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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

道について - 『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう/第10話』

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はい。最終話です。まず、素直に言うと毎週欠かさずにひとつのドラマについて自分の言葉で文章を書けたのは何と言っても作品が素晴らしかったからです。(そういうことは最初に言っておく)あとは少なからず見てくれる人がいたからです。拙い文章でしたが反応があるたびに嬉しくて仕方がなかったです。ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いします。

 
では、参りましょうか。最終話。開始 20 分ほど、正直目を疑った。別のドラマを見ているようだった。終わった直後にもツイートしましたが、何かの力が働いて脚本が書き換えられたのかと思うくらい。でもそんなことはなくて、これまでの「良くない部分」のしわ寄せが、よりにもよって最終話にきてしまったのでしょう。以下ひとつずつ。
 
ひとつめ。前回にも触れたところ。主役である音と練以外の人物の掘り下げが圧倒的に足りなかった。故に春太と小夏はおろか、最終的には朝陽と木穂子まで安易な着地のさせ方に見えた。全部終わったので言いましょう。春太と小夏に関しては本当に必要かな?冗談抜きに芋煮会以外での存在の必要性が皆無だと思ったのだけど。それでいて最後のあの舞台上のシーン。はっきりあれは駄目でしょう。ふたりともここまでぶれぶれなので会話に何一つ説得力がなかった。あと、演技の面で坂口健太郎はこれまで春太のからっぽ感、適当感をうまく演じていたと思うけど、最後まであの調子じゃ春太の変化が見えなかった。例えば「最高の離婚」における綾野剛演じる上原諒はかなり春太に近い人物だと思うのだけど 、明らかな差が出た感じだ。ドラマを作る上でいろいろしがらみはあると思うけど、今回のメインキャスト 6 人は功を奏す結果にはなっていなかったと思う。余談ですが、同クールの「ナオミとカナコ」とか脚本はさておきメイン二人にしか焦点を絞らないところはすごく良かった
 
ふたつめ。最終回に関しては、台詞が面白くなかったです。まずはっきり二つ。朝陽が音に別れを告げるシーンと先程もあげた春太と小夏の舞台上のシーン。ドラマ見るときって「んなこと言わねーよ」って思ってしまったら負けだと思う。そうならないように人物像を作って、その人物が話してる言葉として聞かせると思うのだけど、この二つのシーンにおいては言わされてる台詞感がぷんぷんで冷めに冷めた。坂本裕二脚本における台詞、会話には絶大な信頼を置いていました。その理由の大きなひとつに「自分でも何を言っているかわからない人の言葉の説得力」があったからだ。「それでも、生きてゆく」における洋貴と双葉、「最高の離婚」における光生がそうだったように、度々使用される「アレ」とか 「そういうこと」とかそういう不確定な言葉こそ等身大の言葉だと思う。じゃあそれを使ってたら良かったのかっていうと違うけど。それでも凡百な台詞でまとめにかかってどーすんだよっていう。
 
みっつめ。これは脚本の部分で、話をまとめるために人物を動かしすぎだと思った。特に感じたのが練の行動。朝陽と木穂子の会話を聞いて身を引こうと思った練は音に会わないようにしました。一ヶ月というなんとも曖昧な時間を経て、練はひょこひょこ音の職場へ行くし、そこで引越したことを聞くとからっぽの音の部屋へ行くし、最後には電話もしてしまう。うーん。ここはもっと溜めて溜めて電話からのトラック!で良かったんじゃないでしょうか。引っ越したことを知るまでのステップは木穂子から、それこそ朝陽から聞くでも良くないですか。短縮という意味合いよりかは、今までの錬という人ってそういう人だったと思う。
あと、音の手紙の朗読は個人的には二人の再会後がよかったかなあとも思う。音は東京で手紙を破り捨てて、ずっとしまってきた桃の缶詰を食べる。想いを閉じ込めて東京を去るわけですよね。でもその想いはやっぱり引越し屋さんである練が届けにきてしまう。あのファミレスでその想いが交わされたのなら、トラックに乗り込んで走り出したあとに手紙のナレーション、そしてフェードアウトの順序のほうがしっくり来るような気も。だって先に本心を知ってなくても、ファミレスの音の態度が嘘だってことくらいわかるじゃん!!!
 
もう書きながら自分がイヤになってきたのでまとめます。最後にして不満が爆発しましたが、最終的にあのファミレスに戻ってくるという構造にはやっぱりやられた。注文したものと別のものが届くというくだりは「それでも、生きてゆく」でのポテトサラダを注文したのにマカロニサラダがくるというくだりを思いだした。あのときは「結局は人って本当にはわかりあえないのかもしれない」という作用があったと思っているのだけど(洋貴と文哉の会話から)今、坂本裕二は人と人との間の距離を認めたうえで、それを互いに行き来しあう、ほんのちょっとの架け橋としてデミグラスソースではなくトマトソースが届くというマジックを仕掛けたのではないだろうか。思えば音と練はふたりの間にある距離を飛び 越えてはまた離れ、を繰り返していた。バスの両側に乗っていた二人は最終的に同じトラックに乗ったわけだけど、肩が触れて隣り合ったわけじゃない。もっとスケールを広げれその距離は東京と北海道という距離になる。でも、道がある。坂本作品の結末として平行線を同じ方向に歩く二人が描かれることが多かったけど、今作では「でもそれを越える道もある」という現代の一歩を踏んで見せたのだなと思った。
 
もったいないなあ。ひたすらもったいないと思う。 7 話のレシートを超えるシーンをぜひとも最後に見せてほしかった。といくら不満をたらたら漏らしても仕方がないので、このへんで。それはそうと、そろそろ次くらいには「最高の離婚」を復活させても良いのではないでしょうか!