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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

朝日と夜明け - 『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう/第9話』

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とうとうあと1話です。見終わってからいてもたってもいられなくて書き始めた1話の感想から、なんとかここまで書き続けてこれました。これからも何かについてこれくらい熱を入れて書けたらなあと思います。

では、最初に9話の本筋と少し外れたことから。このドラマに関して、衣装はとても大事な要素であると思って見ていた。坂元裕二脚本の月9が始まるという一報と同時に、主演二人のビジュアル写真が公開された時すでに、切なさとも懐かしさとも、なんとも言えない気持ちが沸き立った。この写真。

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ドラマ内でいうと第1章まで二人はほぼこの服を着ていた。5年後の第2章になると彼らが身にまとう衣装にも変化が現れた。それは時間の経過による彼らの変化を表しているのだろうと考えていたし、何より一度暗黒面に落ちてしまった練が黒い服を着るというのは納得がいく。では、再びこちらに戻って来た練を思い返すとどうだろう。元の彼らしさを取り戻した練はなぜ以前のようにMA-1を着ないのだろう。どこかで引っかかっていた。偶然?いやまさか。季節?うーん。ここから先は勝手な解釈として受け取ってほしいのだけど、彼は「闇」を着続けなくてはいけないんじゃないだろうか。2011年の3月11日を境に練は少しづつ闇に取り込まれて、考え方も、物の見え方も変わった。ただ彼は音に、佐引さんに、じいちゃんに救われて元の自分を取り戻した。でも一度纏った闇を払うことなんてできない。それは目を逸らすことと同じだから。あの出来事を文字通り背負ってその先を生きる、という意味が黒いコートに込められているのではないかと勝手に自分の中で納得してしまった。もしかしたら、この先で再びあのMA-1を着る時が来るかもしれない。それが果たしてどんな時なのか。そもそもそんな時が来るのか。そんなところに注目しながらも最終話を見たい。

 

はい。では9話に話を戻しましょう。この9話で自分の中で確実になったことがもう一つ。散々ここまでこのドラマを褒めちぎってきましたが、晴太と小夏という人間がどうやら自分は好きではないようです。というよりも、彼らを描ききるにはもう少し時間が必要だと思う。でもそれなら音と練の二人、および朝陽と木穂子をもっともっと掘り下げてほしいという気持ちの方が強い。特にこの9話においては、この二人が存在がとことんノイズに感じてしまった。本筋と絡ませて展開させるならいいのだけどなんか浮いちゃうんだよなあ。

 

本筋に関しては、ここへきてTHE 王道ラヴストーリーのときめきに溢れていました。「会いたいです」というメールに対して「私も…(会いたいです)」→「会えません。」→「今はまだ会えません。」と書き換えていく流れ、真っ暗な部屋の中でする電話(あの感覚を思い出させるのをやめてほしい)と、これでもかというコンボ。でも、二人の想いは今も「伝わりかけ」で終わってしまう。何かを言いかけてやめるというシーンがこれまでも幾つかありました。今回は音の絵が「描きかけ」のまま渡されるし、練の留守電は「話しかけ」で終わってしまう。どんな結末であれこの置き去りにされた言葉や思いが掬われることを願っています。

そして最後に。またしても坂本脚本総決算的なワードが練の留守電の中に飛び出しました。

覚えてますか?

杉原さんと東京に行く途中で見た、どこだったかな?

夜明け。

夜明け見ましたよね?

夜が終わるのを一緒に見ました。

東北自動車道に太陽が昇って綺麗だった。

そっち向かって俺と杉原さん走ってた。

眩しくて杉原さんちょっと笑って。俺嬉しかった。眩しかった。

あの時思いました。

この人がどうか幸せでありますように。

 

「夜明け」です。正直これを書きながらも泣きそうなのですが、個人的にはこれは「それでも、生きてゆく」の第10話における洋貴の文哉に向けたこの言葉に繋がると感じた。

 

今朝、朝日を見たんだ。

便所臭いトイレの窓から朝日見えて。

そんな事、あそこに住んで一度も感じたことなかったんだけど、また今日が始まるんだなって。

悲しくても、辛くても、幸せでも、空しくても、生きることに価値があっても、なくても、今日が始まるんだなって。

あの便所の窓から、この15年間毎日ずっと、今日が始まるのが見えてたんだなって。

うまく言えないけど、文哉さ。

俺、お前と一緒に朝日を見たい。一緒に見に行きたい。

もうそれだけでいい。 

 

そして、最終話における洋貴と双葉の届かない手紙の中のやり取りにも。

 

「遠山さん。朝日を見て、まぶしくて、遠山さんの今日一日を思います。」
「深見さん。こうして朝日をみてるとどうしてか、深見さんも同じ朝日を見てる気がします。いつもあなたを思っています。」 

 

それでも、生きてゆく」の中での朝日は本作では「夜明け」と呼ばれる。本質的には同じもので間違いない。でもその僅かな違いが、音と練の見ている空にはあるのかもしれないな。