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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

I am still right here -『LOGAN/ローガン』

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冒頭から闇夜の中で爪を振り乱すローガン。それだけ見れば何てことはないシーンだ。
でも何かがおかしい。戦う相手は夜な夜な車を盗むギャングで、戦闘の理由は"車を傷つけられたから"だ。ヒーローがそんなことを理由に能力を全開にして戦っている。しかも小悪党相手になかなか苦戦しちゃってるローガン。これはX-MENという枠の外の映画ですよといった宣言が開始早々になされる。

 

それどころかこの映画の世界では特殊能力は明らかに障害のようにして描かれる。ローガンは薬と酒に侵され常にふらふらで、能力を隠し「ウルヴァリン」という名前で呼ばれることすら拒み続ける。家に帰れば認知症の親父(のような存在)がいて彼にあてる薬代もままならない。挙句身に覚えのない娘まで登場してしまう。しかも娘も言葉を話さず、目を離せば暴走する文字通りの障害を抱えているときた。もうどん詰まりだ。どんなヴィランの登場よりもローガンを追い詰めたのは社会と自分自身なのだ。
そんな(擬似)親子3代のクライスラーによる逃避行。いやこのプロットだけでかなり面白い。ウルヴァリンロードムービーをやってしまうのか。

しかし、ひたすら車を走らせるロードムービーになるかと思いきや、途中歩を止めた先では町の権力者から小市民を守る西部劇になっていく。もちろんその意図は、西部劇に通底する"人を殺す業を負うこと"として物語的にも後々回収されていく重要な要素である。逃走劇及びロードムービーだけに収まらず、この間に西部劇を入れ込んだところにジェームス・マンゴールドの「やりたいことをやってやるぞ」という気概を感じる。

 

これだけの要素が散りばめれば、並みの映画なら散漫してしまうが、「光」「太陽」といった要素(とそれに相反する闇)が物語全体に点在し物語を繋いでいく。語られぬ過去を想像するに、ローガン、ローラ、チャールズたちは3人は世間に疎まれ、虐げられた日陰者なのだ。故に彼らは太陽に当たることを許されない。ローガンの戦闘シーンが終盤を除いては決まって夜なのも、キャリバンの太陽の光を浴びると焼けてしまうという特性も、ローラがサングラスをかけるのもそう。何より、当初からローガンとチャールズの悲願は「太陽号」で海に出ることだったのだから。しかしそこに時折差し込むように、街頭や車のヘッドライト、焚火、時には爆発でもって光が届く。それに導かれるようにしてローラが自分の"感情"を見つけ掴んでいく。そんな彼らが辿り着いた先に広がる光景はどうだろう。そしてその地に至るまでにローガンとローラが運転を代わるという動作が映画としてのロードムービーという特性を存分に活かしていて、心底グッときてしまった。

自分はX-MENシリーズをまともに見ていないのだけど、それでもローガンが発するあの言葉を聞いたときに、彼がこれまでどんな思いで生きてきたのか、死ぬことを許されない孤独の中で何を想ってきたのかが透けて見えるようで、もう涙が溢れてしまった。

This is what it feels like this...

上映時間は2時間31分とお世辞にもスッキリしているとは言えないところが惜しい。ドライブ開始までをもう少し早くするだけでもかなり変わるような。もしこれが2時間を切る作品だったらと恐ろしい名作になっていた気がする。あとは途中で手にする「音楽」とか冒頭で登場する「ボール」いうアイテムがラストでもう少し効果的に使えたような気もする。既に名作揃いの2017年の中でも恐ろしくウェルメイドな一本です。