター(トム・ホランド)は親友のネッド(ジェイコブ・バタロン)やMJ(ゼンデイヤ)たちと2週間の夏休み旅行へ出かける。そこでピーターの前に突如現れるのは、S.H.I.E.L.D.の長官、ニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)だ。「出番だぞ。私と共に戦う覚悟はあるか?」とピーターに告げるが・・。

あの「エンドゲーム 」の後でありフェーズ3の締めくくりという一番辛いところを任せられたスパイディ&ジョン・ワッツ。かなりグッジョブだったと思う。全体のトーンもしんみりしすぎず、でも確実にエンドゲーム後の世界。指パッチン後の世界を生きる人々にとって、「目に見える何かを信じること」というのはとても深刻な問題かつ縋ってしまう希望でもあるわけで、それを物語の根幹に落とし込むやり方は唸らされた。なんかあるだろうなあとは思ってたけど、物語の中盤から視点が一気に反転する瞬間がイイ。
そんなマクロな「信じる」論と並行して、青春映画としての、ジュブナイルとしての自分を信じる、誰かを信じることも描いてるのが好き。大エンタメ映画としてマスを狙いながらこういうところを隙なく描いているのが、いまや一大的な地位を築いたMCUのすごいところだと個人的には思う。フェーズ4、どうなるんだろうね。

 

12. ドクター・スリープ

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ダニーは、40年前の雪山のホテルの惨劇で、狂った父親に殺されかけたトラウマを抱えている。大人になった今も人を避けるかのように孤独に暮らす彼の周りで児童ばかりを狙った不可解な連続殺人事件が起きる。ある日、彼の前に謎の少女が現れる。その少女は特別な力でその事件を目撃してしまったのだ…ダニーと少女はこの事件の謎を追う中で、あの惨劇が起きた『シャイニング』のホテルに辿り着く。亡霊たちが巣食い、人を狂わせる呪われたホテルで起きる新たな恐怖。そしてふたりに待ち受ける想像を絶する結末とは―

天晴れ。全然シャイニングじゃないのに(正しくはキューブリックのシャイニング)、シャイニングの続編以外の何物でもない一本。

縦横無尽に回転しまくる画面よろしく、とにかく前作に縛られないオープンワールドで話が進む序盤。別に自分はキューブリックを特別崇拝してるわけじゃないので、あらゆる意味で閉じられた前作よりも圧倒的にこっちの方が好みというか今やるなら絶対こうあるべきだと思う。若干編集に退屈さを感じはするものの、あのテーマが鳴り物語があのホテルへと向かっていく流れにはワクワクしてしまう。そこからはしっかりカメラもステディになってるあたりのバランス感覚も良い。それまであまり温度感のなかったルックが、恐怖の象徴である展望ホテルの照明が灯っていくことで暖かみを帯びてくるのも不思議な魅力がある。

超能力ものとしても『炎の少女チャーリー』『ストレンジャーシングス』を彷彿とさせたり、もっと言えばヒーローものとして結末は『ミスター・ガラス』を感じる部分があってグッときた。ユアン・マクレガーが師として教え子を正しい道に導こうとする、という意味では『スターウォーズ/エピソード1〜3』が想起される。(展開は『貞子vs伽倻子』じゃん!とかも思ったり)

 

11. 運び屋

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アール・ストーン(クリント・イーストウッド)は金もなく、孤独な90歳の男。商売に失敗し、自宅も差し押さえられかけたとき、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられる。それなら簡単と引き受けたが、それが実はメキシコの麻薬カルテルの「運び屋」だということを彼は知らなかった…。

今年多くあったアーティストの薬物使用についての田中宗一郎氏のこのツイートがとてもこの映画と共鳴してると思って、それ以上の言葉が浮かばなかったので引用します。

"世界で一番嫌いな言葉は「許さない」という感情的な言葉。人間は愚かな生き物で、だからこそ常に間違え続ける。人の最大の特性こそが「間違えること」だと言ってもいい。と同時に「許す」という行為こそが、人が持つもっとも尊く、偉大な力。許す主体をもネガティブな感情の呪縛から解き放つ無限の力。"

ハイウェイと車を捉える空撮、ポークサンドの一幕がとてもグッときた。天晴、イーストウッド