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神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

flower of life - 『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう/第3話』

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第2話にて横断歩道を渡り一年越しに再開した二人だったが、再び対岸に分断されてしまうシーンから始まる。同じ町に住み、同じ乗り物に乗り、同じ道を往く二人なのだけど、やはり最後には逆方向へ歩いて行ってしまう。バスの中でもお互いの存在に気づいたからといって、決して隣に座ったりなんてことはしない。席を移動すればいいなんてそんな野暮なことは言わないでほしい。あれは、対岸に分かれた二人が結露した窓に書く「おつかれさまでした」でもう十分だ。乗り物といえば、木穂子がよくタクシーに乗るのもバスや電車とも違う速度を表しているのだろうか。深読みが過ぎると思いつつもやはり何か意味があると思いたい。

坂元裕二脚本の妙が光ったのはやはりコンサート会場の裏手での二人の会話だろうか。初コンサート→クラブ→アルプス一万尺への話運びの何たる自然さ。一度ではなく二度目を高速でやるところが個人的にとてもツボだった。あれやるよね。できちゃうんだよね。その後、練の口から語られる「東京」という街で目にする、耳にする小さな、でも確かな悪意。音の口から「私も同じこと思ってた」なんて台詞がなくても僕らは彼等が同じ想いを抱えていることがわかる。それでも何とかここに根を張り、生きていくという意思は道端に咲いた花の写真によって交換される。花についての考察は前回言及したことが回収されたようで嬉しくもあった。

練が本当に幸せそうな顔で話す場所というのは、壁と屋根と多くの廃品と思しきもので東京という街を視覚的に遮り、耳にはジャズが奏でられる音だけが届くこの場所でければならなかったのではないか。ちなみに木穂子に渡そうとしていたチケットがプラネタリウム(あくまで人工物)というのもなんだか対比が効いているようでいい。そして、肝心のキスシーンなのだけど、ワイパー演出は言いたいことがわからんでもないけど少し露骨に感じて乗れなかったというのも正直な気持ちでした。未だに音の口から練の名前が呼ばれないのも、まあもちろん彼らは今分断されている状態なのだと考えればそうなのだけどここでは呼んでよかったのでは?と思えなくもない。

そして、終盤の木穂子パート。1話での音の手紙、2話での練の電話に続き、今回は木穂子のメールで所謂彼女の"つっかえ棒"が外される。メールの内容をバックに冒頭の木穂子の買い物シーンをハイライトするというのはよかったし(特にポプラの前でで缶ビールを飲むシーン)、"ネズミのキャラクター"、"新しいペン"、"日陰/日向"というワードセンスも流石なのだけど、これまでと比較するとすんなり入ってこなかったのも正直なところです。とはいえ、かなりうるっとはきているのですよ。

あとは、"着る恋愛"状態に突入した小夏やイマイチ感情の読めない晴太には未だ乗れず。そして次回予告からして来週はかなり辛いことになりそうなので心して見ることにする。