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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

月の船は滑りだす - 『カルテット/第9話』

カルテット

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開始数秒で登場する本物の早乙女真紀と、早々に明かされる戸籍売買の顛末。第8話のラストにおける衝撃からしたら何だか肩透かしを食らったかのような幕開けから始まる最終章・前編の第9話。「時間軸がずれている!」という視聴者の深読みを知ってか知らずかこの第9話は、いや。決してそこ"だけ"を見て欲しいのではなくて…と「カルテットとはこんな物語である!」という高らかな宣言をしてみせる。

「登場人物全員嘘つき」という宣伝文句の通り、「カルテット」はヒューマンサスペンスであった。それは間違いない。でもここまでこのドラマを見続けてきたことできっと多くの人が気付いているはず。「誰がどんな嘘をついているのか?」「誰が本当は悪い人なのか?」という騙し合い(サスペンス)が本質ではなく、言葉と感情の行間を読むことであったり、白にも黒にもなるしときどき赤も纏うような人のグレーな部分を描く、"ヒューマン"の方にフォーカスを絞る物語であることに。もちろん様々な見方ができることこそドラマの面白みだと思うので、何か考え方や見方を誘導するわけではないですが。そんな高らかな宣言がなされたのは別府さんが持ってきた映画「スターシップvsゴースト」を観る4人の会話である。

「別府くん、この映画いつになったら面白くなるの?」

「宇宙出てこないですね」

「幽霊はどこにいるんですか?」

 

「だから、そういうのを楽しむ映画なんです。」 

第6話における真紀さんと幹生の「この人良い人?悪い人?」のやりとりとも呼応する言葉だ。完全な良い人も悪い人もこの物語には出てこない。余命3ヶ月と嘘をついていたベンジャミンさんはどうだろう、あまりにも借金取り然としていた半田(Mummy-D)が家森さんに見せた優しさはどうだろう、 真紀さんの母の死を巡る被害者と加害者の立場の揺れはどうだろう。もう何度も感想の中で言っていることになるけれど、白か黒かを決めて二つに分けることが重要なのではなくて、グレーな個と個が共振する音にこそ耳をすませてみようということではないですか?伏線伏線と躍起にはならずにまあまあ落ち着いてその音に耳をすませてみようじゃないですか。

 

第6話における回想、第7話における巻き戻し、第8話における入れ替わり、とあくまで不可逆に抗ってみせた(ような)流れでしたが、第9話ではその不可逆を「星を渡る船」に見立てて*1光の先へと進んでしまうのだ!正直このやりとりに関してはうまく言葉にする自信がないので、そっくりすずめちゃんの言葉を引用します。

「真紀さん、もういい。もう。いい、いい、いい、いい。もういいよ。」

「もう何にも言わなくていい。真紀さんが昔誰だったかとか。何にも。」

「私たちが知ってる真紀さんは、この、この真紀さんで。他のとか…どうでもいい。すっごくどうでもいい。」

 

「人を好きになることって絶対裏切らないから。」

「知ってるよ。真紀さんがみんなのこと好きなことくらい。絶対それは嘘なはずないよ。」

「だって零れてたもん。」

「人を好きになるって、勝手に零れるものでしょ?零れたものが嘘なわけないよ。」

「過去とか、そういうのなくても、音楽やれたし。道で演奏したら楽しかったでしょ?」

「真紀さんは奏者でしょ。音楽は戻らないよ?前に進むだけだよ。」

「一緒。心が動いたら前に進む。好きになった時、人って過去から前に進む。」

「私は、真紀さんが好き。」

蕎麦屋さんで真紀さんがすずめちゃんに言った「帰ろう」を思い出してしまうすずめちゃんの「もういい」も、「真紀さんが好き」って言った後のすずめちゃんの笑顔と泣き顔の混ざったあの表情も、ただ見つめる家森さんと別府さんの視線も、何より真紀さんの「信じて欲しい」の美しい響きも、何てものを見せてくれてるんだというか。はい。ええ。泣きましたよ。零れましたよ。

ノクターンの大二郎さんと多可美さん夫妻のハグとともに誕生日ケーキに火がつくように、真紀さんとすずめちゃんのハグとともにこの家族の暖炉にも火が灯る。その後にすずめちゃんと真紀さんが遊ぶ「スティックボム」(というらしい)棒状のドミノも前に向かって倒れていくものだ。これも一つの不可逆。倒れていくドミノを見て「やったー」と喜べること、ここに光がある。きっと。

 

ホッチキスはステープラー、バンドエイドは絆創膏、ニモはカクレクマノミ、という本物の名前と偽物の名前にまつわるやりとりは割と色んなところで言及されているのであえてはいいかなあ。でもこれを真紀さんの本名と偽名の伏線!で片付けてしまうのはちょっともったいないかなあと思う。偽物だとしてもそれを本物にすることはできる、と読み取ったほうが希望があって好きだ。世間はそれを偽物というかもしれない。でも少なくともあの四人の中では…というところが感情の動くポイントな気がする。ホッチキスと呼ばれるステープラーを見つめる真紀さんの優しい眼差しにはそんな希望が込められているんじゃないだろうか。

この「名前」というキーワードとすずめちゃんの口から飛び出した「地下鉄ですれ違っていたかもしれない」という言葉の共振は「君の名は。」かよ!と突っ込んでしまいそうになったけれど、出会うはずのなかった二人が「バイオリン(音楽)を抱く」という行為を通して、時間を超えて出会える(と想像する)ってやっぱりそうだ!と思ってしまった。それでいうなら、キメ台詞は「誕生日いつ?」でしょう。

 

と、まあもう目から失禁状態みたいなテンションで書いてきましたが若干ここからは文句っぽくなってしまいます。しかも超個人的な。というのも文句はたった一つで、行間はどこへ言った!と言いたくなるような説明過多な台詞がここへきて大量に出てきてしまったこと。例えば「ドーナツホール」について「ちゃんとしてない人」を例にして話すのなんて今更いらないと思うし、普通になろうとしていた真紀さんに気づくことができなかった幹生の台詞なんて本当にそのまま一から十まで言葉にしなくたって、表情だけで十分に語れることだと思う。常々思うことだけど、感情は言葉にしてしまうと途端に決まった型にはめられたみたいに固まってしまうと思うんです。でも坂元さんの書く言葉は見たことのない歪な型に感情をはめていくから面白いんだと思うし、固まらずに流動していくのだと思う。それが見たいし聞きたいです。とだけ。

さあ!あと1話!このままゴールテープを切ってくれ!

 

 









 

*1:キタ!ジブリ的!前回の感想を参照!