anomeno

神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

いくつかの夜にまつわるはなし

ãthe myth of american sleepover artãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

夜にまつわることを書きたくなった。自分の部屋のカーテンを開けると、今の職場が見える。夜も動き続ける工場はどこかしらに明かりが灯り、絶えず動いている。近くのマンションはそれを見下ろす様に建ち、電気がついている部屋と消えている部屋がオセロみたいに並んでいる。もっと奥にはスーパーの看板が煌々と光り、日が変わる頃に消える。それを見て日付が変わるなあ。と毎日思う。真下に目をやると、路上に停車したトラックが数台ある。その脇を、大声で歌を歌いながら歩くサラリーマンが通る。それが今の自分の部屋から見える夜。

 

ずっと高速道路を走る車の中から見える景色を見るのが好きだった。明かりのついた家が見えたらそこには誰かが暮らしているんだろうなあ。と思えるから。4人家族がご飯を食べているだろうか。カップルだろうか。幸せだろうか。そうじゃないだろうか。とか。でもそこには確実に誰かの生活がある。

反対に、明かりの消えた学校とかを見ると猛烈に切なくなったりした。自分が昔通っていた学校の教室も、真っ暗の中にいるんだろうかとか考える。真っ暗な教室の中の、木の机、椅子、黒板、チョーク、体育館、プール。もう戻れない場所や時間のことを考えてしまう。夜にはそんなことを思い出させる、考えてしまう魔力がある。と思う。

 

そんなことをつらつら書いていたって、最後にはただただ寂しいとか、そんなことにしかならないのはわかっているから、そんな夜に寄り添ってくれる音楽とか映画とか、そういうものを交えながら夜を超えてみよう。とても心強い。

 

上に書いた様な、誰かの生活とか誰かの夜、そして夜が明けて街が動き出していく瞬間を捉えたMVが好き。安心する。

ファミレスで聴くロイ・ハーグローブ

国道沿いで買う缶コーヒー 煙草はほどほどに

携帯の充電ならとっくに切れたけど

 坂道を登り振り返れば 悪くはないんだよ

 余談ながら、自分が思い描いてた東京の夜って、夜のコインランドリーで煙草を吸いながら缶コーヒーを飲んでる景色だったんですよね。今の生活は洗濯機もあるし、近くにコインランドリーはないし、なんなら煙草は吸わないし、程遠いったらありゃしない。

 

 

夜の孤独があるとしたら、夜にしかない奇跡というか魔法のようなものも確かにあると思う。今、この夜の自分は無敵だ!みたいなさ。その魔法で誰かに連絡なんかしてみたりしてさ。ははは。「アメリカンスリープオーバー 」や「きみの鳥はうたえる」はそんな夜の魔法に触れようとした映画だと思う。

この世界には無数の夜がある。自分がひとりで何かや誰かに想いを巡らせている夜に、何処かの誰かと誰かが手を繋いだり、キスをしたり、人の数だけ夜があって、それが少しだけ重なったり離れたりする。この夜が続くように、と願う人にも、次の朝日を待つ人にも、等しく夜は更けて、そして明けていく。たったそれだけの一夜を捉えただけなのに、この映画には手に入らなかったものとか失ったものとか、かけがえのないものとか、すべてがある気がするのはなぜだろう。この映画に感じたことは、高速道路を走る車の中で真っ暗な教室を思い浮かべるのと同じことなのかもしれない。

夜のコンビニも良いですよね。故郷に帰るたびに、友達とコンビニの前で話して、車に乗ってまた別のコンビニの前まで行って話すっていう謎のお決まりがあります。

 

 

 

 

 


 

思いつく限り、夜の町を歩く曲をあげてみました。夜に歩く、で言えば恩田陸の「夜のピクニック」も好きだ。

夜のピクニック (新潮文庫)

夜のピクニック (新潮文庫)

 

眠れなくて夜のことについていろいろ書いてみた。歳をとると、朝早く目覚めるようになるとか言うじゃないですか。長い夜は若いときにしか与えられないのかなぁなんて思ったりした。夜は短し歩けよなんちゃら。

今思うと、もしかしたらあの日、高速道路から見た部屋の明かりは今の自分の部屋の明かりかもしれない。時間軸がなんちゃらしたりして。意外と一人の部屋も悪くないよ。誰かが見ててくれるなら。